Yahoo! JAPAN

最期は誰が看取る? ホームレス/ハウスレス~札幌発・生活困窮者の今と支援(第4話)ホームレスを支援する元ホームレス・その2

Sitakke

Sitakke

→前回:【第3話】俺はもう死ぬんだ ホームレス/ハウスレス~札幌発・生活困窮者の今と支援(第3話)ホームレスを支援する元ホームレス・その1

出会い

島田省治さん(59歳)

北海道北部の小さな町から国家公務員になり、霞が関でも働いたエリートが、一転、ホームレスとして辛酸をなめることになりました。

「俺はもう死ぬんだろうな」

島田省治さん(59歳)はそう思いながら、一日一日のねぐらを探す日が続きました。ギャンブル依存症になって多額の借金を抱え、にっちもさっちもいかない状況でした。

それでもパチンコ店に入って、無料で配られているせんべいや飴を口にしながら、時間を漂うように過ごしていました。

その路上生活で、同じ境遇の男性からある情報を耳にします。

(男性)「あした、『炊き出し』あるの知ってる?」
(島田さん)「『炊き出し』って?」
(男性)「食べ物や服を配ってくれるんだよ。○○の○○(場所)で」
(島田さん)「えっ!ホント?」

(イメージ)

島田さんは翌日、待ちきれない思いで会場へ向かい、炊き出しで出されたカレーライスを夢中で頬張りました。

「美味しくて、美味しくて、お代わりしたのを覚えています」

出会いは、その帰り道で、ある男性から声をかけられたことでした。

(男性)「なんか、仕事してんのか?」
(島田さん)「いいえ、何も」
(男性)「うち来て、働いてみるか?」
(島田さん)「どんな仕事ですか?」
(男性)「まぁ、事務所で話しするか…」

仕事は、生活困窮者の自立を支援するNPO法人で、施設の職員として働くことでした。

「俺自身が困窮者なんだけど、何かできるのかな…」

そう思った島田さんでしたが、その日から住む所と賄いの食事が得られると聞いて、二つ返事で応じました。## 「自分自身がそうだったからね」

(イメージ)

そのNPO法人では、かつて国家公務員の文書係として身につけた事務仕事の経験を活かし、困窮者の就業支援や助成事業を得るための手続きなどを担当しました。施設では、自分も住み込んでほかの困窮者と一緒に暮らし、同じ屋根の下で同じ釜の飯を食べ、家族のように接して過ごしました。

しばらくして、函館にも同じような施設を作ることになって責任者として赴任し、水を得た魚のように働きました。

さらには札幌へ戻って、当時、北海道内に点在していた困窮者の支援団体をつなぎ、情報交換をし合う組織の事務局長に就任しました。

また、女性の困窮者も一時避難できる専門の施設の立ち上げにも携わりました。

「支援団体の仕事をしていて、電話を受けるんですね、困窮者から。その時、女性から支援を求める連絡も結構あったんです。でもその時は、一時避難できる施設は男性のためのものしかなかったんです」

「女性の場合、風俗業界で働く困窮者もいるんですが、経済的な問題だけでなく、障害があって、それゆえにほかの仕事に就くことができなくて、働いている人もいるんです」

「弱い立場には、さらに弱い立場があって、そういうところにいる人は、自分が孤立していることすら気づかないんです」

やらなくてはならないことが、次から次へとありました。

一人一人への対応は、どの人も違い、応用は利きませんでした。

でも、困窮者がおなかいっぱいご飯を食べて、何気ない会話をして笑い合う姿を見ると、ほっとしました。

「自分自身がそうだったからね」

「わかってるんですけどね…」

島田さんが服用している治療薬

しかし島田さんは、紆余曲折があって、今、支援団体の仕事から離れています。

支援をすることには、困窮者の生活に関わる金が動き、その使い方を巡っては様々な立場や見解があります。例えば、困窮者が生活保護の受給資格を得たとしても、自分で部屋を借りることができない人がいます。病気を抱えて、自分で通院できない人もいます。話し相手がほしいと感じても、なかなか人の輪に入ってゆくことができない人もいます。

