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真鍋島 ~ ノスタルジックな路地が印象的 「五里五里」と呼ばれる島

備後とことこ

真鍋島 ~ ノスタルジックな路地が印象的 「五里五里」と呼ばれる島

笠岡諸島・真鍋島は、笠岡市住吉港からおよそ五里(約20キロメートル)、香川県多度津港からもおよそ五里と、瀬戸内海の航路のほぼ中間に位置していたことから「五里五里」と呼ばれてきました。

のどかな漁村のたたずまいが残り、岡山県の「ふるさと村」に指定されています。

映画などのロケ地となった木造校舎「真鍋中学校」や、春の伝統行事「真鍋島走り神輿(みこし)」が有名です。

実際に訪れて細い路地を散策すると、まるで冒険気分。観光客を見つけると顔を出す猫たちも愛らしいです。

真鍋島の概要と見どころを紹介していきましょう。

笠岡諸島とは

笠岡諸島は、岡山県の南西端の笠岡市沖にある、大小31の島々です。そのうち有人島は、以下の7島。

・高島(たかしま)
・白石島(しらいしじま)
・北木島(きたぎしま)
・真鍋島(まなべしま)
・大飛島(おおびしま)
・小飛島(こびしま)
・六島(むしま)

大飛島・小飛島をあわせて飛島(ひしま)と呼ばれている

島々への橋はなく、笠岡市の港から船で行き来します。

のどかで落ち着いた雰囲気の島々です。

香川県の丸亀市・小豆島町・土庄町の島々とともに、「知ってる!? 悠久の時が流れる石の島 ~海を越え、日本の礎を築いた せとうち備讃諸島~」として日本遺産にも認定されています

真鍋島とは

笠岡諸島のなかでは北木島、白石島に次いで3番目に面積が大きい真鍋島。

笠岡市本土に近い順に、北から高島・白石島・北木島・真鍋島という位置関係で、真鍋島航路の最終地点となる島です。

本浦(ほんうら)・岩坪(いわつぼ)という2つの集落があり、港も2つあります。

車道は本浦港と岩坪港を結ぶ1.5キロメートルほどのみ。あとは歩道となります。徒歩での移動がおすすめです。

真鍋島へのアクセス

笠岡市街地にある住吉港(みなとこばなし)から真鍋島の岩坪港・本浦港への船が出ています。

到着までは普通船で約1時間10分。しっかり船旅を楽しめます。

航路としては、往路は岩坪港→本浦港の順で停泊します。復路は本浦港→岩坪港の順です。

高速船だと住吉港から本浦港まで約45分で到着しますが、岩坪港には立ち寄らないので注意してください。

出港時間を事前に確認し、計画を立てて訪れましょう。

▼詳しくは、以下の記事を見てください。

代表的なスポット・真鍋島でできること

島で唯一、岡山県の「ふるさと村」に指定されている真鍋島。

ふるさと村とは、岡山県内の地域特有の歴史が息づくまち並みを次の世代に継承するために保存・復元し、整備していく目的で指定される地域です。

べんがらの産地として栄えた高梁市の「吹屋ふるさと村」や、山岳仏教の中心地で茅葺民家が点在する備前市の「八塔寺ふるさと村」など、7つの地域が指定されています。

・八塔寺ふるさと村(備前市吉永町)
・大高下ふるさと村(津山市阿波)
・越畑ふるさと村(鏡野町)
・石火矢町ふるさと村(高梁市)
・吹屋ふるさと村(高梁市成羽町)
真鍋島ふるさと村(笠岡市)
・円城ふるさと村(吉備中央町)

