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星野伸之、工藤公康、江藤智が移籍した1999年FA戦線の答え合わせ

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星野伸之Ⓒゲッティイメージズ

王ダイエーが初優勝した1999年

日本シリーズで王ダイエーが星野中日を4勝1敗で破り、福岡移転後初優勝を飾った1999年。オフにFA権を行使したのはオリックス・星野伸之、ダイエー・工藤公康、近鉄・香田勲男、横浜・石井琢朗、佐々木主浩、進藤達哉、中根仁、野村弘樹、広島・江藤智、阪神・伊藤敦規の10人だった。

そのうち6人は残留したため、新天地に移籍したのは星野伸之、工藤公康、江藤智、佐々木主浩の4人だった。移籍後の成績を振り返る。

阪神在籍3年で8勝に終わった星野伸之

旭川工業高から1983年ドラフト5位で阪急入団した星野伸之は、130キロ前後のストレートと90キロ台のスローカーブを武器に1987年から11年連続2桁勝利。端正なルックスと細身の体型から「星の王子さま」と呼ばれ、パ・リーグを代表する左腕として活躍した。

すでに通算168勝をマークしていた33歳の左腕は1999年オフにFA宣言し、同じ兵庫県を本拠とするセ・リーグの人気球団、阪神と3年契約を結んだ。1995年からの5年間で最下位に4度沈み「暗黒時代」と呼ばれていた阪神球団はもちろん、ファンや在阪マスコミも含めて大騒ぎとなった。

しかし、移籍1年目の2000年は21試合に登板して5勝10敗。野村克也監督2年目のチームは最下位に沈んだままだった。さらに翌2001年は1勝2敗、2002年は2勝1敗に終わり現役を引退。200勝は達成できず、通算176勝でユニフォームを脱いだ。

工藤公康は巨人在籍7年で53勝

西武の左腕エースだった工藤公康は、ダイエーに移籍して5年目の1999年、11勝を挙げ、最優秀防御率と最多奪三振のタイトルを獲得して優勝に貢献し、シーズンMVPに輝いた。日本シリーズでも優秀選手に選ばれると、その余韻も冷めやらぬうちにFA宣言。福岡のファンは残留を願う署名活動を展開したが、工藤は巨人入りを決断した。

この時すでに36歳だった左腕は、移籍1年目の2000年に12勝5敗で最高勝率に輝き、優勝に貢献。その後も2004、2005年に2桁勝利を挙げるなど巨人在籍7年で53勝をマークした。

2006年オフにFAで加入した門倉健の人的補償で横浜に移籍。引退するまで実働29年で224勝を挙げた。現在はソフトバンクの監督を務めており、昨年まで4年連続日本シリーズを制覇。現役時代から呼ばれていた「優勝請負人」の面目躍如となっている。

江藤智はミスターから「33」譲り受ける

工藤とともに巨人入りしたのが広島の主砲・江藤智だった。1993年と1995年に本塁打王に輝いた長距離砲には阪神、横浜、中日も獲得に名乗りを挙げ争奪戦となったが、長嶋茂雄監督に自らの背番号「33」を譲ると口説かれ、広島で同じ「33」を背負っていた江藤は巨人移籍を決断。4年契約を結び、長嶋監督は2000年から永久欠番となっていた「3」を復活させた。

江藤もミスターの期待に応え、2000年は32本塁打、2001年も30本塁打と活躍。しかし、2002年から成績が下降線を辿り、2005年オフ、FAで加入した豊田清の人的補償として西武に移籍した。巨人在籍6年で打率.256、101本塁打、296打点だった。

2009年に引退した江藤は、コーチとして巨人に復帰。2018年までユニフォームを着続けた。

佐々木主浩はマリナーズで7勝129セーブ

1999年オフにFA宣言して唯一メジャー挑戦したのが横浜・佐々木主浩だった。

重い速球と鋭く落ちるフォークを武器にクローザーとして1998年の優勝に貢献するなど「大魔神」と呼ばれた佐々木は、FA宣言してマリナーズ入り。4年間で7勝16敗129セーブをマークした。

2004年に横浜に復帰して2005年に引退。日米通算50勝54敗381セーブの成績を残した。

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記事:SPAIA編集部

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