過去を懐かしむ余裕は、まだない。『アフタヌーン40周年展』を前に、山口つばささん×金井暁編集長が語る40年と『ブルーピリオド』誕生秘話【インタビュー】
月刊漫画誌『アフタヌーン』の創刊40周年を記念した『アフタヌーン40周年展』が、2026年7月10日(金)より東京・池袋のサンシャインシティで開催される。
キャッチコピーは「マンガ繚乱」。『ああっ女神さまっ』『寄生獣』『蟲師』『無限の住人』『ブルーピリオド』『メダリスト』など、ジャンルも時代も異なる作品が一堂に会し、それぞれの個性豊かな世界が咲き誇る。
開催を記念し、アニメイトタイムズでは『ブルーピリオド』作者の山口つばささんと、『アフタヌーン』編集長・金井暁氏による対談を実施。長く活躍する作家から新たに加わった作家まで、多彩な才能が集う『アフタヌーン』の誌面づくり、40周年を迎えてもなお過去を懐かしむ余裕はないという金井編集長の思い、そして『ブルーピリオド』が編集部にもたらしたものや、山口さんが振り返る連載当初から現在までの歩みなどについて語ってもらった。
【写真】『アフタヌーン40周年展』に寄せて|山口つばささん×金井暁編集長インタビュー
世代も国境も越えて、面白い作品を届ける
──『アフタヌーン40周年展』がいよいよ開幕します。まずは、開催が決まった際の率直なお気持ちをお聞かせください。
山口つばささん(以下、山口):40周年と聞いて、まず「すごい歴史だ」と思いました。内々の話なのですが、私は35周年のタイミングで、関係者の方へ配るものだったと思うのですが、イラストを描かせてもらっていたんです。それから、もう5年も経ったんだなという驚きがありました。
金井暁編集長(以下、金井):40周年を迎えるにあたり、何かしたほうがいいとは思いつつ、なかなか発想が出てこなかったんです。そうしたら、講談社ライブエンターテインメント事業部から「40周年展をやりましょう」と声をかけてくださって。それなら、ぜひお願いしますということになりました。
──40年の歴史を振り返るなかで、あらためて感じた「『アフタヌーン』らしさ」はありましたか?
金井:本当に申し訳ないのですが、僕は振り返らないことにしたんです。今回の振り返りについては、アフタヌーン40周年展製作委員会の皆さんにすべてお任せしています。なんていうんでしょう……過去を振り返ることで、自分の気分が上がるとは思えなかったんです。それは自分自身のことでもそうですし、『アフタヌーン』という雑誌についても同じで。まだ、過去を懐かしむ気分にはなれないんですよね。
山口:いろいろな責任があると、手放しでは喜べないところもあったりするんですか?
金井:それもありますし、なんていうんでしょうね。僕個人としては、ずっといっぱいいっぱいでやってきて、今もいっぱいいっぱいなんです。「あの頃はまぶしかったな」と振り返るような余裕が、まだ全然なくて。だからこそ、編集部の外にいる方々の視点から、40年間の『アフタヌーン』の歩みを、客観的な視線も交えて取り上げていただけるのであれば、それはとってもありがたいことだと思っています。
──『アフタヌーン』には、作風もキャリアも異なる作家の作品が自然と並んでいる、稀有な雑誌という印象があります。そういったバランスについて、意識されていることはありますか?
金井:バランスは、あまり考えていないです。というよりも、「面白ければ何でもいい」というつもりでいます。たとえば、70歳や80歳の新人の方が四季賞に応募してくださって、その作品が本当に面白ければ、ぜひお願いしますということになります。海外の描き手の方も少しずつ増えていますが、それも意図的に増やそうとしているわけではありません。応募してくださったり、何らかのご縁ができたりして、作品が面白ければ一緒にやりましょう、ということです。本当にそういう感じで、戦略的に世代やジャンルのバランスを取っているというよりは、純粋に面白い作品を掲載する。その積み重ねですね。
──次の【アフタヌーン四季賞2026年 秋のコンテスト】は、安野モヨコさんが選考委員ですね。
山口:それはすごく楽しみですね。
金井:そうですね。四季賞の選考委員をお願いしているので、そのお話をするために、安野モヨコさんのご自宅へ伺う機会がありました。昨年は、ちょうど『後ハッピーマニア』の最終回を描いていらっしゃる時期で。着物姿で迎えてくださったのですが、現場にいた編集部の人間も、リモートでつないでいた編集部の人間も、その存在感にノックアウトされていました。
『ブルーピリオド』がなければ40周年を迎えられなかったかもしれない
──金井編集長は、『ブルーピリオド』の魅力をどのように捉えていますか?