石積みの防波堤や細い路地に建ち並ぶ民家など、昔ながらの漁村の景観を残す真鍋島。代表的なスポットを紹介します。

真鍋中学校

真鍋中学校は1949年に建設された木造校舎です。

趣ある外観は映画「瀬戸内少年野球団」などのロケ地として使われました。

コロナ禍と校舎の老朽化のため、現在(2021年8月)は中の見学は難しくなっています。取材のため特別に許可をいただきました。

中に入ると、木目の美しい廊下がまっすぐに続きます。

年月が感じられるレトロな廊下の壁には、歴代の生徒たちの作品や、活動の写真展示が。

校舎だけでなく思い出も大切に保存されていることが伝わります。

2020年12月まで授業で使われていましたが、2階部分が傾いていることがわかり、取材時(2021年8月)は2階の教室は使われていませんでした。

1階の職員室と理科室のみが使われており、授業は基本的にグラウンドを挟んだところにある小学校校舎で行なわれているとのこと。

2021年度は中学生が3人、小学生が2人、通学しているそうです。

真鍋家住宅とホルトノキ

平安時代末期から島の有力者として栄えてきたのが、真鍋島の名前の由来ともなっている真鍋氏です。

真鍋水軍として源平合戦で平家側に属して戦ったとも伝わっています。『平家物語』に「真鍋氏」の記述があるそう。

全国にいる「真鍋さん」の真鍋姓が発祥したのも真鍋島といわれています。

本浦集落の路地のなかにある真鍋家住宅は、明治初期に建てられた木造家屋で、国の登録有形文化財。

軒先には樹齢250年といわれるホルトノキがあります。

細い路地の一角にある真鍋家住宅の庭は、広くはありません。そこにドーンと太い幹がそびえるようすに驚きました。

「ホルト」とは「ポルトガル」という意味。

平賀源内が「これはきっとポルトガルのオリーブの木だ」と勘違いして讃岐に苗木を持ち込んだものが、やがて真鍋家に伝わったという説があるそうです。

オリーブの木にはまったく見えませんが、果実の形はオリーブに似ているそうですよ。

五輪石塔群

岩坪集落にある真鍋氏ゆかりの地が五輪石塔群です。

海を見渡す墓地には、石塔がずらり。真鍋氏一門の代々の墓と伝えられています。

「五輪」とはもちろんオリンピックのことではなく、「五行説」に由来するそう。

五行説とは、自然界のすべてのものを「木」「火」「土」「金」「水」に分類する考え方です。

崩れたり埋まっているものもありますが、5段に積みあがった石で構成されています。

圓福寺

本浦集落の小高い丘の上にある圓福寺(えんぷくじ)は、795年に弘法大師により開創された真言宗のお寺です。

江戸時代1776年に火災で全焼し、当時の住職が全国を行脚し浄財を募り、17年後の1793年、再建となりました。

修復を繰り返し、大切に守られているお寺です。

モトエカフェ・INN THE CAMP

モトエカフェは本浦集落の路地を入ったところにあるカフェです。

もともと「モトエ商店」という、食品や生活用品を販売するスーパーマーケットのようなお店だったそう。

長く空き店舗となっていた建物をリノベーションし、お店の屋号を引き継ぎ「モトエカフェ」となりました。

2007年に兵庫県神戸市から真鍋島へやって来た近藤 真一郎(こんどう しんいちろう)さん、民子(たみこ)さん夫婦が営んでいます。

「島のかたたちの憩いの場として、観光で訪れたかたが気軽に立ち寄れる場として、そして自分たちも島にいながらいろいろなかたとの交流を楽しみたい」と、2017年にオープン。

広くておしゃれな内装は、真一郎さんがほぼひとりで手掛けたというから驚きです。

牛すじ肉のスープをベースにしたモトエカレー(860円:税込)は、お肉のうまみが感じられて美味しい!

