#3 圧倒的に読みやすい『源氏物語』の秘密──安田登さんと読む「ウェイリー版・源氏物語」【NHK100分de名著】
#3 「ウェイリー版・源氏物語」を、安田登さんがやさしく解説
「ゲンジ」は、こんなに面白い!
光る君は「シャイニング・プリンス」、天皇は「エンペラー」──。1920~30年代、イギリス人アーサー・ウェイリーによって英訳された『源氏物語』="The Tale of Genji"は、世界最古の小説として驚きをもって迎えられました。
今回、能楽師・安田登さんがNHK『100分de名著』で読み解くのは、ウェイリー訳を日本語に再翻訳した、いわば「逆輸入版」の『源氏物語』です。
安田さんは、英訳版を現代の日本語に訳し戻したとき、紫式部の描いた平安時代の情景は、誰もが読破できる、驚くほど面白い世界として立ち上がってくるといいます。
今回は本書「第1回」より、なぜウェイリー版の源氏物語が読みやすいのか、についての解説を公開します。
第1回「翻訳という魔法」より
なぜウェイリー版は読みやすいのか
では、私たち日本人から見た場合、ウェイリーが英訳した『源氏物語』にはどのような特徴があると言えるのでしょうか。
まず、ウェイリーは第一帖「桐壺」の注で、この帖は「宮中年代記(クロニクル)と、それまでにあったおとぎ話(フェアリー・テール)が混在したスタイル」で書かれていると述べています。つまり、神話と物語が混在しているというのです。これはおもしろい見方です。
ウェイリーはほかの帖ではそんなことはないと言っているのですが、私はほかの帖にも当てはまるのではないかと思います。西洋の人が「クロニクル」と言われて思い出すのは、タキトゥスの『年代記』や、『旧約聖書』の「列王記(れつおうき)」のような古代の王の年代記ではないかと思います。
『旧約聖書』と『源氏物語』の響き合いについては第4回で取り上げますが、ウェイリーは『源氏物語』にはそうした歴史書としての描写と、おとぎ話・神話的な要素とが含まれていると書いています。彼はそれを念頭に置きながら『源氏物語』を訳しています。それによって私たち読者は平安時代の神話的世界に誘われるのです。
次に、「敬語から主語を推測する」という、古典の授業で悩まされた作業が不要なため、圧倒的にわかりやすい。これも大きな特徴です。宮中が舞台の『源氏物語』は敬語が非常に煩雑です。しかも日本語の特性として、主語がしばしば省略されています。つまり、文中に使われている敬語から、それは誰が誰に言っている言葉なのかを推測する必要があるわけです。私はこれで高校時代に『源氏物語』がきらいになりました。いま思い出しただけでも脳みそがかゆくなってきます。
日本人による現代語訳の多くは、敬語を敬語として訳しています。それはそれで原文に敬意を示した訳し方で素晴らしいのですが、現代人からすると読みにくくもあります。
一方で、ウェイリーの英訳では敬語が省略されています。しかも英語ですから、主語が補われている。これだけで圧倒的にわかりやすい。らせん訳でも敬語はかなり省略され、主語がしっかり訳出されています。
また、『源氏物語』の原文にある「前栽(せんざい)」「檜垣(ひがき)」などという言葉は、現代人には馴染みがありません。日本庭園が好きな人や古典に親しんでいる人ならばわかるかもしれませんが、そうでもなければ「前栽」や「檜垣」と言われても頭に絵が浮かばない。
ウェイリーと同時代のイギリス人も同じだったでしょう。そこでウェイリーはこうした言葉を当時のイギリス人にも理解できる言葉で訳し、さらにらせん訳ではそれを古語に戻すことなく、ウェイリーの訳した語をそのまま使いながら、現代の私たちにも馴染みのある言葉に置き換えています。
原文とらせん訳を比較して見てみましょう。
前栽の花、色ゝ※咲き乱れ、おもしろき夕暮れに、海見やらるゝ廊らうに出いで給ひて、(「須磨」原文)
コテッジの前庭に植えた野の花々も、とりどりの色に咲き出でました。ある穏やかで心地よい夕暮れ、ゲンジは湾を見晴らすヴェランダへ出てきました。(「須磨」らせん訳)
※編注:原文では二文字の繰り返し記号
このように、『源氏物語』の原文が、ウェイリー訳をもとにしたらせん訳では現代の日本語に置き換わっています。
宗教行事を欧風にアレンジ
さらにウェイリー訳では、物語に登場する仏教などの宗教行事が、キリスト教のそれに置き換えられているところがあります。
