[切迫早産で管理入院3ヶ月~出産まで](3)入院で体力ダウン!無痛分娩編
裁縫の苦手な私が、入院中に作った赤ちゃんのおもちゃ
妊娠37週を過ぎ、「無痛分娩」による計画出産を選択しました。「切迫早産」で入院し、胎児の頭が降りてきていた状態にもかかわらず、子宮口は固く閉じたまま陣痛が来る気配は全くありませんでした。
私が「無痛分娩」を選択した理由とは?
私が無痛分娩を選択した理由は「安静入院3ヶ月で落ちた体力を、出産で使い切りたくないから」。子育てに実家の援助が得られないので、産後の子育てに少しでも体力を残しておく必要があると思ったからです。
それでも麻酔を使うリスクがあるので、気軽に選んだわけではありません。信頼できる医師と設備の整った病院、入院仲間からの本音で語られるリアルな情報があったからこそ、踏み切れたことだと思います。
陣痛の痛みはどんな感じ。生理痛が重いくらい?
私は、初潮の頃から生理痛が重く、25日周期で月に2回あることも。その上、毎回出血も多量だったので、陣痛にも耐性があるだろうと思っていました。
ところが、出産予定日前日の朝、陣痛促進剤の投与で前駆陣痛が始まると、「1tの重りを腰にぶら下げてダンプカーで引っ張られている」かのような未経験の痛さ!
朝食も口にできず、ベッドの上で苦しんでいる私に、看護師さんがカーテンで目隠しをして「産むときは体力いるから食べて!これ内緒よ」と、お碗のご飯をおにぎりにして食べさせてくれました。前処置の「導尿」のときと同様に、看護師というプロフェッショナルな仕事ぶりに、改めて感動させられました。
精神的に極限状態!窓が無い密室の「陣痛室」に一泊
陣痛間隔が狭まり、陣痛室なる窓の無い部屋に移動しました。入院仲間からの情報だと、陣痛が長引き、ここで3泊した人もいるとか。おなかの張り具合を調べる機械(NST)を装着し、痛みと不安を抱えながら一晩過ごしました。
麻酔を使う無痛分娩なので、痛みに耐えられなくなると陣痛室からナースコールで医師を呼びます。背筋に冷たい感触が走る麻酔液は気持ち悪いのですが、これが本当の背に腹は替えられない状況。
陣痛が弱くなるからと最小限の麻酔回数ですが、無痛分娩は痛みが無い「無痛」ではなく、痛みを緩和する「和痛」という感じでした。さらに陣痛間隔が狭まり、いよいよ分娩室に出陣です。
出産の痛みが「鼻からスイカを出すくらい」は本当?
私のバースプランには、照明はなるべく落とし胎内の環境と分娩室のギャップがありすぎないこと、リラックスできるようにBGMを流していること、家族の立ち会い出産であることなどを書いていました。
陣痛が本番を迎えると、医師から「思いっきり叫んでいいから、とにかく声を出して!」と言われ、隣の部屋まで聞こえるほどの大声で「もう無理―!」を連発しました。
分娩所要時間4時間7分。長すぎるへその緒が赤ちゃんの首に2回巻き付いていたため、分娩時間が長くなり出血も多量。もう少しで帝王切開に切り替えるという寸前で、助産師さんがクルッと赤ちゃんの頭を回して取り出してくれました。
元気な産声が聞こえて、「終わった…やっと終わった」。無痛分娩のおかげか、分娩そのものは「鼻からスイカ」という程ではありませんでした。それより、子宮収縮不全で医師がおなかを手で垂直に押し、胎盤などを排出する「後産」のほうが10倍苦痛でした。
激痛順位は「陣痛」「後産」「おっぱいマッサージ」
出産で疲れた体を数時間休めたあとは、赤ちゃんが泣く度に新生児室に呼ばれて、母乳を与える練習が始まりました。
出産したら自動的に母乳が出てくると思っていた私には大誤算。このとき看護師さんから施される「おっぱいマッサージ」が地味に痛く、赤ちゃんもまだ上手に吸えないため、スムーズに授乳できるようになるには数日を要しました。
心が折れそうになっていた私に「○mlも出たじゃない!私なら自信持っちゃうけどな」と励まされ、その一言が母乳育児を子どもが3才になるまで続ける支えになりました。
「おっぱいマッサージ」の他、中腰で行う沐浴指導もつらく、自宅に戻ったあとも乳腺炎・腰痛・腱鞘炎とトラブルは続きます。赤ちゃんが生まれてくるタイミングを尊重してあげられなかった呵責は、帰宅後に訪れた「産後うつ」の原因にもなりました。
妊娠したことで初めての体験が重なり経験値が上がりました。未知の世界が開き、人として一回り大きくなったと思います。
そして出産は、「正解」などない育児の始まり。出産の苦しみ同様に、それから先にある沢山の悩みや心配な事も永遠に続くものではなく、過ぎてしまえば懐かしく感じることも。
これから子どもが経験する痛みは、ママが代わってあげることはできません。そのほうが自分の体に感じる痛みより大きいと思いました。
[チャーミー小結 * プロフィール]
フリーランスで働く1児の母。子育ての無知を知り、保育士資格の勉強や、子育て支援のリーダーとして活動した経験を持つ。産後の手伝いに来た実母と義母の揚げ物攻撃に遭い、乳腺炎で桶谷式マッサージに通う。
※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。