自家焙煎コーヒーを楽しむこともできますよ。

モトエカフェの2階はゲストハウス「INN THE CAMP」があります。

キャンプ用品のタープを仕切りに使って利用者のプライバシーを程よく保ち、シュラフ(寝袋)で眠ることができるのです。

真一郎さんが、自身がキャンプ好きなことから着想を得たそう。

大人も子どもも冒険気分で一泊できるゲストハウスです。

近藤さん夫婦は、家族やグループ利用にうれしい一棟貸しゲストハウス「ZENTA SUITE」も運営しています。

実際に真鍋島を歩いてみました

2021年8月、真鍋島を訪れました。

笠岡市街地にある住吉港を出発する普通船に乗り、1時間10分。

真鍋島にある2つの港、岩坪港と本浦港の違いを船員さんに教えていただき、無事に本浦港に到着しました。

ちょうど雨上がりで、楽しみにしていた猫たちのお出迎えはありませんでしたが、晴れた日には猫たちが港で待ってくれているそう。

この日もだんだんと晴れてきたら、徐々に顔を出す猫たちと遭遇できました。

猫たちには意地悪をせず、優しく接しましょう。

島で暮らすかたの話では、コロナ禍で観光客が減ったことからか、数年前に比べだいぶ島の猫の数は減っているとのことです。

島の見どころを案内してくれるのは、2020年6月に笠岡市地域おこし協力隊の真鍋島担当に着任した武井 優薫(たけい ひろのぶ)さん。

JICA(ジャイカ:独立行政法人国際協力機構)が派遣する青年海外協力隊としてパナマで2年間、先住民族が暮らす村の歴史や文化を観光資源にする取り組みを行なっていました。

現在は真鍋島の歴史や文化を題材にした観光開発を進めています。普段から真鍋島観光協会と連携して、観光客のガイドを務めることもあるそう。

路地が大好きという武井さんいわく「同じ島でも本浦と岩坪では、路地のようすがまったく違いますよ」とのこと。期待が高まります。

まずは本浦集落にある真鍋家住宅とホルトノキへ向かいます。

港から郵便局への大通りを曲がったら、レトロさを残しながら整備された石畳が現れました。

現在の郵便局の西側の路地に面して、切妻造屋根の一部が。

1918年から1962年まで、旧郵便局舎の玄関があった名残です。

そして旧郵便局舎の南側に隣接するのが真鍋家住宅主屋

真鍋家住宅で暮らしていた真鍋さんは、長く郵便局長でもあったようです。

真鍋家住宅にそびえるホルトノキに驚いたあとは、路地を散歩。高低差が少なく、歩きやすい路地です。

車が通れないほど細い道が続きます。原付バイクや自転車が、島のかたの足となっているようでした。

路地を歩いて、真鍋島中学へ。

「島の木造校舎」と聞くとかわいらしい雰囲気かと思いきや、実際は大きくて迫力がある建物です。

校舎の裏手(南側)にある「眺海台(ちょうかいだい)」というスポットを教えてもらいました。

花壇などがある丘をのぼると、木造校舎越しに本浦集落の家並みと瀬戸内海が見渡せます。

心地よい風に吹かれると、瀬戸内海のただ中にいることを実感できました。

続いては岩坪集落に向かって歩きます。海岸沿いには海を眺められる「とこのはな公園」がありました。

ここは幽鬼の浜(雪の浜)という妖怪伝説が残る場所で、妖怪を恐れて深夜に通ったり、船を留めることを避けたという言い伝えがあるそう。

本浦集落と岩坪集落の間にあるのが「真鍋島走り神輿」で有名な「八幡(はちまん)神社」です。

境内には歴代の走り神輿の担ぎ手たちの写真がずらりと飾られていました。

現代では5月の連休に走り神輿を行なっていますが、伝統的には春の行事ではなく、旧暦の8月14日〜16日に開催される八幡祭における神事です。

2020年はコロナ禍のため中止。今年(2021年)は旧暦の8月14日〜16日(9月中旬)に開催が検討されていますが、中止になる可能性もあるとのことです(2021年8月現在)。

島内を猛烈な勢いで神輿が駆け抜ける祭りを見に、海岸沿いの大通りが人で埋め尽くされるほど多くの観光客が訪れるそう。

八幡神社には、本浦方面と岩坪方面、2つの階段があります。

どちらの集落で暮らす人にとってもお参りしやすいようになっているのです。

岩坪集落の路地は高低差があり、驚きました。確かに本浦集落とはかなり違います。

武井さんによると、同じ島で歩いて行き来できる距離であるにも関わらず、本浦集落と岩坪集落では方言や盆踊り、法事のしかたなど、文化に違いがあるのだそう。

本浦集落の路地には原付バイクや自転車が見られましたが、岩坪集落には見られません。

急こう配で道幅が狭く、くねくねとつながる迷路のような路地。まさに冒険でした。

民家の狭間にある庵寺阿弥陀堂(あんでらあみだどう)には行基作の阿弥陀如来(あみだにょらい)が伝わります。50年に一度お披露目され、次は20年以上先といわれています。

