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疲れた現代人に休息法を伝授する。アート魂息づく出雲の癒やしの館

さんたつ

目利きの夫婦が自身の審美眼に適った〝とっておき〟でもてなすアート宿。モノだけでなくヒト・コトまで吸い寄せられるように集まるのは、「ご縁」にまつわる神話の地ならではかもしれない。

はたご小田温泉

今回の“会いに行きたい!”

女将の石飛成夏(いしとびはるか)さん・館主の石飛硯一郎(けんいちろう)さん

小田温泉 はたご小田温泉 (島根県出雲市)

窓を開けるとサラサラと流れる川のせせらぎ、鳥のさえずり、虫の鳴き声、サワサワと風に揺れる葉ずれの音が聞こえる。

目にまぶしい新緑のグリーンが、スマートフォン漬けの現代人の疲れた心と目に染(し)み入る。

宿をキャンバスに見立てた先代の遊び心に出合う

神話の国、出雲。多伎(たき)町にあるはたご小田温泉の創業は、大正11年(1922)。

3代目の故・石飛鴻(こう)(本名:赳<たけし>)さんは家業のかたわら書画家として数々の賞を受賞した芸術家で、宿をキャンバスに、独自の世界観で水墨画を描き、焼き物を作って、個性的な「現代はたご」を創り上げた。

「義父は斬新な発想の持ち主。見た目も格好よくて、いかにも芸術家然とした人でした。あるとき『俺は負けた』と言って帰ってきたんです。何かと思ったら、『俺はピカソに負けた』って(笑)」と、硯一郎さん。

展覧会でピカソの作品を見て落ち込んだエピソードなのだが、ピカソに競争心をもつこと自体、凡人と違った感性のもち主といえるだろう。

現在の建物は昭和63年(1988)に建て替えた木造家屋で、館内のあちこちに書画をはじめとした先代の創作魂が息づいている。

なかでも遊び心にあふれ、入る人の心を高揚させてくれるのが風呂の造形である。

「飛天の泉」は、日本を代表する焼き物の産地、佐賀県有田町で特注したタイルを使用したもので、空を舞う天女や鳳凰(ほうおう)、水中怪魚など、先代が藍で描いた水墨画を染め付けてある。まるで異世界へと誘うかのごとく、湯の中で揺らめく天女が出迎えてくれる。

白磁のタイルに藍の染め付けで飛天や山水図などが描かれた「飛天の泉」。男女入れ替え制。
湯船の内壁では天女が揺らめく。 
立派な梁と柱がのぞく吹き抜けのロビー。

休み方を知らないあなたへ。
温泉宿で、本物の癒やしを

4代目夫妻に代替わりしたのは2017年のこと。婿である硯一郎さんが「石飛」姓になったのは、実はその後、つい最近の話である。

「長男でしたから、なかなか踏ん切りがつきませんでしたが、やっとこの宿を継ぐ覚悟が決まりました」

その後、趣はあるものの、部屋にトイレがなく、不便が多かった客室を2018年にリニューアル。コロナ禍の2020年に貸切風呂、2021年には食事処、客室の防音、廊下の床の張り替えなど、さらなる改装に踏みきった。

宿づくりのコンセプトは、「五感を開放して、元気をチャージして還れる宿」である。

「大きなストレスにさらされるなか、心身ともに自己解放をして、自分自身を癒やしていく。今、まさにそういうことが求められていると思うんです。そのお手伝いをさせていただき、ヒントをお伝えするのが私の仕事だと思っています」と成夏さん。

25畳の大広間を2間続きのバリアフリールームに改装した「萩の間」。
「萩の間」には3代目が屛風に多伎の海の漁火(いさりび)風景を描いた水墨画作品も。
3代目は料理も作れば器も作った。かつては敷地内に窯があったそう。
若い頃、美術商だった硯一郎さん。日帰り利用もできる料亭・茶寮清泉亭で、季節ごとに掛け軸を替える。

