『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ キルケーの魔女』を全力でネタバレしながら原作ファンに刺さったあれやこれやを語りたい|νガンダム、『逆シャア』との関係、戦闘シーンから「肉欲」まで
2026年1月30日より、いよいよ劇場公開がスタートした『閃光のハサウェイ キルケーの魔女』。
全3部作構成で展開される第2作目となる本作について、『ガンダム』ファンの視点から見たネタバレありの感想レビューとしてお届けします。
『ガンダム』ファンとして、そして原作小説ファンとしてどういった描写が刺さったポイントだったのか。原作小説との対比を交えつつ、語りたいと思います。
すでにX等で様々な感想や考察が出回っていますが、一旦落ち着いたタイミングで冷静に筆者の感想をまとめていきたいと思います。
<※本記事は『閃光のハサウェイ キルケーの魔女』のネタバレを多数含みますのでご注意ください。>
【写真】『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ キルケーの魔女』全力ネタバレレビュー
丁寧に土台を作りつつ、死亡シーンをあえて描かない潔さ
1月30日よりいよいよ劇場公開がスタートした『閃光のハサウェイ キルケーの魔女』。ヒットした第1章を大きく上回る滑り出しを見せているなど、大きな話題を呼んでいます。
自分もガンダムシリーズのファンの一人としてもちろん見に行ってきましたが……もういろんな意味で度肝を抜かれました。
第1章を見た当時、メッサーとグスタフ・カールの重厚感のある戦闘シーンでめちゃくちゃ興奮したクチでして。「本当にモビルスーツが存在したらどうなるのか?」というリアリティを、凄まじい作画でとことん追求する……という意気込みのようなものが画面越しにも伝わってきたんですよね。
特に最初のメッサーとグスタフ・カールの戦闘シーンでは、ハサウェイがモビルスーツに乗らない分、一般大衆の視点から見たモビルスーツという存在を、もっとも力を入れて描いたガンダム作品だったんじゃないかと思います。
そして今回公開された『キルケーの魔女』は、事前の予想通り原作小説の中編に該当するエピソードが描かれていたわけなんですが。
登場人物や場面転換も多く、マフティー・連邦の対立軸以外にも、連邦の中でもいろんな派閥や思惑があったり、ハサウェイを取り巻く人間関係も複雑なので、お世辞にもとっつきやすいとは言い難いお話になっていたんじゃないかと思います(とくに原作未読だと、流れを把握するのが結構大変だったんじゃないかと)。
自分は原作を読んでいて、そういった点もある程度わかっていたので「あの内容をどう映像化するのか?」というのは、個人的に公開前からすごく気になっていたポイントでした。
実際映画の序盤~中盤ぐらいまで見て思ったことは、「マフティー側の日常シーンをより描くことで感情移入させて、それが失われる展開をよりドラマチックに見せようとしているのか」というものでした(これは一部当たってもいましたが、結果的には外れていました)。
その象徴だと感じたのが、マフティー側の母艦になっているヴァリアントでの日常シーン。映画ではヴァリアントのクルーたちのキャラクター性や、ハサウェイたちがどんな風に過ごしているのかが、非常に分かりやすくなっていました。
メッサーのパイロットとして登場するハーラ・モーリーがやたらとかわいくなっているのも驚いた点。
原作のモーリーは、元々はそこまで存在感のあるキャラクターではなかったんですが、キャッチーなビジュアルになったことで、メッサーのパイロットの中でも一際目立つキャラクターになっていました。今回から登場したメッサーのパイロットの中で、モーリーだけは名前を覚えた……という人は少なくないハズ。
しかし、自分は原作既読だったので、ヴァリアントは沈み、モーリーも戦死してしまう、ということは知っていました。なので映画の序盤を見ているときは「ここから死亡シーンを劇的に描いて、映画としての盛り上がりどころを作るんだろうな……」と、思っていたんです。
が、ご覧になった方にはご存知の通り、この予想は完全に外していました。ヴァリアントが沈むシーンもモーリーが死んでしまうシーンもほぼ描かれていませんでした(「実はあれがそうだったのか?」と連想するようなシーンはありましたが)。
まともな戦闘力がほぼないヴァリアントはともかく、モーリーが戦死するシーンは、アニメオリジナルの戦闘シーンを追加して、ドラマチックなシーンとして描くこともできたはずなんですよね。あえてそれをせずに、後から事実を口づてに伝えられて知ることになるというのが、ハサウェイの視点ともリンクしていてリアルだなと。
実は原作でもほぼ同じ描かれ方がしているんですが、映画ではヴァリアントのクルーやモーリーが強く印象に残るようになっていた分、あっけなく人が死ぬという、戦いの無常さが痛いほど印象に残るシーンになっていたと感じました。