少し西へ進むと、五輪石塔群にたどり着きました。

墓地のなかからひっそりと、海を眺める石塔たち。

ここから見えるのは、無人島の「大島(おしま)」です。

かつては麦・芋などの畑として開墾(かいこん)され、真鍋島から船で通う人が多くいたのだとか。

また、真鍋島自体も、昔は段々畑で覆いつくされていたそう。

特に多かったのは、暖かい気候を利用した菊の栽培。昭和の時代には電照菊の畑がたくさんあり、「花の島」と呼ばれるほどだったのです。

生産者の高齢化や後継者不足から、菊の栽培はほとんど見られなくなりました。菊畑だった場所には雑木が茂っており、以前の景観は想像できません。

昔の真鍋島のようすを知る圓福寺の住職・前田 智勉(まえだ ちべん)さんと、真鍋島に移住して1年が経過した笠岡市地域おこし協力隊・武井 優薫(たけい ひろのぶ)さん・知桜里(しおり)さんに、真鍋島での暮らしについてお話を聞きました。

島の人にお話を聞きました 圓福寺の住職・前田 智勉さん

圓福寺の住職・前田 智勉さんにお話を聞きました。

──前田さんは真鍋島で生まれ育ったのですか

前田(敬称略)──

いいえ。私は香川県三豊市出身です。三豊市にある「十輪院(じゅうりんいん)」の跡継ぎなのです。

こちらの圓福寺はおじが住職を務めていました。

跡継ぎがいないということで、私が十輪院と圓福寺、両方の住職となりました。

真鍋島に暮らすようになって今年で16年目。1か月に2回ほどの頻度で三豊市に通っています。

今は船で笠岡市本土に行き、そこから車で瀬戸大橋を渡って三豊市へ、というルートですが、以前は海上タクシーを使っていました。

海上タクシーを使うと、真鍋島から三豊市本土まで約15分。近いですよね。

私が子どものころは、香川県の多度津港から真鍋島へのフェリー航路もあったので、もっと気軽に行き来できました。

夏休みなど、よく家族で遊びに来ていましたよ。

昔は道の舗装もなく、防波堤もなく、今よりももっと情緒あふれる景観でした。カメラを持ったかたが多く訪れていたのを覚えています。

また、山には木が全然生えていなくて、電照菊の畑がたくさんあったんですよ。

少子高齢化と人口減が進んだことも影響し、島の景観はだいぶ変わりました。

──前田さんが感じる真鍋島の良さはどんなところでしょう

前田──

帰ってくるとほっとするところですね。車の音もなく、とても静かです。

離島の寺の住職は、全国におつとめがあるのです。島を離れ、笠岡市街地や福山、東京や大阪など、都会で暮らす檀家さんも多くいらっしゃいますから。

都会から帰ってくると、特に心がやすらぎますね。

今はコロナ禍で観光客のかたがだいぶ少なくなっていますが、都会とは違う時間の流れが、島を旅する心地よさだと思います。

また、真鍋島のことを「五里五里」といいますが、本州と四国のほぼ中間地点ということで、それぞれの文化が混ざり合っているところも魅力でしょう。

圓福寺には、丸亀のお殿様から奉納されたと伝わる、江戸時代に描かれた涅槃(ねはん)図があり、1年に一度だけ公開しています。

また、島といえば夏というイメージがあるかもしれませんが、冬は牡蠣ワタリガニなど魚介類が美味しい季節です。

港の近くにある「漁火(りょうか)」は魚料理が楽しめる人気店。予約して旬の海の幸を堪能してほしいです。

島の人にお話を聞きました 笠岡市地域おこし協力隊・武井さん夫婦

真鍋島に移住して1年が経過した笠岡市地域おこし協力隊・武井 優薫(たけい ひろのぶ)さん・知桜里(しおり)さんに、真鍋島での暮らしや協力隊活動についてお話を聞きました。