路上生活や一時避難所から出てアパート暮らしができたとしても、そうした目に見えにくい問題が困窮者を待ち受けています。

では、その人たちに、誰が、どういう形で関わるべきなのか。ビジネスライクにサポートを請け負う会社もありますが、島田さんは違う形での関わり方を模索しています。

「ご飯を一緒に食べる、おしゃべりをする、そんな当たり前のことを、支援などと思わないで、自然にみんなで助け合うことって、できないんですかね…」

「理想と現実が違うってことは、わかってるんですけどね…」

島田さんは現在、自分自身が生活保護を受けながら、新たな就業のチャンスを探っています。身体はギャンブルと酒に溺れていた頃の後遺症が残り、痛み止めなどを服用しながらリハビリを続ける日々です。

「ホームレス」と「ハウスレス」

(イメージ)

「ホームレスと」と「ハウスレス」の違いは何でしょうか?

街角で野宿する人たちを見かけることが少なった一方、インターネットカフェや車の中で暮らす人が増え、困窮者の実態が見えにくくなっています。

こうした時代に、経済的に困窮して家や財産を失う人を「ハウスレス」と呼び、野宿して、家族や知人との縁が切れて孤立する人を「ホームレス」と呼ぶ分け方があります。

では、野宿をしていた人が自立してアパートに入ったとしても、あるいは、インターネットカフェや車中で雨露をしのぐことができていたとしても、一緒にご飯を食べたりおしゃべりをする人がいなかったり、「最期は誰が看取ってくれるのだろうか」という不安を抱えて、孤立したままの人の支援は、誰がすべきなのでしょうか?

肩を並べて

(左)H.Yさん (右)島田さん

島田さんは、自分がかつて仕事で関わった困窮者のその後が気になり、時々、訪ねています。

「何してた?ゆで卵つくったから、持って来たよ」

この日訪ねたのは、第1話と第2話で紹介したH.Yさんの部屋でした。

(H.Yさん)「テレビ、観てましてん」
(島田さん)「何の番組?」
(H.Yさん)「いや、何ってことはないんやけど」
(島田さん)「そう言えば、通帳、作ったかい?」
(H.Yさん)「この前、銀行、行ったけど、書類が足りんて言われて、まだですねん」
(島田さん)「じゃあ、今度、一緒に行こうか」
(H.Yさん)「助かるわ」

今月、島田さんは、H.Yさんに付き添って銀行へ行き、通帳を作る手順を確認して、H.Yさんは新たな通帳を手にすることができました。

(H.Yさん)「あ~、これで保護費の受け取りが楽になるわ…」
(島田さん)「落とさないように、ちゃんと仕舞って置くんだよ」
 

別れ際、島田さんは「ちょっと別に行く所があるからさ、H.Yさん、一緒に行く?」と言って、買ったばかりと言う電球を私に見せてくれました。

「H.Yさんの近くに住んでる女性の困窮者の人、以前、仕事で関わった人なんだけど、『電球切れたから、買って来て』って言われてたので、仕事場に持って行ってあげようと思って…」

2人は肩を並べて、その女性が働く事務所へ向かって行きました。

足元は、三寒四温の日が続いて、雪がザクザク、歩きにくい道でした。

***

路上生活者はこの十数年で減り、街角でも見かけることが少なくなりました。そ の一方で、車の中やインターネットカフェを転々としながら暮らす人が増え、生活困窮者の実態が見えにくくなっています。ハウスレスという言葉をご存知でしょうか?ホームレスとハウスレスの違いは何でしょうか?

生活困窮者がそうした暮らしを続ける理由は多様です。経済的な問題だけではなく、家族や職場とのトラブルから居場所をなくして孤立する人、障害や精神疾患があって社会への適応が難しい人、依存症になって治療を要しながらもその伝手を得ることができない人、一旦は生活保護の受給を得てもまた路上に戻る人など様々です。

冬には-10℃を下回る厳しい環境の札幌で、ホームレスの人、ハウスレスの人、彼らを支援する人…。この連載企画では、それぞれの暮らしと活動に向き合って、私たちのすぐそばで起きている貧困と格差の今を考えます。

◇文・写真 HBC油谷弘洋

【関連記事】

おすすめの記事