『ベルトーチカ・チルドレン』ではなく、『逆襲のシャア』の続きであることが明確に
そして何よりも衝撃的だったのが、終盤でのΞガンダムとレーンが乗るモビルスーツ・アリュゼウスとの戦闘シーンです。
アリュゼウスはペーネロペーが到着する前に練習機として配備されていた機体らしく、フォルムはペーネロペーに酷似しています。最初に出てきたときには「ペーネロペー?でもなんか形が違うような……」と思っていたので、中から量産型νガンダムが出てきた時は衝撃を受けました。
劇場公開前に解禁された映像で、νガンダムがバルカンを撃っているカットがちらっと映っていたので、「νガンダムが出るんじゃないか?」という予感自体は確かにあったんですが、それでもハサウェイの回想の中で出てくるぐらいだと思っていたんですよね。
最初に映画をみた時は量産型νガンダムとは気づけず、νガンダムの2号機が密かに残っていたのかと見間違えたほどでした。
というのも、Ξガンダムの戦闘シーンでアリュゼウスが半壊した際、背面のシェルフノズルが片方だけ残り、ビームサーベルのラックが壊れて1本だけになって、偶然にもアムロが乗っていたνガンダムそっくりのシルエットになってるんですよね。途中からハサウェイが幻覚でアムロとνガンダムを見ていましたが、自分自身もハサウェイと同じような状態になってました。
せめてシェルフノズルが全部壊れていればハサウェイがあそこまで錯乱することはなかっただろうなと思えます。
またあのシーンでは、今回の映画が『逆襲のシャア』の続きであることがはっきりと明言されたことに、個人的に衝撃を受けつつ、同時になるほどという納得感もありました。
原作の『閃光のハサウェイ』は、映画の『逆襲のシャア』ではなく、富野由悠季監督の小説である『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア ベルトーチカ・チルドレン』の続編という位置づけでした。『ベルトーチカ・チルドレン』では、アムロの恋人がチェーン・アギではなく『Zガンダム』に出てきたベルトーチカ・イルマだったり、クェス・パラヤを撃墜したのがアムロを助けようとしたハサウェイだったり、映画版との展開に大きな違いがあります。
原作でのハサウェイは、クェスを殺してしまったことがマフティーに参加する原因になっているのですが、映画のハサウェイはクェスが自分を庇って死んだ上、逆上して憧れの存在でもあるアムロの恋人を殺してしまったことに変わっていて、トラウマの方向性が全然違うんですね。
個人的に映画のハサウェイは、原作以上に病んでいる描写が多いと感じていたんですが、この流れを考えるといろいろ納得がいきました。『ベルトーチカ・チルドレン』でのハサウェイは、クェスと敵味方になってしまっていたので、やむを得ないところがあると思うんですが、映画では本来自分を助けようとしたチェーンを殺してしまっています。
その上クェスが死んだ責任に加えて、味方殺しをしてアムロへの負い目まで背負っているので、あそこまで精神状態が悪化していることにも納得がいきます。もし原作のハサウェイがアリュゼウスと戦って偶然あの状態になっていたとしても、アムロとνガンダムの幻覚を見ることはまずないでしょう。
『逆襲のシャア』では、アムロがクェスを取り戻そうと焦るハサウェイに「死人に引っ張られるぞ」と警告するシーンがあるんですが、その後アムロ自身がそうなってしまうのがなんとも皮肉です。
ラストシーンは、最後までハサウェイの内心が映し出した幻覚だったのか、ニュータイプ特有の「刻」を見ていた状態だったのかは解釈が分かれそうなところです。ある種の許しを与える最後のやりとりまでハサウェイの幻覚だとすると、あまりにも救いがないですが……。
原作小説内でも語られていた「IF」展開が映像化
また、アリュゼウスだけではなく、そもそもあの場にレーンがいること自体が、原作を知っているとより熱くなりました。
原作ではアリュゼウスだけではなくレーンも登場せず、その前のグスタフ・カールを撃破したところで戦闘が終わっているんですが、その前のシーンで「ケネスがあの場にレーンとペーネロペーを送っていれば、マフティーは殲滅されていただろう」という旨の文章が書かれているんです。
ケネスはギギの勘を信じて、グスタフ・カール2機を護衛につけたものの、ペーネロペーを一度下している新型のモビルスーツ(Ξガンダム)が本当にいると思っているなら、グスタフ・カール2機だけでは太刀打ちできないのも明白です。にも関わらずケネスがあれ以上の護衛をつけなかったのは、ギギの勘が必ず当たるとまでは信じられていないからで、ゲン担ぎとはいいつつも、その本質は現実主義者であることが分かります。
しかし映画ではこの展開が変化して、エアーズ・ロックでの戦いにレーンが登場しています。
これはケネスの命令なのか、レーンの独断なのかまでは判断が難しいんですが(レーンの台詞では自分の意思で来たようには聞こえましたが、ケネスからの理不尽な命令に自分を納得させる言葉とも取れるようになっていました)、原作で語られていた「IF」展開が映像化したようなシーンと言えます。