金井:僕が編集長になったのは2015年9月なのですが、その前後は、『ああっ女神さまっ』『シドニアの騎士』『無限の住人』をはじめ、それまで『アフタヌーン』を支えてくださっていた主力作品が、続々と連載終了を迎える時期でした。ただ、業績自体はよかったんです。『亜人』や『シドニアの騎士』もありましたが、当時の大きな収益の柱になっていたのは『寄生獣』でした。映画化とアニメ化が重なり、過去作である『寄生獣』が爆発的に売れた時期だったんです。ただ、当然ながら、メディア化が一段落すれば、その盛り上がりも永遠には続きません。
そうしたなかで編集長になり、痛感したことがありました。編集部のみんなが疲れ切っていて、新しいものが生まれそうな雰囲気がまったくない。農業にたとえるならば、「土が枯れている」と感じたんです。この土をどうにかしなければ、新しいものは育たない。そんな感覚を抱いていました。
その約1年後、山口さんの担当編集者である川村さんから、新しい企画の話を聞きました。当時は、まだ『ブルーピリオド』というタイトルも決まっていなかったですが「東京藝術大学出身の山口つばささんが、その経験を生かして、藝大を目指してアートと格闘していく人々を、スポ根のように描く企画があるんだけど、どう思いますか」と。それを聞いて、僕は「一刻も早く始めてほしい」と思いました。
山口:うれしいです。
金井:今でも、その話を聞いた瞬間のことをよく覚えています。「これがきっと起爆剤になる」という感覚がありました。
──金井編集長にとってだけでなく、『アフタヌーン』にとっても大切な一作だったのですね。
金井:そうだと思います。極端なことを言えば、あのとき『ブルーピリオド』が始まっていなかったら、『アフタヌーン』は40周年を迎えられていなかったかもしれないですよ。
山口:いやいや……。最初は全然売れていなかったですけど(笑)。
金井:でも、編集部としては「これは絶対に面白い」という確信があったんですよね。最初から一気に売れたわけではないという意味では、ある種のスロースタートだったと思いますが、その後の『アフタヌーン』のヒット作にも、そういう作品は多いんです。たとえば『スキップとローファー』もそうでした。
山口さんご自身が当時どう感じていたかはわかりませんが、雑誌として送り出す側には確信がありました。「このまま売れなかったら世間のほうが悪い」と思うくらいでしたが、世間はそんなに馬鹿ではない。いつか必ず理解される日が来ると思っていました。
──そうした編集部の思いは、当時、山口さんにも伝えられていたのでしょうか?
山口:まったく聞いていなかったです(笑)。担当編集の方は、最初から作品をあまり大きく見せすぎないほうがいいとか、私を舞い上がらせすぎないほうがいいとか、漫画家のことをいろいろ考えてくださる方なんです。それは私にとって、すごく良いことでした。そのため、今でも「『ブルーピリオド』に救われているよ」と言われると、「そうなのかな?」という感覚が、どこかにありますね。
──『ブルーピリオド』は現在、八虎と橋田が海外を遠征中です。連載当初から、ここまで長く続くことや、海外まで舞台が広がることを想像されていましたか?
