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松本白鸚・松本幸四郎がWキャストで受け継ぐ高麗屋の『勧進帳』弁慶~歌舞伎座『四月大歌舞伎』取材会レポート

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(左より)松本幸四郎、松本白鸚

歌舞伎俳優の松本白鸚と松本幸四郎が、歌舞伎座『四月大歌舞伎』の第一部にて、『勧進帳』の武蔵坊弁慶をダブルキャストで勤める。2021年4月3日(土)初日は、白鸚の武蔵坊弁慶×幸四郎の富樫という配役で幕を開ける(A日程)。その後、幸四郎の弁慶×尾上松也の富樫(B日程)と交互に上演し、28日(水)千穐楽は幸四郎の弁慶が飾る。

白鸚いま現在の白鸚の芸で、声で」

白鸚は、1942年生まれで現在78歳。本興行の『勧進帳』弁慶としては史上最年長となる。

「このご時世、そして年齢もあり、お話をいただいた時は、少し考える時間をいただきました。できるだろうか……というのが正直な気持ちです。その後、松竹さんより “幸四郎さんと一日替わりで弁慶を” とご提案いただき、覚悟を決めました。私が弁慶の日には、幸四郎が富樫を勤めます。この年齢で、息子と『勧進帳』ができますことを大変うれしく思います。最後まで無事に、六方で花道を引っ込むまで、一所懸命、心して勤めます」

16歳(当時、六代目染五郎)だった1958年9月、1日きりだが歌舞伎座「子供歌舞伎教室」で初めて弁慶を勤めた。

松本白鸚

「歌舞伎は型のあるものです。役者としては、脈々と受け継がれてきた先輩の素晴らしい芸を、何とか受け継ぎたいと死にもの狂いで勤めておりますが、その歌舞伎をお作りになったのは、江戸時代から令和の今日まで綿々と歌舞伎を見続けてくださっているお客様なんです。お客様に勇気、希望、喜びをお渡しするのが役者のつとめ。その一心です」

ひとつの役をくり返し演じたことで、上手く演じられるようになった手ごたえはあるのだろうか。白鸚は、1988年に歌舞伎座で名女方の六世中村歌右衛門と共演した時をふり返る。

「『妹背山婦女庭訓』で大先輩の成駒屋(歌右衛門)さんが太宰後室定高を、私は大判事清澄をやらせていただきました。毎日ダメ出しがありましたが、楽日近くなり、それがなくなった。自分も少しはマシになったかな? と思ったところ、歌右衛門さんが“ちょっと” と手招きをして私を呼び寄せました。そして『役者はだんだん下手になるんだよ。上手くなったと思うのは慣れからくる錯覚だよ。はい、お疲れ様』と(苦笑)。いま弁慶を勤める時にも、そういった先輩方の言葉を思い出します」

『勧進帳』武蔵坊弁慶=松本白鸚 /(C)松竹

そして、この役のむずかしさを次のように語った。

「弁慶という役は、少しでも集中力が欠けるとお客様に見透かされてしまいます。弁慶が弁慶ではなくなってしまうんです。体力や年では息子に負けますが、それを超えたいという思いです。自分に残っているのは台詞と声と芸だけです。いま現在の白鸚の芸で、声で、息子に対抗したいです」

■「一番苦しく、だからこそ強さを感じられる」幸四郎

幸四郎は、白鸚が弁慶のA日程では富樫を勤め、B日程では弁慶を勤める。『勧進帳』は、幸四郎にとって「なくてはならない作品」だと言う。

「曾祖父(七世幸四郎)、祖父(初世白鸚)、父の弁慶を目指して勤めます。また、個人的な思いとしては『勧進帳』という、大きな時間、いかなる時代もくぐり抜けてきた歌舞伎の傑作を、多くの方にご覧いただきたいです。そしてご覧くださった皆様を、少しでも勇気づけることができればと思います」

松本幸四郎

「弁慶という役は、回を追うごとに大変きつい役だと感じるようになりました。大変さを実感するにも時間がかかる、それくらい大変な役ということです。1回1回の舞台を特別な1回という思いで、思いだけではなく形にできるよう、今回の弁慶をやりきりたいです」

大変さとは、体力面に限ったことではない。

『勧進帳』武蔵坊弁慶=松本幸四郎 /(C)松竹

「弁慶は受け役だ、と言われたことがあります。それまで私は“攻撃こそ最大の防御”というイメージを持っていましたが、冷静に台本を読み直すと、たしかに受け役。弁慶から台詞を発するのは花道での第一声と関所に着いた時だけで、その二言以外は相手の台詞を受けてからの芝居なんです。勤めてはじめて気付いたことでした。相手の芝居をしっかりと正面で受け、相手に返す。これを意識するだけで、弁慶という役の大変さはまったく変わります。その強さを持ち続けることが一番苦しく、だからこそ弁慶から強さを感じられるのだとも思います」

