「節税しただけ」なのになぜ逮捕?エンジェル税制、節税と脱税の境界線
会社の株を売って20億円の利益が出ると、所得税と住民税で約4億円がかかります。ところが、このうち所得税・復興特別所得税分の約3億円をかからなくできる制度があります。
スタートアップ投資を優遇する「エンジェル税制」です。
この制度を使って所得税約3億6,700万円を脱税した疑いで、会社役員の男性が7月23日に横浜地検特別刑事部に逮捕され、8月12日に所得税法違反の罪で起訴されました。エンジェル税制をめぐる脱税事件での逮捕は、1997年の制度開始以来初めてと報じられています。報道によれば、本人は「節税しただけ」と説明していたとされます。
同じ制度を使っても、どこまでが節税で、どこからが脱税とされるのでしょうか。その分かれ目を税理士に聞きました。なお、現時点で有罪が確定したわけではありません。
要件を満たせば、税金約4億円のうち3億円が消える制度です
報道によると、元社長は2023年4月に自身が経営していた焼き肉チェーン運営会社の株式を売却し、その売却益約20億円を知人が経営するスタートアップ企業に投資して、エンジェル税制の適用を受けたとされます。
まず前提として、会社の株を売って得た利益には、原則20.315%の税金がかかります。内訳は所得税15%、復興特別所得税0.315%、住民税5%です。20億円の利益なら合計4億630万円で、うち所得税と復興特別所得税が3億630万円、住民税が1億円という計算になります。
ここで効いてくるのが、令和5年度改正で新設された「プレシード・シード特例」です。株式を売却した資金を創業間もないスタートアップに再投資した場合、その譲渡益に課税しない措置で、譲渡益から控除した金額が20億円以下であれば、投資した株式の取得価額を調整する必要がなく、そのまま非課税になります。20億円を超えた部分は取得価額から差し引かれるため、将来その株式を売ったときに課税されます。これが「20億円までは非課税、超える部分は繰り延べ」と言われる仕組みです。2023年4月1日以降の再投資に適用されます。20億円の売却益をこの特例の対象となる投資に充てれば、所得税の計算上は譲渡益がゼロとなり、3億630万円がかからない計算です。
ただし、この非課税措置は投資段階の所得税の制度で、個人住民税には同じ特例が設けられていません。正規に使っても住民税5%分の約1億円は残ります。それでも所得税等だけで3億円が動くのですから、「節税しただけ」という言い分が出てくる理由は分かります。使われた制度そのものは、国がスタートアップ育成のために用意した正規の優遇措置だからです。
税務上の整理としては、払込みの形式は整っていても、資金が投資先の事業に使われず出資者側に戻っているのであれば、その払込みは事実認定として投資の実態がない、つまり、仮装された行為と評価され、そもそもエンジェル税制の適用要件を満たさないという構成になります。要件を満たしたうえで制度を使うのが節税、要件を満たさないのに満たしたように見せかけるのが脱税で、境界はここにあります。
検察が問題視した核心は「投資に実体があったのか」です
報道でポイントとなっているのが、投資したはずの資金がその企業の活動に使われた形跡がなく、大部分が本人の関係する別会社へ還流していたとされる点です。地検と東京国税局査察部は、こうした資金の流れなどから投資に実体がなかったと判断し、立件に踏み切ったとみられています。
エンジェル税制は、お金の集まりにくい創業期の会社に資金を供給したことへの見返りとして、税負担を軽くする制度です。出したお金が自分側に戻る構図があれば、その前提を満たしているかが当然に問われます。
ただし、資金が関係先へ流れたという事実だけで、直ちに脱税になるわけではありません。実際の資金使途、契約関係、当初から還流が予定されていたかどうか、本人の認識といった事情を含めて、刑事責任の有無は今後の裁判で判断されます。地検は起訴後の認否を明らかにしていません。
重加算税なら原則35%。3億6,700万円では済まない可能性も
節税と脱税を分けるのは、金額の大きさでも、使った制度の名前でもありません。事実をそのまま申告しているかどうかです。
実体のない投資を、実体があるように見せて申告すれば、所得税法第238条第1項の「偽りその他不正の行為」に当たり得ます。罰則は10年以下の拘禁刑もしくは1,000万円以下の罰金、またはその併科です。脱税額が1,000万円を超えるときは、情状により罰金の上限が脱税額に相当する金額まで引き上げられます。
金銭的な負担も本来の税金だけでは終わりません。仮装や隠蔽があったと税務上認定され、過少申告に対する重加算税の対象となれば、原則35%が課されます(国税通則法第68条)。仮に3億6,700万円を基準に単純計算すれば約1億2,845万円で、さらに延滞税が加わります。しかもこの3億6,700万円は所得税だけの金額です。エンジェル税制の非課税措置がもともと住民税には及ばないことを踏まえれば、住民税分は別に残る計算になります。
「税金を減らせます」と近づいてくる人がいます
会社や株式の売却でまとまった利益が出れば、税額も億単位になることがあります。そうした場面では、「税金を減らせます」という提案が持ち込まれることもあります。
エンジェル税制そのものは、要件を満たせば正当に利用できる制度です。プレシード・シード特例の代表的な要件としては、投資先が設立5年未満であること、営業損益が赤字であること、売上や研究開発費等について一定の条件を満たすことなどが定められています。要件は設立からの経過年数や投資方法によって異なり、外部資本要件や都道府県などの確認手続きも必要です。
投資のタイミングにも注意してください。事件当時は、売却益が生じた年内に投資を実行する必要がありました。現在は令和7年度税制改正により、2026年1月1日以後に取得する株式について、譲渡益が発生した年分の確定申告時の手続きを前提に、再投資期間が翌年末まで(最大2年間)延長されています。あわせて、非課税措置の適用を受けた株式には取得した年の翌年末までの保有期間が設定されました。
そのうえで、要件の確認より先に見るべきものがあります。投資先が本当に事業をしているかどうかです。紹介された会社に、自分の出したお金が戻ってくる仕組みが組み込まれていないか。逮捕を受け、中央大学の国枝繁樹教授(財政学)は時事通信の取材に対し、プレシード・シード特例について「適用の要件が緩い。形式さえ整えれば、イノベーションが期待される企業以外も投資の対象になってしまう」と指摘。20億円の控除枠も「あまりにも大きすぎる」とし、投資によるベンチャー企業への効果を検証する仕組みがないため不正を生みやすい構造だと述べています。
まとめ
エンジェル税制は、要件を満たせば20億円までの売却益について所得税がかからなくなる強力な制度で、20億円の利益なら所得税等3億630万円が動きます。今回立件に至ったのは、投資したはずの資金が本人の関係先に還流し、投資の実体がなかったと捜査当局が判断したためとみられており、有罪かどうかはこれから裁判で判断されます。会社や株の売却で大きな利益が出る場面では、持ちかけられた節税策をうのみにせず、実行前に税理士へ相談してください。