「東京って砂漠っぽい」“愛の不毛”描く『ナミビアの砂漠』河合優実×山中瑶子監督インタビューinカンヌ映画祭【批評家連盟賞受賞】
山中瑶子監督×河合優実『ナミビアの砂漠』inカンヌ
第77回カンヌ国際映画祭の監督週間で、山中瑶子監督の『ナミビアの砂漠』が上映された。
恋人も仕事もあるが、何か彷徨うように東京で生きる21歳のカナ。映画『あんのこと』(2024年)や『PLAN 75』(2022年)、ドラマ『不適切にもほどがある!』(2024年)など、話題作に立て続けに出演する河合優実がカナを見事に生々しく演じている。カンヌでの上映直後の二人に、インタビューを敢行した。
河合「観客の皆さんにガンガン質問されました」
―カンヌ映画祭に参加した感想を、まず教えてください。上映後には監督週間ディレクター、ジュリアン・レジとのQ&Aもありましたね。
山中:なんだかカンヌの街全体が狂乱というか、ここに長くいたら気持ちが持っていかれそうになるなと思いましたが、上映ではお客さんの顔が見えたので、安心しました。
河合:海外の方の反応の仕方は日本とは違うと聞いていたので楽しみだったんです。今回はそこまで舞台上でのQ&Aの時間がなかったのですが、細かい部分が気になっている観客の方は多かったようで、上映後に話しかけていただきました。
―河合さんはロビーで、観客の方と英語でお話しされていましたね。
河合:はい、結構ガンガン質問されました。最後の解釈は「Peaceful」っていうことでいいんですか? など色々と聞かれて、熱心な方が多かったです。中国語の「ティンプートン/听不懂:(言葉が)わからない」というセリフの言い方がうまかったと言ってくださった中国の方もいました。
山中:この映画には、お客さんに能動的に見ることを要するようなシーンがややあるんですが、やはりカンヌの観客はしっかり見てくれているなと感じる質問が多かったですね。演出に関しても若い方から多く質問されたので、映画学校の学生さんだったのかもしれないです。
―監督週間は特にそういう学生さんが観客に多い印象です。コンペティション部門などは招待された人やプレス、業界関係者しか入れませんが、監督週間はもっと上映が開かれていて、学生や映画ファンの人でもチケットが買えるので、より生々しい声を聞ける気はします。
山中「ミックス・ルーツの所在のなさと砂漠みたいなものが無意識にリンクしていたのかも」
―海外の映画祭や観客にも観てほしいという思いが、作っているときからあったんでしょうか。
山中:それはもう全然あります。映画を作るときには広い観客を意識して、ドメスティックにならないようにしています。それはただ闇雲に海外に向けてということではなく、自分が外国の映画を観て育ってきているので、同じような感覚を共有したい、という意味ですね。実際、撮っているときはそのシーンのことしか頭にないんですが。日程的にも全然余裕がなかったので。
―河合さんとも、そうした感覚を共有されていたのでしょうか?
河合:具体的には聞いていませんが、監督の姿勢は感じ取っていました。でも、海外に届けることを前提においているわけではなくて、もっと純粋で大きな視野というか。
山中:広い観客というか、遠いところ、全然知らない国の同じ年代の子は今何を感じてるんだろう、みたいなことは普段から考えています。『ナミビアの砂漠』の中でもそうで、主人公のカナは身近な人は粗雑に扱うけれど、遠いナミビアに想いを馳せる部分もある。そういう、人との距離において遠くにいる人のことの方が意外と思いやれたりするようなことってあるんじゃないかな、と。だから、この映画も自分に近い人だけではなく、全然思いもよらない人に観てほしいなと思います。
―21歳のカナはどこにいても、誰といても、どこか浮遊感があります。日本と中国のミックス・ルーツという設定ですが、カナの背景には監督自身の経験や、河合さんを想定した部分もあるのでしょうか。
山中:私は、母が中国人なんです。河合さんもミックス・ルーツだと過去のインタビューで読んでいたので、それをどう感じますか、みたいなことをざっくり話をしました。「あんまり所在がない感じがあるよね」と、この企画が決まってから最初に会った時に話したと思います。
河合:そうですね。
山中:ただ、カナのバックグラウンドについては、脚本を書いている後半で足したので、最初からそこありきで書いていたわけではないんです。でも、所在のなさと砂漠みたいなものは、無意識の中でどこかリンクしていたのかなとは思います。
河合「東京って砂漠っぽくもあるし、近いけれど一番遠いところ、というイメージ」
―カナはナミビアの砂漠のライブカメラをスマホで見るのが、日課のようになっています。これは観た人がそれぞれ考えるべきかとも思うのですが、山中監督も砂漠に惹かれるものがあるのでしょうか?
山中:今パッと思いつくのは、砂漠を舞台にした『シェルタリング・スカイ』(1990年)がとても好きなんです。
―ベルナルド・ベルトリッチ監督の『シェルタリング・スカイ』は私も大好きです。坂本龍一さんの音楽も最高でした。
山中:素晴らしいですよね。「ナミビア」は「何もない」という意味らしくて、その意味で今回は“愛の不毛”を描いてもいるなと思うので、このタイトルになりました。他にも理由はありますが。
―河合さんは砂漠について、どう感じて演じられましたか?
