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【文明論】第9回「ペーパームーン」<前編> 山賀博之(ガイナックス元代表取締役社長)再掲載

にいがた経済新聞

山賀博之 (絵・岸田國昭)

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初回掲載:2024年3月1日

日本でアメリカン・ニューシネマと呼ばれたジャンルは、フランスのヌーベル・バーグと並んで、若い映画人が起こした潮流の一派である。当時を反映した社会性あるテーマは別として、その表現手法に目を凝らせば、現在のハリウッドにも残る指針が見えてくる。

個人の微妙な内面をリアルな外の世界へと投影させる手法は、モンタージュ以来の革命であった。夢の世界一辺倒だったおとぎ話にリアリズムを持ち込んだ功績はあるが、俳優をただ歩いて喋る美術装置のように扱う。と「メソッド」が批判されることも多い。

アメリカはアポロ計画の真っ最中で、良くも悪くも科学的な指針に貫かれている。音楽で言えばテクノだ。映画の内容をすべて、細かな要素に分解して設定化する。状況も感情も人間さえも映画を構成する様々な設定であり、手をかけ泥を落として磨き上げて部品にする。

意外なことに、そこまで乾いた空間はリアルとの相性がいい。不定形なものを定形の器ですくい上げるやり方。いわば現実風味の幕の内弁当だ。私は高校時代、この手法を徹底的に学習した。そして卒業後の進学先は、大阪芸術大学映像計画学科(現、映像学科)に決めた。

1980年。日本の現代の映画を勉強するつもりで入学したが、教室では日本映画の季節はとうに過ぎており、代わりにアニメ映画という新ジャンルの胎動が起きていた。私は1学年のうちに自身の判断で専攻(担当の先生などいないのだ)をアニメに切り替えた。

アニメ分野は一からの勉強となったが、少し様子が分かってくると、これまで学習してきた知識も無駄ではないことに気が付いた。アニメ制作は科学であり、テクノである。ちょうど、フランケンシュタイン博士が怪物を作るようなものだ。問題はそこに魂が宿るかどうか?

在学中に極短いフィルムで実験して、幸運にも卒業直前、いきなり怪物を作る場が与えられた。アニメ映画『王立宇宙軍 オネアミスの翼』を制作。完成したときは24歳。若いと言われたが、そうは思わなかった。これはやっと書き上げた学士論文。言っても大学卒業相当だ。

このとき行った実験テーマとして中心にあったのがペーパームーン効果。自分で名付けたもののなんだか気恥しくて、これまで書いたことも言ったことも無かったが、由来は古いアメリカの流行歌『イッツ・オンリー・ア・ペーパー・ムーン』の次の歌詞にある。

Say it’s only a paper moon Sailing over a cardboard sea
ねえそれって紙のお月さまで ボール紙の海に浮いているの

But it wouldn’t be make-believe If you believed in me
でもね偽物じゃなくなるかも あなたが信じてくれたのなら

「ぜんぶが嘘なのは分かっていながら気持ちしだいでぜんぶが本物に見える」効果のことだ。正にこれこそが、紙に描いた絵で映画を作ることのてきる理由ではないか。16歳から映画制作という錬金術に取り憑かれていた私は、賢者の石でも手に入れたかのような高揚感で怪物生成の手順を考えた。

先ずは、現実の大阪芸大の校舎はコンクリートの建物だが、頭がおかしくなってこれが西洋のお城に見えるようになったら(今では本当にお城が建っている!)どうだろう。から始めた。当時は世界線という概念自体が普及しておらず、現実の景色の変更にはこのような回りくどい手続きが必要だった。

そんなお城ならば、正面の坂を三頭立ての馬車が上って行く… という光景も、黒塗りで古風な金飾りの乗用車と大型バイクがその役に相応しい。そこから1984年の大阪をレトロな西洋っぽい街に置き換えてゆく異世界化(ラブホテル化とも言える)に入る。このやり方には光明があった。

だが、でたらめにしか見えない異世界つまり嘘を、本物に見せるという「効果」はどうしたら現れるのか? 詰まるところ、それを仮説として案出するにも、基本的な認識論へ戻って、そもそも本物に見えるものが出現する理屈を考えてみる必要があった。そうした結果、私はこのモデルに至った。

人間には日常という空間があり、その内から直接に得る情報はあまり警戒せず本物と認識している。ところが外からの情報では急に摂取の方法が変わる。他人の発する間接情報だ。人間はこの間接情報を受け取ると、それが嘘か本物か、すでに本物と認識している内の情報と照らし合わせて判断する。

映画は日常空間の内と外の境界に立てた鏡。というモデルだ。阿倍野の狭い喫茶店が店内を広く見せるために壁面を鏡張りにしているのと同じ。素直な客は広くて落ち着く店だと思うかもしれない。それでも、鏡のあちら側へは行けないことは理解しているだろう。広いのは嘘だが本当だ。

映画は間接情報として100%の嘘を観客の日常へ送り込む。その情報はウイルスだ。日常空間の内にある本物の情報と同じ「鍵」を持っているため、観客の免疫をすり抜けることができる。つまり、その「鍵」の形を見きわめ、でたらめな異世界の事物に付与してゆけばすべて本物になる。

私はこの仮説に確信があった。それでもこれは、「効果」実験用に立てた静的なモデルに過ぎず、怪物の心臓部と考えられていた物語についての考察は保留のままだ。映画には常に先進性が求められてるとはいえ、実際の興行はシャバの商売。学生の実験だけやってりゃ済むってものではない。

「おはなし」を考えることにした。ネタは宇宙計画。理由は色々あるが、はっきりしているのは、それが大阪に住む我々の日常から最も遠い情報だったからだ。(巨大ロボットでは距離感がつかめない)人類初の有人宇宙飛行ガガーリンもマーキュリー計画も南河内の田んぼに引き寄せてやる。

そんな心持ちで、ぼんやり紙片に落書きをしていた。小さく描いた発射の光景。そこにハエのように群がる戦闘機。突き抜けるロケット。戦闘機の彼らは空戦のプロだが、その火を吹いて垂直に上昇して行く物体が何であるか知らない。「これはいける!」と思った真夜中の2時だった。

この段階で、大阪環状線の桃谷駅前の喫茶店で、プロデューサーとなる岡田さんに話をする。タイトルは王立宇宙軍。(どの字を取っても桃谷からは遙か遠い地平線の向こうにある)そして驚くほどの速さで企画が成立。資金を得て、制作段階は花の東京で異世界の構築に入った。

続きはこちら→ 【文明論】第9回「ペーパームーン」<後編> 山賀博之(ガイナックス元代表取締役社長)

山賀博之 (絵・岸田國昭)1962年新潟市生まれ。大阪芸術大学芸術学部を中退し、アニメーション制作の株式会社ガイナックスを設立。同社の代表作である『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(監督・脚本)や『新世紀エヴァンゲリオン』(プロデューサー)をはじめ、『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』(サンライズ 脚本)、『ピアノの森』第2シリーズ(ガイナ 監督)など多くのアニメ作品に関わる。

現在、還暦。フリーライター。新作「蒼きウル」を鋭意制作中。自称「世界奢ってもらう選手権第一位」「大馬鹿者が好き」。

【過去の連載】
【文明論】第1回「駅裏」

【文明論】第2回「みちのく」

【文明論】第3回「古典」

【文明論】第4回「勝ち負け」

【文明論】第5回「バロック」

【文明論】第6回「和魂洋才」

【文明論】第7回「蒼きウル」

【文明論】第8回「リアリズム」

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