愚かな人間ほど、「私は間違わない」と勘違いする。
「無知の知」という言葉がある。
古代ギリシャの哲学者、ソクラテスの言葉と言われているが、「自分が知らないことについては、そのまま、知らないと思っている」という意味だ。
「あの人よりも私の方が知恵があるなあ。たしかに私もあの人もたぶん善美の事柄については何ひとつ知らない。だけど、あの人が知らないのに自分は何か知っていると思っているのに対して、私は自分が知らないのをそのとおりに知らないと思っているんだから。どうやら、自分が知らないことを知らないと思っているというほんの小さな点で、私はあの人よりも知恵があるらしい」
これは、人間にかかわる洞察の中で、最も普遍的、かつ本質的なものの一つだろう。
この対局にあるのが「私だけがわかっている」「私に反対する人間はみんなバカ」「私は間違わない」という主張である。
そしてこれは、愚か者の象徴ともいうべき発言だ。
実際、仕事においても、
「私だけが、よくわかっている」
という主張をする人は、社内でもよく問題を起こしていた。
例えば、こんな具合だ。
「私だけはこの部署の課題に気付いている。皆何も言わないけど。」
「みんなは気づいてないけど、部長の「うちの部門の業績は好調」は、嘘だ。実際にはかなりマズいらしい。」
こういう発言は、大体は思い込みと推測であり、実際に裏を取ったり、確認をしてみたりすると、ほとんどは事実無根なのだ。
逆に、もし事実であれば、「実はみんなもすでに知っている」ことがほとんどだ。
この人だけが知っているわけではなく
「あー、あの話ね」
と、みんなが思っている。決して彼が特別なわけではない。
これは投資や不動産取引をやっている方であれば、よくわかるだろう。
「あなただけに教える、お得な話」
「私だけが知っている、この物件の価値」
は、たいてい詐欺か、よく言って勘違いで、だまされてしまう人が大勢いる。
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ではなぜ、この類の人にとって、「他人がバカに見える」のか。
それは、他者の思惑を類推する能力が低く、
「他者の賢さ」
「世の中の知見」
をうまく想像できないからだ。
だが実際に、頭をきちんと働かせようと思ったら、他者に対して
「同程度には賢いし、少なくとも自分と同じくらいは、物事を知っている」
と仮定しなければならない。
実際、詐欺師や、悪意があり他人を操作しようとする人は、そうした
「能力を客観的に見ることができない人間」
を見抜いて、そこに付け込んでくる。
だから、「そんな良い情報を、私だけが知っている、という状態は明らかにおかしい。裏がある」
と考える人でないと、知性を活用できない。
愚かな人間ほど、「私は間違わない」と勘違いする理由は、そこにある。
「自己修正メカニズム」が働かなくなったら、「知性」は終わり。
イスラエルの歴史学者であるユヴァル・ノア・ハラリは
「無知を認めることで、科学革命が始まった」
と言っている。
無知を認めること、知らないものを知らないと認めること、失敗を認識することは、
「自らをただす」
「自らを修正する」
ことにつながるからだ。
現代社会が全体主義、宗教、計画経済のくびきを捨てて、民主主義、科学、市場を採用したのは、自己修正メカニズムが、それらよりはるかに強いからである。
全体主義の指導者は自分を修正できない。
むしろ、自分を修正しようとするメディアや大学、裁判所などを攻撃して、自らの無謬性をアピールする。
でも、民主主義はすぐに元首をクビにできる。
宗教の聖典は、決して間違わない。
現実が聖典と異なる場合、間違っているのは現実であり、それに逆らうものは異端として排除する。
でも、科学は前説を否定しないことには価値がない。
計画経済は非効率や労働者の意欲の減退を認めない。
官僚は決して間違わず、異を唱える者は強制収容所に送る。
でも、市場はすぐに失敗したプレーヤーを退出させる。
そうやって「間違い」や「無能」を、自己修正メカニズムによって退出させることで、人類は繁栄を手にしてきた。
「知性」は憎まれる。
現実はあまりに厳しいので、「知性」の指摘に耐えられない、という人が多いのも、納得がいく。
知性はむしろ、憎まれる、と言ってもよいくらいだ。
「謝ったら死ぬ病」は、その表れだ。
「謝ったら死ぬ病」に罹患している人は、世が世なら、魔女狩りを嬉々としてやるだろう。
過ちを認めるよりも、相手を殺すほうがはるかに簡単だからだ。
出典:チ。地球の運動について(2)
そして、この傾向は「知能」とは別の軸である。
実際、知能が高いほど「愚か者になりやすい」傾向がある。
イェール大学にこんな研究がある。
知能も教育水準も高い人は、自らの優れた知能を常に等しく活用するわけではなく、自らの利益を追求し、重要な信念を守るために「日和見的に」使う。
つまり、知能も教育水準も高い人は、賢さを
「自分の信念を正当化するときだけ使う」
あるいは
「自らの考えを補強するような事実を集めるためだけに使う」
傾向があるというのだ。
さらに、失敗を犯したときには、小賢しい言い訳を考えるのが得意であるため、ますます自らの見解に固執するようになる。
これらは「合理性障害」と呼ばれ、賢い人ほど陥りやすいことが知られている。
立派な学歴の人であっても、簡単に詐欺に引っかかる。
高い知能が、かえって目を曇らせるからだ。
愚かさは、知能の低さによるものではない。
むしろ知能を使いこなせない、マインドの問題である。
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【著者プロフィール】
安達裕哉
生成AI活用支援のワークワンダースCEO(https://workwonders.jp)|元Deloitteのコンサルタント|オウンドメディア支援のティネクト代表(http://tinect.jp)|著書「頭のいい人が話す前に考えていること」88万部(https://amzn.to/49Tivyi)|
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