河合:私はさっき監督がおっしゃっていた、近距離の人のことでずっともがいているというか。カナは物理的にも心理的にも、ものすごく狭い半径の中でごちゃごちゃ生きている。そんな人が、憧れなのか暇つぶしなのかはわからないけれど、遠くて広くて静かなところに惹かれているという対比、反語のようなタイトルだと捉えていました。そして東京の不毛さや巨大さって砂漠っぽくもあるし。
―この映画の面白さは一言では言えませんが、唐田えりかさん演じる隣人と森で焚き火をする場面がとても好きです。彼女は、カナに安心感を与えるある種のイマジナリー・フレンドなのかも、と思えなくもないところが良いなと思いました。唐田さんの個性的な声とも相まって。
山中:言ってほしいことを言ってくれる人、というところはありますね。存在自体が全くない隣人というわけではないのですが、シーンがジャンプしているので、そう感じるのかもしれません。
山中「いつも“自分が観たい映画を作ること”がスタートにある」
―ランニング・マシーンで走るカナのインサートも印象的です。あれはカナの心のありようをビジュアル化したものなのか、それとも病院の中なのかな、なんて色々と妄想が膨らみますが、河合さんはどんなふうに捉えて演じていましたか?
河合:観る人によって捉え方が違うので、面白いですね。私は、ランニングマシーンから隣人との焚き火までのシークエンスは、ハヤシとの激しい喧嘩の中でカナが見た走馬燈のようなものなのかな、と思っていて。死んでいるわけではないけど、意識が別のところにあるというか、インナービジョンというように捉えていました。突然自分たちを客観視して、そこに今までの記憶とか言ってほしいこととか、生活圏で起きたことや自分の思っていることが一瞬のうちに混ざってしまっているような。夢って、最近見たことが違う形になって出てきたりするって言いますし、そんな感じにも思っていました。
でも、唐田えりかさんとのシーンは、カナのそこまでの時間の中で一番安心していいのだろうな、と感じましたし、ポジティブに捉えていいな、と思っていたんですが、実際の唐田さんご本人に独特なオーラがあるんです。だからすごく向き合いたくなるんですね。
山中:唐田さんは声も良いですよね。寄り添っているように聞こえて、同時に突き放されているようにも聞こえる。すごく良い声なんです。
―カウンセラーを演じる渋谷采郁さん(『悪は存在しない』ほか)の声も同じように印象に残ります。一方、カナの恋人は、優しすぎるホンダ(演:寛一郎)も、理屈っぽいハヤシ(演:金子大地)も、どっちも言い訳だらけのクソ野郎だなと、カナの親世代に近い私はつい思ってしまったのですが(笑)。
山中:そうですか? でも、キャラクターはみんな私の分身でもあるので(笑)、なるべくその人物を理解して書くようにしています。
―ひゃー。鬼のようなことを言って、ごめんなさい! でも、世代も住んでいる場所も少しずつ違う中で、面白さを共有できるのが良いなとも思っています。同時に若いかどうかに関係なく、何かにつまづいてしまう女性への励ましも感じました。
山中:私はいつも一番最初は自分のためというか、自分が観たい映画を作ることがスタートにあるんです。そういう意味では、若い女性として見られて生きてきて、思うことが多くあったので、自分が観たい映画を作る中で、自然と自分も励まされるような映画になったのだと思います。それが他の方にもそう感じていただけたなら、すごく嬉しいことです。
河合:私は撮っている時に、カナが最初から最後に向けて成長したりしないし、女性であるという属性やミックスルーツであるという属性を背負って誰かを代弁したりするようなステージから降りちゃってもいいかも、と思っていて。脚本にも何かを代表しているようなものを感じなかったので、カナ個人の話としてその瞬間瞬間の人との関わりとか、気持ちを強く持って演じていれば、結果的に今を生きている人であれば、わかってもらえるのではないかと思っていました。そして、みんなが自分のことのように感じる部分がどこかにあるんじゃないか、と。
―それが良かったのかも。カナと自分に目に見てわかるような共通点はないけれども、自分の中のある時点のどこかにいたかも、と思えました。
河合:私の所属する事務所の代表が70歳代なのですが、カナの気持ちがわかる、と言ってくれたのが嬉しかったですね。
山中:確かに。本来は無いはずの記憶のような感じですよね。それってすごく豊かなこと!
―映画というものが、そうなのかもしれませんね。自分が生きてこなかったけど、なぜかそこを知っている、というような、記憶を探っていく部分が映画にはあります。きっとカンヌでは、そこが評価されるのかもしれないですね。
『ナミビアの砂漠』は批評家団体<FIPRESCI>による、国際批評家連盟賞を見事受賞した。山中瑶子監督は受賞後の取材で「批評家連盟賞をいただきましたが、カイエ・デュ・シネマ(仏の映画批評誌)の編集長が星取表では厳しかったので、その点ではバランスが取れているかもしれません(笑)。カンヌに来て感じたのは、もっと映画を勉強したい、ということですね。大学を中退したのを少し後悔している節があります。(自分は)まだ感性と直感に寄りかかって映画を作っているところがあって、他の国の若い監督たちは理論も戦略もしっかりしているなと感じたので。受賞はとても背筋が伸びる感じがしています」と、冷静に自分を分析して語っていたのが印象的だった。
本作は「21世紀の日本を生きる登場人物たちの間に絶え間なく存在する距離を捉え、それらのイメージを通して、現代における神経多様性を大胆不敵に探究している」というのが、FIPRESCIによる受賞理由だった。この受賞は山中監督にも、河合優実にも、21世紀の映画の窓をさらに広く開いてくれる予感がする。「何もない」砂漠から、素晴らしい未来へ!
取材・文・撮影:石津文子
『ナミビアの砂漠』は2024年9月6日(金)より全国公開