アカデミー賞国際長編映画賞受賞ほか世界の映画賞を受賞した『アイム・スティル・ヒア』、「今こそ観ておきたい映画」と〝推す〟理由
1964年3月31日、ブラジル。軍部のクーデターにより民選政府は崩壊し、軍事独裁体制となって、議会の権限は制限された。広範な権限が与えられたカステロ・ブランコ大統領の「軍政令第1号」の発令によって労働党などの選出議員は政治犯として権利を剥奪された。連邦下院議員のルーベンス・パイヴァはブラジル労働党からサンパウロ州選出の政治家だったが、僅か1年数カ月の議員資格を剥奪されている。ルーベンスは政界から身を引き土木技師として復職して、妻・エウニセ、そして4人の娘と息子1人の子どもたち一家は、サンパウロからリオデジャネイロに移住し、穏やかな暮らしを送っていた。だが、彼と行動を共にしていた亡命した友人やその家族の支援はつづけていた。
1970年、サッカーW杯・メキシコ大会でブラジルが優勝。国民的な祝祭に沸く裏で弾圧・抑圧が深まっていた。言論・報道の自由もなく、令状なしでも逮捕・拘束・尋問が合法化されていた。この年の暮、スイス大使誘拐事件を機に、軍の抑圧は市民へと雪崩のように押し寄せる。明けて1971年1月20日、軍はルーベンスを自宅から拉致連行する。以後、消息不明となり、その行方を追う妻のエウニセも拘束されて、過酷な尋問を受ける。自由を奪われ絶望の淵にいた12日間の収監に耐えながらも、夫ルーベンスの行方を探し求める。残された彼女たち一家は再びサンパウロに転居。エウニセは5人の子どもを育てながら法律家への道を歩むためにマッケンジー大学法学部に学ぶ。最愛の夫を連れ去られたエウニセは、怯むことなく声を上げつづけた。そして夫の名を呼びつづけた〈I’m Still Here〉(私はまだここにいる)と。民主的な時代が再びブラジルに訪れるのは、まだ先のことである。
本作のウォルター・サレス監督は、幼い頃ルーベンス・パイヴァ家と親交があったことなど私的な結びつきや記憶とともに、その一家の長男のマルセロが回想録を2015年に著したことなど心揺さぶられたこともあったが、この〝事件〟の悲劇を今こそ語らなければ…と映画化に踏み切らせたブラジル国家の政治的背景もある。わずか55年前に軍事政権下で消息を絶った政治家ルーベンスと、夫の行方を追いつづけた妻エウニセの闘いの軌跡の実話が問いかけるものは、静かだが、決して小さい〝声〟ではない。〝民主的な顔をした独裁〟が理不尽に我がまま勝手に世界を揺るがしていることを忘れていけない。
本作は、第81回ヴェネツィア国際映画祭脚本賞受賞、第82回ゴールデングローブ賞ではフェルナンダ・トーレスがブラジル人女優として初めて主演女優賞に輝いた。第97回アカデミー賞では、ブラジル映画史上初となる作品賞ノミネートを含む3部門に名を連ね、国際長編映画賞を受賞。因みにエウニセを演じた主演のフェルナンダ・トーレスと、老年期を演じたのはトーレスの実の母、1929年生まれのフェルナンダ・モンテネグロである。彼女は70年以上にわたり舞台、テレビ、映画の全てで活躍、「ブラジル演劇界のグランダム(貴婦人)」と称される国民的女優。母と娘、二代にわたって過去を語り継ぐことの尊さを訴えてくれた。
『アイム・スティル・ヒア』
8月8日(金)新宿武蔵野館ほか全国ロードショー
配給:クロックワークス
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公式H P : https://klockworx.com/movies/imstillhere/