■高麗屋の『勧進帳』弁慶

弁慶は、ただでさえ体力を消耗する役だと言われるが、幸四郎は、B日程で弁慶を勤める際、『延年の舞』の後に『滝流し』を入れて上演する。かつては白鸚も、祖父の七世幸四郎より繋がる形で入れていた。『滝流し』を加える意図を、幸四郎は次のように説明した。

「もともとの『勧進帳』に『滝流し』はありませんでした。今もやられる方により、入れたり入れなかったりしますが、私自身は『滝流し』の入った父の『勧進帳』を見て、『勧進帳』とはそういうものとして育ちました。その素晴らしさを一人でも多くの方に自分の体を通してお伝えしたく、やらせていただきます」

耳を傾けていた白鸚が、ふと神妙な面持ちになった。そして「本音を申し上げますと」と口を開いた。

「息子だからできること。いま私がそれをやったら、死んでしまいます……」

ことさら深刻そうな雰囲気に、記者たちが次の言葉を待っていると、白鸚はパッと顔をあげて、拍子抜けするほど楽しそうに一同を見まわした。そして「あれ? すべったかな?」と眉をひそめてみせたので、取材会は一気に笑いに包まれた。義経を打擲する際に「弁慶が義経に僅かに一礼する。これは祖父の型ではないでしょうか」と白鸚は身振りを交え語っていた。

松本幸四郎

ダブルキャストの4月、『滝流し』以外に、二人の弁慶にどのような個性の違いがみられるのだろうか。幸四郎が答えた。

「父に教わった弁慶です。父との違いよりも、いかに根本が同じであるかを目指したいです。自分が誇りに思う高麗屋の弁慶を、自分の体を通してお客様にお見せできるよう勤めます」

■白鸚から幸四郎、そして染五郎へ

白鸚の祖父・七世松本幸四郎は、生涯で1600回以上、弁慶を勤めた。白鸚自身も今回の興行を無事終えると、通算1162回勤めることになる。

「弁慶を教える時の父(初世白鸚)には無言の圧力がありました。“これが歌舞伎の伝承か” と感じたものです。お稽古を重ねお客様に芸をお見せする。その気持ちは若い頃も今も、世情がどうあろうとも変わりませんが、今回は自分の内面に『勧進帳』を息子に手渡していく気持ちがございます。今はまだ私がにらみを利かせておりますが、自分がいなくなった後は幸四郎が高麗屋の弁慶を勤めてくれます。息子に託す。それが歌舞伎の伝承であり、歌舞伎の歌舞伎たるところではないでしょうか。そこから先は、託された役者とお客様が二人でひとつとなり作りあげていくものです」

そんな白鸚の言葉に、幸四郎は補足をした。

「父は息子に、弁慶を“託す” “手渡す”と言われましたが、いざ舞台に立つと、全くそんなそぶりはありません(笑)。父は、まだまだです。私にとって父は目指すところです。追いかける存在でありますが、追い抜ける存在ではありません。父だからです。役者として生き抜いている姿が、かっこいいと思っています」

父親が1150回弁慶を演じたことへのコメントを求められた幸四郎。

「すごいですよね。ちょっと……おかしなことだと思います(笑)」

冗談っぽく首をかしげ、一同を笑わせた。昨年より幸四郎の長男・染五郎も『勧進帳』弁慶の稽古を始めたという。幸四郎は「染五郎も、特別な役と思っているようです。1日もはやくできるよう、自分が教わったものを伝えたい」と話していた。記者から、高麗屋三代による弁慶(トリプルキャスト)も実現できるのでは? と期待されると、白鸚は穏やかに答えた。

松本白鸚

「天のみぞ知ることですね。役者は肉体を動かし、声を出してお見せする芸です。自分の寿命がなくなってしまったら……ね? その意味ではスリリングな人生です」

■人に必要なものと信じ、毎日舞台を

終盤、白鸚は「私ども役者は覚悟を決め、一所懸命やるだけ。この時世に舞台をやらせていただけるのは、歌舞伎座の表方さん裏方さん、松竹さん、そしてお客様の力強い応援があればこそで、本当にありがたいことです。だからこそ、良い舞台をお見せしなくてはの一心で勤めさせていただきます」と力強く語りかけた。

そして最後に幸四郎は、「歌舞伎の公演が続いていることをありがたく、幸せに思っています。舞台に立つ人間としては、お芝居が人にとって必要なものと信じて勤めます。多くの方に観ていただきたい思いはございますが、今は声を大にしてお願いすることではないかもしれません。ただ毎日舞台はやります。お芝居をしておりますので、観ていただけることを願っております。足をお運びいただけた時には、皆様に少しでも力をお渡しすることができればと思い勤めます」と呼びかけた。

取材会の中で二人が、『勧進帳』への強い思いとともに、コロナ禍の舞台公演が、関係者、そして来場者の協力に支えられている感謝を幾たびも言葉にしていたことが印象的だった。『四月大歌舞伎』は、4月3日(土)から28日(水)までの上演。第一部は『勧進帳』の他に、市川猿之助、市川中車、中村壱太郎、そして市川左團次が出演する『小鍛冶』が上演される。

(左より)松本幸四郎、松本白鸚

取材・文=塚田史香

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