上越商工会議所に渋沢栄一の書「勤與倹創業良図」 高橋会頭の曽祖父が揮ごうを依頼
20年ぶりに発行された新紙幣の1万円札の肖像となった、日本資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一(1840〜1931)の書が、新潟県上越市新光町1の上越商工会議所に飾られている。高橋信雄会頭(73)の曽祖父で、同商議所の前身となる直江津商工会議所の高橋喜六会頭が、商工会議所の創設者である渋沢を訪ねて揮ごうを依頼したと伝わる。
書は「勤與倹創業良図」と書かれており、同商議所などによると、「勤と倹は創業の良図なり(きんとけんはそうぎょうのりょうとなり)」と読めば、字義から「心を込めて勤め倹約であれば創業するのによい計画が出来る」という意味に推測されるという。
《画像:渋沢栄一の書と高橋会頭》
高橋現会頭が社長を務める高助コーポレーション(当時高助)の2代目社長だった高橋喜六氏は、1925年(大正14年)から1943年(昭和18年)まで18年にわたって直江津商工会議所の会頭を務めた。直江津商工会議所は新潟に次いで県内で2番目となる1899年(明治32年)に設立し、全国で唯一、町制(直江津町)の地にある商議所だった。
渋沢揮ごうの書は対になっており、もう一つは「寛而約齋家妙決」と書かれている。「寛にして約、齋家に妙決なり(かんにしてやくせいかにみょうけつなり)」と読めば、「広い心を持ち控え目であれば家を治め整えるのに究めて優れた判断が出来る」という意味に推測され、現在は高助コーポレーションが所蔵している。
《画像:解説文なども掲示されている》
二つの書には「九十翁青淵(青淵は渋沢の雅号)」の落款(らっかん)があり、1931年(昭和6年)に91歳で死去した渋沢の晩年の作。直江津商工会議所の2階ホールに飾られていたが、1943年(昭和18年)に戦時統制で直江津商工会議所が解散した後は同社に受け継がれていた。創業100年を迎えた1999年に、現会頭の高橋信雄社長が商議所にふさわしいと「勤與倹創業良図」の書を寄贈していた。
書は歴代の会頭の写真や解説文などとともに、同商議所2階の会議室に飾られている。高橋会頭は「時代に合わせて一生懸命働き、倹は現在では合理性や無駄なことをしないということだと思う。完璧に今でも通じる言葉で、そこが渋沢の素晴らしさ」と語る。新紙幣の肖像となった渋沢の残した書を改めて眺め、「早くから商議所を設立し、先取の心を持った経済人がこの地にいたという基礎がある。先人が築いてきた上越の経済を盛り上げていかなければならない」と語った。