大本で語られる般若心経で省かれている観音菩薩が登場する場面とは?【般若心経】
観自在菩薩(かんじざいぼさつ)
お経は難しく、わけがわからないと思われがちですが、実はどのお経も、一幕もののドラマ(劇)になっています。
般若心経も同じです。ただし、般若心経はやや特殊で、ドラマの舞台や設定の説明がなく、核心部分から始まっています。だからこそ短い文字数で深遠な内容を説けるのですが、より真の意味に近づくには、その前提を知っておくことが役立ちます。
般若心経には省かれている前段がある
実は玄奘訳の般若心経は、「小本」と呼ばれる核心部分のみのお経です。別に「大本」と呼ばれる前段・後段つきの般若心経が存在します。その最初には、こんな場面が描かれています。
霊鷲山(りょうじゅせん)という山の頂上にお釈迦様が坐し、聴衆は説法を待っていますが、お釈迦様は瞑想(めいそう)に入ったまま口を開かれません。
すると聴衆のひとり、観自在菩薩が、お釈迦様の瞑想に感応するように瞑想に入ります。小本の般若心経はここからはじまります。観自在は、観世音(かんぜおん)、観音(かんのん)ともいい、この名のほうが有名です。玄奘の時代からそうでしたが、玄奘は観自在と訳し直し、あえてこの名を用いました。
仏教史上、最も人気のある菩薩として信仰を集める観音菩薩ですが、ここでは在家の求道者のひとりとして登場します(もともと菩薩は「求道者」という意味)。
般若心経の主要な語り手は観自在菩薩ですが、その状況を導いたのはお釈迦様なので、やはり実質は仏説、つまり「お釈迦様の言葉」なのです。そして、「観(み)ること自在」という語り手の名は、ここからの展開に深く関わっていきます。
【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 般若心経』
著:宮坂宥洪 日本文芸社刊
執筆者プロフィール
真言宗の僧、仏教学者。1950年、長野県岡谷市生まれ。高野山大学仏教学科卒。名古屋大学大学院在学中、文部省国際交流制度でインド・プネー大学に留学し、哲学博士の学位取得。岡谷市の真言宗智山派照光寺住職。