──おふたりが真鍋島に移住された経緯を教えてください

武井 優薫(敬称略)──

もともと2年間、JICA(独立行政法人国際協力機構)が派遣する青年海外協力隊として2020年1月まで、2人とも海外で活動していました。

私はパナマの先住民が暮らす村で、歴史や文化を観光に応用するという取り組みを行なっていました。

スペイン語で話を聞いて、書きとめて、観光客のかたに案内するといった活動です。

武井 知桜里(敬称略)──

私はネパールで2年間、「シンガ タトパニ」という温泉地で観光促進に取り組んでいました。

外国人に温泉について知ってもらうためのリーフレットを作るなどの活動です。

武井 優薫──

青年海外協力隊でのそれぞれの活動と遠距離恋愛を経て、日本に帰国後、結婚してどういった生活を送ろうかとふたりで考えました。

都会のオフィスで働くという選択肢もあるでしょうが、自分にとって、パナマで暮らす人たちが生活と仕事を分け隔てることなく楽しんでいることが印象的だったんです。

たとえば、畑を耕しに行く途中に近所のかたに話しかけられて立ち話をしたり、観光客のかたに昔の暮らしについて話したり観光案内をしたり。

帰国後、そんな風に地域のなかで自分たちの暮らしをつくるような挑戦ができないかと考えるようになったんです。

暮らす場所については、全国の漁村を4~5か所ほど検討しました。

そのなかで断トツで惹かれたのが、真鍋島だったんです。

雰囲気のいい細い路地や昔ながらの建物が残り、今でも歩くたびにわくわくしています。

地域おこし協力隊制度を活用し、2人そろって2020年6月に笠岡市地域おこし協力隊に着任しました。

ちなみに婚姻届を市役所に提出したのも、協力隊に着任した2020年6月1日です。

──そうなんですね! 真鍋島での暮らしや協力隊活動はいかがですか?

武井 知桜里──

船酔いが少し困りごとかもしれません。でも、思っていたより不便なことはないと感じています。

週に1回、お肉などを買いに定期船で笠岡市本土へ渡っています。野菜は島で暮らすかたにいただくことが多く、ありがたいですね。

また、Amazonなどインターネットの通信販売も利用できるので快適に暮らせています。

武井 優薫──

ふたりとも、海外の異文化のなかで暮らした2年間の経験が生きていると感じます。

協力隊の活動では、僕は地域の歴史や文化を題材にした観光開発や、真鍋島観光協会と連携して観光客へのガイドなども行なっています。

また、島民のかたと歴史文化研究会を2週間に1回開催し、真鍋島の歴史について調べているところです。

この間、ある島民(故人)の親族から、そのかたが描かれた「絵画集」をお借りしました。昔の真鍋島のようすが描かれた貴重な史料です。

こういった絵と文章でつづられた絵巻物がでてきたそう!

史料を読み解くとともに、今後展覧会なども企画して、多くのかたの目に触れる機会を作れたらと思っています。

武井 知桜里──

私はネパール在住時代に全米ヨガアライアンス(ヨガインストラクター認定資格)を取得し、今は地域でヨガクラスを開講しています。

真鍋島では、毎週平日に開催するクラスと、月1回週末に開催するクラス。

北木島でも月に2回、定期開講しています。

呼吸法や瞑想を中心にプログラムしており、好評です。

穏やかな瀬戸内海を眺めながらのヨガもまた、最高なんですよ。

提供:武井 知桜里さん

ふたりで観光とヨガを掛け合わせた取り組みも企画中です。

おわりに

カニを見かけたり、小さなほこらにサンゴが祀られているのを見つけたり。

真鍋島の路地には「私、島に来てる!」と実感できるポイントがたくさんありました。

武井さんから教えてもらった、一見すると歩道とわからない岩坪集落の細い階段にびっくり!

写真右下の白い石が階段なのだとか

私は歩く勇気はなかったですが、島のかたは軽々と歩いているそうです。

真鍋島にはまだまだ、真鍋城跡や島の南側の海岸などの見どころもあります。

私は次は「INN THE CAMP」に宿泊し、猫たちにあいさつしながらのんびりと散歩をして過ごしたいです。

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