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第13回【帯津良一・88歳のときめき健康法】 度胸と色気のアリダ・ヴァリ

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第13回【帯津良一・88歳のときめき健康法】 度胸と色気のアリダ・ヴァリ

人生百年時代――とはいえ、老いさらばえて100歳を迎えたくはない。
健康で生気みなぎるような日々を過ごせてこそ、ナイス・エイジングだ!
西洋医学だけでなく東洋医学、ホメオパシー、代替医療まで、
人間を丸ごととらえるホリスティック医学でガン治療を諦めない医師、
帯津良一の養生訓は、「こころの深奥に〝ときめき〟あれ」と説く。

帯津良一・88歳のときめき健康法

文=帯津 良一


 NHKが初めて取り上げた気功番組である教育テレビの「気功専科」を私が担当することになったのが1992年の4月。放映が始まってまもなく、アジア文化会館の後の理事長Oさんからの電話である。NHKさんが主催で講師があなただとすると、もう気功も市民権を得たといってもよいだろう。アジア文化会館でも、気功教室を開きたいので相談に乗ってくれと言う。

 その結果、気功の実技指導とは別立てで私が気功についての講演をすることになったのである。年に5回で100回やってくれと言う。えっ!100回? おい20年かかるぜ!とおどろいたが、たしかに20年かかって100回完走したのにはもっとおどろいた。わが人生の宝物の一つとして感謝している。

 その講演会ですっかり仲良しになった鍼灸師のMさんと2ケ月に一回の割で杯を酌み交わしている。その都度、彼は手土産にウイスキーと古い映画のパンフレットを持参するのである。今回はイタリア映画『夏の嵐』(監督/ルキノ・ヴィスコンティ 主演/アリダ・ヴァリ、ファーリー・グレンジャー)であった。

 表紙には椅子に坐ったアリダ・ヴァリの肩を後ろから抱きかかえるファーリー・グレンジャーを左下方から撮った写真。アリダの左側の外鼻孔と美しい首筋と前胸部が迫ってくる。すごい色気であるが映画のシーンは一つも浮かび上がっては来ないのである。恐らく『夏の嵐』なる映画を観ていないのだろう。

▲『夏の嵐』(1954)愛に狂った女のパッションをエネルギッシュに恐ろしいまでに業深く見せたアリダ・ヴァリ

 となると、かつて、アリダ・ヴァリに惚れて欲情にかられた映画は、

『第三の男』をおいてほかにはない。監督は戦後イギリス映画を代表するキャロル・リード。敗戦後の荒廃したウィーンを舞台に悪事をはたらく謎の男にオーソン・ウェルズ。その愛人にアリダ・ヴァリ。その彼女に思いを寄せるオーソン・ウェルズの親友にジョセフ・コットン。

 チター(Zither)一本で独特な映画音楽をつくり上げたのがアントン・カラスなら、原作、脚本は、作家のグレアム・グリーンがこの映画のために書き下ろしたものというのだから役者がそろっている。そして、その役者さんたちの間に入って一歩も引かないというのだからアリダ・ヴァリもさすがだ。この映画の製作年が1949年、彼女は28歳だったはずだ。28歳にして、この度胸。色気も出ようというものだ。

 この映画の日本での封切りが1952年。私は高校生。高校生にしてこの恋情は如何に。それにしても一番の人気はラストシーンである。中央墓地の荒涼たる並木道。荷車に寄りかかって待つジョセフ・コットンの前を鍔広の帽子にトレンチコートの彼女が見向きもせずに通り過ぎていく。ハッピーエンドを狙った原作を監督が画き直したという。リズミカルに歩く彼女を抱き締めたくなるのはジョゼフ・コットンだけではないだろう。

▲1921年5月3日、イタリア、イストリア半島のポーラ出身。15歳のころからローマの映画センターに学ぶ。戦後ハリウッドに渡り、『第三の男』で一躍世界中に知られた。

おびつ りょういち
1936年埼玉県川越市生まれ。東京大学医学部卒業、医学博士。東京大学医学部第三外科に入局し、その後、都立駒込病院外科医長などを経て、1982年、埼玉県川越市に帯津三敬病院を設立。そして2004年には、池袋に統合医学の拠点、帯津三敬塾クリニックを開設現在に至る。日本ホリスティック医学協会名誉会長、日本ホメオパシー医学会理事長著書も「代替療法はなぜ効くのか?」「健康問答」「ホリスティック養生訓」など多数あり。その数は100冊を超える。現在も全国で講演活動を行っている。講演スケジュールなどは、https://www.obitsusankei.or.jp/をご覧ください。

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