自分は直近で原作を読み直していたのもあって、ここで「本当にレーンが来た!?」と大興奮していました。結果的にはレーンがいようとハサウェイが勝利したわけですが、レーンはペーネロペーには乗っていなかったので、原作での文章と矛盾しているわけではないのも個人的にツボだったポイント。もしペーネロペーがあったら……?というところの妄想の余地は残してくれているんですよね。
あと、そもそも映画のレーンがすごくいいキャラしているなと。
煽られて人質だったガウマンを解放してしまったり、元々「若さ」が垣間見えるキャラではあったのですが、映画では大人(ケネス)を嫌悪するような台詞があったり、それがより顕著になっています。
ハサウェイとの戦闘シーンでもそれは活かされていて、正面から実力で勝とうとするレーンを嘲笑うかのように、ハサウェイはあの手この手を使ってレーンを翻弄しています。あれはレーンからすると「汚い大人」の戦い方で、純粋な子供と老練な大人の戦いみたいな構図にもなっていて(ハサウェイはまだ25歳なので、おそらく年齢には大きな差はないんですが)、ハサウェイとレーンの間でしっかりと因縁が作られています。
この後、レーンは最後まで子供として戦うのか、それともハサウェイと同じように大人の戦い方をするのか。決着が描かれることになるであろう、第3章での戦いに注目したいところです。
ハサウェイとギギ、ケネスを中心とした、三角では収まらないドロドロの恋愛模様
ハサウェイとギギ、ケネスの三角関係だけではなく、ケリア・デースやメイス・フラゥワーを交えての、ドロドロとした恋愛関係も大きな見どころでした。
個人的にとくに印象に残っているのが、ギギとメイスの対決(?)シーン。嫌味を言ってくるメイスに対してギギがカウンターをお見舞いし、激怒したメイスがビンタをして帰ってしまう……という流れなんですが、メイスが何を言われてあそこまで怒ったのかは分からず仕舞いでした。
一応原作だとしっかり台詞が書かれているのですが、ちょっとここに書くのは憚られるくらいパンチ力のある煽りです。マイルドにして改変したりシーンをカットするのではなく、あえて何を言ったかの想像を視聴者に委ねることで、強烈な印象を残すシーンになっているのがすごいなと。
またマフティーとしての使命感、自分を支えてくれたケリアとの関係性がある中で、ギギを好きになることを抑えられない「肉欲」とせめぎ合うハサウェイの葛藤は、『キルケーの魔女』の本題とも言える部分でもありました。ガンダムの主人公として良いのかと思う部分もありつつ、どんな大層な理想や正義を掲げた人間も、結局は一人の人間に過ぎないというのは納得がいく描かれ方です。
そうやって狭間で迷い続けているハサウェイに対し、メイスという愛人がいながらギギを手元に置こうとしていることに罪の意識が一切なさそうだったり、ある種開き直りのような境地にいるケネスは対照的で(それが良いか悪いかはともかく)、ケネスの方が1枚も2枚も上手な印象があります。レーン相手ならハサウェイは大人の立ち位置ですが、ケネスを相手にすると逆に子供になる……と構造に変化があるのも面白いところ。
そしてギギは、本当に上田麗奈さんの声がハマっていて、ハサウェイが「肉欲」に屈しそうになっちゃうのも納得してしまう、魔性の魅力が凄まじい。
面白いのは、ギギはミステリアスでエキセントリックな一面はありつつも、実は社会人として結構ちゃんとしていて、良識もしっかりと持っているんですよね。ハサウェイ、ケネス、ギギの中で一番まっとうなのはギギだと個人的に思っています。
お馴染みのガンダム顔が現れたラスト。あのBGMも流して欲しい
そして、映画のラストで明かされたΞガンダムのマスクの奥に隠されていたガンダムフェイス。原作小説のΞガンダムの頭部の形状は、むしろ従来までのものが近いんですが、近年のゲームやプラモデルではデザインがアレンジされ、ラストで出てきたものに近い、いわゆるガンダム顔のデザインで登場することが多いです。
かくいう自分も、初めて『閃光のハサウェイ』を知ったのは、ゲーム『SDガンダム ジージェネレーションF』だったので、こっちのデザインの方が圧倒的に馴染みがあります。最終章では、カラーリングもトリコロールに変わって、さらに馴染みのある機体デザインになるんじゃないかとも予想しています(その上でBGMの「その名はマフティー・ナビーユ・エリン」が流れたら号泣するかもしれません)。
『キルケーの魔女』が公開されるまで「続きはまだか」とずっと言い続けてきましたが、残すはあと1章だけなのか……と思うと、期待もありつつ見るのが怖い感覚もあり、なかなか複雑な想いがあります。『閃光のハサウェイ』といえば、作品を象徴するあのラストシーンがどうなるのかは、おそらく誰もが気になっているところでしょう。
原作ファンの一人として、その結末をしっかりと見届けたいと思います。