第2海軍燃料廠がつなぐ日本と台湾の平和への思い
四日市市小杉町の出口敦子さん(62)は、四日市空襲の体験談を語り継ぐ動画を昨年、ユーチューブで公開した。動画を見た日本帝国海軍燃料廠の調査をする台湾の国立陽明交通大学の教授らが4月22日に来日し、出口さんと戦争や平和への思いを語り合った。
海軍燃料廠を調査する台湾の研究者が来日
四日市コンビナートがある場所に、かつて海軍の第2海軍燃料廠があった。台湾には、第6海軍燃料廠があり、2つは密接な関係にあったと言われる。台湾の国立陽明交通大学の応用芸術研究所の賴雯淑(ライ・ウェンシュウ)教授はその研究をしており、日本での調査を企画した。
津市出身のアーティスト井早さんに協力を依頼
賴教授は親交のあるカナダ在住で津市出身のアーティスト井早智代さんに協力を求めた。井早さんが四日市空襲について調べ、出口さんの動画を見つけた。出口さんに井早さんが連絡し、賴教授ら研究者や動画クリエイター、建築家らが来日し、出口さんから直接話を聞くことになった。
動画「四日市空襲を語る」とは
出口さんの制作した動画「四日市空襲を語る」は、元教員の岡野繁松さん(享年90)が、生前25年間発行していた、昭和の四日市の人の暮らしや思いを掲載した冊子「旧四日市を語る」をもとにしたもの。出口さんが岡野さんの遺志を受け継ぎ、2019年に四日市空襲の部分を朗読し、動画を制作。その続編の2作を昨年制作し、「新・四日市空襲を語る」を三部作の作品として公開した。
旧四日市を語るを読む出口さん(2025年年3月撮影)
若い世代に伝えたい出口さんの戦争への思い
賴教授は4月24日、出口さん宅を訪れ、岡野さんが「旧四日市を語る」を発行し続けた動機や戦争に対する思い、出口さんが動画を公開したいきさつなどを尋ねた。出口さんは、1作目公開の後「若い人達が自分で戦争や平和について考えてもらいたい」と続編の制作を複数の高校に依頼するも、実現しなかったことを話した。
昨年、8月に知人に協力してもらい自分で続編を制作し公開すると、四日市市立富洲原中学校から連絡があった。「出口さんが動画制作した思いを直接聞きたい」という生徒の依頼を受け、同中を訪れ生徒と交流を持ったことなどを話した。
【出口さんの話を聞く賴教授(後方左端)や研究者ら】
賴教授の思い
賴教授は「出口さんは四日市の人が体験した戦争や歴史を、次世代に伝えることに熱い思いを持ち、自分たちの研究に必要な人」と感じたという。第六海軍燃料廠が米軍の攻撃を受けて、台湾の人は当時の四日市の人と共通の経験をしている。共通の経験を通し、若い世代に様々な視点からアプローチし、平和への思いを伝えたいという思いで来日した。「過去に自国の人たちが受けたトラウマだけにフォーカスするのではなく、他の戦争の体験談も聞いて理解を深めたい。日本と台湾だけでなく、世界中の人たちと平和への思いをつなげていきたい」と語った。
【第6海軍燃料廠の航空写真を見る台湾の研究者ら】