山口:こんなに長く続くことになるとは想像していませんでした。最初の打ち合わせでは、「打ち切りになったら、どこで物語を終えるつもりなのか」という話をしていました。3巻くらいで終わるなら受験までかな、と。合格しても連載が続いたら、大学生活を描いていこうという感じでした。受験編まではある程度考えていましたし、「こういう展開があったら面白いだろうな」というものはありましたが、私はわりと行き当たりばったりな人間で。こんなに何も決めず、ノープランで走っているのに、よくここまで続いているなと思います(笑)。
過去の作品と現在の作品が、新たに出会う場所
──今後の物語はもちろん、『アフタヌーン40周年展』で展開される『ブルーピリオド』の展示も楽しみです。金井編集長から、あらためて本展の魅力や見どころを教えてください。
金井:ようやく(2026年6月に開催された)『寄生獣展』の展示を見に行けたんです。僕が『寄生獣』を読んでいたのは大学生の頃で、会社に入った翌年くらいに連載が完結しました。展示を見ていると、その頃の自分のことが、まざまざと思い起こされるんですよね。
今回の展示を訪れる方も、それぞれ作品を読んでいた時期は違うと思います。けれど、作品に触れることで、当時の自分の気分をもう一度味わえるというか。ある種、同窓会のような感覚になるのではないでしょうか。同時に40年間ずっと『アフタヌーン』を読み続けてくださっている稀有な方もいると思いますが、ほとんどの方はそうではないはずです。
今の読者の方にとっては「昔、こんな作品があったんだ」という新たな出会いになりますし、、かつて読んでくださっていた方にとっては、「今の『アフタヌーン』では、こんな作品をやっているんだ」と知るきっかけになるのではないかなと。過去と現在、それぞれの作品と新たに出会う場所になればいいなと思っています。
──現在『スキップとローファー』の展覧会も開催されていますね。
山口:私も『スキップとローファー展』へ行かせてもらったのですが、高松美咲さんが展示に寄せられていたコメントを拝見して、「こんな思いを込めて描かれていたんだ」と。作品の見え方が広がったように感じました。
──山口さんが『アフタヌーン40周年展』で楽しみにされている展示や企画はありますか?
山口:普段はなかなかグッズにならない作品のグッズが、たくさん出ることがすごく楽しみです。本当に個人的な話をすると、『宝石の国』のグッズがあるのがうれしくて。しかも描き下ろしなんですよね。「これはうれしい!」と思いました。
金井:市川春子さんがご自身で手がけてくださったんです。
山口:あまりそういったことをされない印象もあったので、驚きました。超楽しみです。
金井:僕もです。今回はご自身で描き下ろし、監修までしていただけたことが本当にありがたかったですね。
──あっという間にお時間となってしまいました。最後に、今後『アフタヌーン』として挑戦していきたいことを教えてください。
金井:挑戦したいことですか……。いやあ、僕は、あまり野望や野心、目標のようなものを持っていないんですよね。
すごく個人的な話をすると、僕は水木しげるさんが200歳くらいまで生きるものだと思っていたんです。だから、いつかご一緒に仕事をする機会もあるだろうと勝手に考えていたのですが、それがかなわなくなってしまったことが、ものすごくショックで。それもあって、今は、いしいひさいちさんに一度、お仕事をさせていただきたいなと思っています。
──いしいひさいちさんの作品がお好きなのですね。
金井:特に『ののちゃん』が大好きなんです。実は、娘の名前も作品から付けました。うちの娘は今15歳ですが、名前を決めたときのことは今でもよく覚えています。ある夏の日に会社から帰ったら、妻から「娘の名前が決まったから」と言われたんです。「考えた、じゃなく、決まったの?」と聞いたら、「そう。のの子。いいでしょ。あなたも好きでしょ」と。
少し珍しい名前でもあるので、「生まれてきた子が“のの子”という顔ではなかったら、もう一度考えよう」と話していたのですが、帝王切開で生まれ、手術室の外で待っていた僕に助産師さんが「のの子ちゃん、元気ですよ!」と声をかけてくださって。その瞬間に「ああ、もう決定だな」と思いました。
山口:そうなってしまう感覚は、なんだか分かる気がします。
──いいお話です。
金井:先ほど、作家の世代を問わないという話もしましたが、雑誌全体の目標というより、個人として、いしいひさいちさんと一度仕事をしてみたいという願いがあります。それと、今回ひさしぶりにカラスヤサトシさんの単行本が出ることも楽しみにしています。『アフタヌーン40周年展』の図録では、最後を僕の挨拶で締めてほしいと言われたのですが、「それならカラスヤサトシさんにも4コマを描いてもらいましょう」とお願いしました。
『アフタヌーン40周年展』の図録だと言っているのに、僕とカラスヤさんの昔の出来事が描かれています(笑)。面白かったですよ。一緒に富士山に登ったときの話や、近所でばったり会った話など、40周年らしい内容かと言われたら、「40」の「4」の字もないんですけどね。
山口:でも、そういうものも含めて『アフタヌーン』らしいというか(笑)。
金井:そうかもしれません。『アフタヌーン』の今後についての、僕の大きな野望のようなものは特にありません。ただ、これからも、面白いさまざまな作品が次々と飛び出していく雑誌であってくれたら、それが一番いいなと思っています。
[文&撮影・逆井マリ]