島根県が進める観光プロモーション「美肌県しまね」の助成を受ける第一号案件として採択され、2020年12月に造ったのが、貸切風呂「豊玉の湯」だ。

材質は香りのよい檜。調光可能な照明設備を付け、揺らめくろうそくの炎を眺めながら、瞑想(めいそう)のようなひとときを過ごし、五感を刺激するメディテーションバスである。

お客さまに配るコンセプトブックには、「がんばり方は知っているけれど、休み方を知らないあなたへ。」とキャッチコピーがつけられた。

ターゲットは日々を忙しく走り回る女性を想定していたが、蓋を開けてみたら、ホームページを見た年配のご夫婦が「そんな宿なら、ぜひ行ってみたい」と遠くからわざわざ訪れてくれた。

「本物の癒やしを求めている人は多い」と再認識した瞬間だった。

貸切風呂「豊玉の湯」。車イスで入ることができるバリアフリー仕様で、足湯のみでも利用可能。

「もろみ味噌」の野菜は3時間かけて刻む

「安心して鎧(よろい)を脱ぎ、くつろいでもらう場を作りたい」。こう考えた石飛ご夫妻は、自分たちの好きなもの、心地いいと感じるものを取り入れた。

特に料理には力を入れている。例えば、塩は満月と新月に釜で炊く「藻塩」、砂糖はトウモロコシから作った「フルクトース」を採用、本みりんは芳醇さを求めて松江から。醬油は昔ながらの製法で造った無添加のもの。「もろみ味噌」は野菜を刻むだけで3時間かけ、14種類の食材で手作りする。地域ブランドの「出西(しゅっさい)しょうが」は大豆と一緒に植えることで農薬を使わない生産者から仕入れている。

「探してもなかなか出合えない。すべてご縁です」と成夏さんはほほえむ。

割り箸の使い捨てを減らすために取り入れたのが「ご縁箸」。出雲大社の表参道にある箸店のもので、糸へんにひらがなの「ご・え・ん」が一体となった合わせ文字が記されている。箸には、持ち帰ったあとに万九千(まんくせん)神社のお焚(た)き上げ祭に奉納することができるよう、郵送用封筒も付けた。

「出雲はお箸発祥の地。ヤマタノオロチ伝説で有名なスサノオノミコトは、斐伊川(ひいかわ)で箸を拾ったことから、イナダヒメのもとに導かれたんです」と成夏さん。神話を知ると、出雲への愛着も深まる。

今年始めた「はたごのお昼寝会」は、「ぐっすり気持ちよく眠る」をテーマにした日帰りイベント。脳が過活動気味の人、介護や育児で眠れない人などが対象だ。

イベントは、香りで心と体の状態を分析する「嗅覚反応分析」、心の緊張を解く「ライアー(竪琴)と詩の朗読」のほか、インドやスリランカの伝統医療・アーユルヴェーダに基づいて手作りした「女将のクラフトコーラ」付き。宿泊に限らず、癒やしの場を提供していこうと動いている。

夕食の一例。体に負荷がかかりにくいよう、塩・みりん・醬油など、調味料からこだわっている。農薬を使わない出西しょうがは生産者も選び抜いた。
「ご・え・ん」の合わせ文字が書かれた箸は、夕・朝食で使ったあとは持ち帰ることができる。
襖(ふすま)の引き手にも3代目の遊び心が。「萩の間」の引き手は「小田温泉」の文字が染め付けられた陶器製。

『はたご小田温泉』の詳細

はたご小田温泉
住所:島根県出雲市多伎町小田208-3/アクセス:JR山陰本線小田駅から徒歩8分(送迎あり、要予約)

取材・文・撮影=野添ちかこ
『旅の手帖』2023年9月号より

野添ちかこ
温泉と宿のライター/旅行作家
神奈川県生まれ、千葉県在住。心も体もあったかくなる旅をテーマに執筆。著書に『千葉の湯めぐり』(幹書房)、『旅行ライターになろう!』(青弓社)。最近ハマっているのは手しごと、植物、蕎麦、癒しの音。

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