たとえばウェイリーは、「験者(げんざ)」を「エクソシスト」と訳しています。エクソシストというのは、からだに入ってしまった悪霊を呼び出して、追い出す人をいいます。そして、物(もの)の怪(け)が取り憑いた状態を「エイリアンが入り込んだ」と書く。エイリアンが悪霊ですね。
これは西洋の読者に対し、その意味をイメージしやすくするために、キリスト教的な文脈で訳したのでしょうが、私たち日本人にも気づきを与えてくれます。
「験者」とか「物の怪」というとなんとなくわかった気がして、そのまま読み進めてしまいますが、「験者」を「エクソシスト」、物の怪を「エイリアン」と提示されることで、「そうか、験者の祈禱(きとう)とはからだに入ってしまった悪霊を引き出して、それを祓(はら)うための儀式なんだな」と、その意味を認識し直すことができる。日本語だからとわかった気になってしまっているところにストップをかける効果があるのです。
このように、英訳にあたってあの手この手の工夫を凝らしたウェイリーですが、さまざまな事情から英訳されなかったところもあります。まずは和歌。『源氏物語』には八百首近い和歌が登場しますが、ウェイリーはそのうちいくつかの訳を省略しています。
また訳し方も、和歌として独立させて訳すのではなく、「〇〇というを詠みました」と本文中に入れ込む形で訳しています。らせん訳では、まずウェイリーの英訳を現代語訳し、そこに元の和歌を復活させて添えています(表記は国文学者・藤井貞和による)。
英訳されていない帖もあります。ウェイリーは、三十八番目の短い「鈴虫(すずむし)」の帖をまるごと省略しています。理由はわかっていません。らせん訳の毬矢さんと森山さんは、この謎に追った研究者たちのさまざまな説を紹介しています。
ウェイリーが訳した『源氏物語』は、当初から全六巻で刊行することが決まっていた一方で、六巻に収めるためにはどこかを削らなければならない。全体を注意深く検討する中で「鈴虫」を削ることに決めた。あるいは、ウェイリーは物語終盤の宇治十帖(うじじゅうじょう)(「橋姫(はしひめ)」〜「夢浮橋」)を高く評価していたため、ここは省略せずに全訳したかった。だから宴(うたげ)の場面が中心の「鈴虫」を省略することにした、などなど。
本当のところはわかりません。しかし毬矢さんと森山さんは、たとえこの欠落があったとしても、ウェイリーの「世界初の英語全訳」という評価は変わらないだろうと言っています。
NHK「100分de名著」テキストでは、
第1回 翻訳という魔法
第2回 「シャイニング・プリンス」としてのゲンジ
第3回 『源氏物語』と「もののあはれ」
第4回 世界文学としての『源氏物語』
もう一冊の名著 『紫式部日記』
という構成で、ウェイリー版・源氏物語を味わいます。
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講師
安田 登(やすだ・のぼる)
能楽師
一九五六年千葉県生まれ。下掛宝生流ワキ方能楽師。ワキ方の重鎮、鏑木岑男師の謡に衝撃を受け二十七歳で入門、国内外を問わず活躍。おもな著書に『能650年続いた仕掛けとは』(新潮新書)、『学びのきほん 役に立つ古典』『学びのきほん 使える儒教』『別冊NHK100分de名著 集中講義 平家物語』『別冊NHK100分de名著 集中講義 太平記』(NHK出版)など。
※刊行時の情報です
◆「NHK100分de名著 『ウェイリー版・源氏物語』2024年9月」より
◆テキストに掲載の脚注、図版、写真、ルビ、凡例などは記事から割愛している場合があります。
※本書における現代語訳の引用は『源氏物語 A・ウェイリー版 』(全4巻、毬矢まりえ・森山恵訳、左右社)に、原文は『源氏物語』(全9巻、柳井滋ほか校注、岩波文庫)に、英訳はThe Tale of Genji translated by Arthur Waley Tuttle Publishingに拠ります。また、読みやすさを鑑み、引用の一部にルビの加除をしています。
◆TOP画像:『源氏物語絵巻』住吉具慶筆 東京国立博物館所蔵
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)を加工
※テキストへの掲載はございません。