『精神異常のふりをして精神病院へ入った23歳女性記者』ネリー・ブライが暴いた劣悪な実態
女性記者に命じられた「精神病院への潜入取材」
ネリー・ブライは、19世紀末のアメリカで活躍した女性記者である。
本名はエリザベス・コクラン。のちにジュール・ヴェルヌの小説『八十日間世界一周』になぞらえて世界一周に挑み、72日で帰還した記者としても知られ、後年には実業家として鉄製容器を製造する会社の経営者となった。
しかし彼女の名を一躍世に知らしめたのは、そうした華やかな逸話よりも前に行った、ある危険な潜入取材だった。
1887年、23歳だったブライは、ニューヨーク・ワールド紙から一つの仕事を命じられる。
それは「精神異常を装って精神病院に入り、患者たちがどのように扱われているのかを内側から調べる」というものだった。
当時、精神病院では患者が虐待されているのではないか、という噂があった。
しかし実際に患者たちがどのような生活を送り、看護師や医師からどのような扱いを受けているのかは、新聞記者であっても外から眺めるだけでは分からなかった。
ブライ自身も、最初から病院の中に虐待があると決めつけていたわけではなかったが、本当の状況を知るには自身が潜入するしかないと考えた。
しかし、精神病院へ行きたいと申し出ても、記者の身分のままでは中へ入ることはできない。
当時、精神疾患が疑われる女性は、警察や裁判所、医師による判断を経て施設へ送られる仕組みになっていた。つまりブライは、まず周囲から「精神状態に問題がある女性」と判断される必要があった。
そこで彼女は「ネリー・ブラウン」という偽名を使い、まずは働く女性や行き場を失った女性たちが暮らす一時宿泊施設へ向かった。
そこで自分を異常な女性だと思わせることができれば、警察や医師の手を経て、目的地であるブラックウェル島の精神病院へたどり着ける可能性があったのだ。
編集部はいざとなれば正体を明かして救出するつもりだったが、一度患者として扱われれば自分の意思だけで外へ出られる保証はなかった。
危険な潜入取材は、こうして始まった。
彼女はどうやって「精神異常」とされたのか
ブライが最初に向かったのは、ニューヨークのセカンド・アベニュー84番地にあった「Temporary Home for Females」という女性用の一時宿泊施設だった。
施設に入ったブライは、すぐに大声で暴れるような行動は取らなかった。
所持金も少なくし、身なりも裕福な女性には見えないようにするなど、周囲から「助けが必要な女性」と見られるよう慎重に振る舞ったのだ。
そして他の女性たちを見ながら「みんな精神異常に見える」「怖い」などと口にし、どこか遠くを見つめるような表情を作った。
自分の過去について聞かれても「忘れた」と答え、眠るように促されても服を脱がず、ベッドの端に座ったまま夜を明かしたのである。
その奇妙な様子に、同じ部屋にいた女性たちは不安を感じ始めた。
ある時、ブライは「なくしたトランクを探したい」と言い始めた。施設の人々は彼女を落ち着かせるため「一緒に探しに行こう」と話を合わせて外へ連れ出し、警察へ引き渡した。
やがてブライは裁判所へ送られ、その後、医師による診察を受けることになる。
裁判所では、ブライの身元や来歴について確認が行われ、彼女が出身地について「キューバ」と答えたり、記憶が曖昧になっていると話したりすると、それらは混乱の表れとして受け取られていった。
診察では舌や脈、瞳孔の状態などが調べられたが、ブライは近視だったため普段から瞳孔は大きく見えた。
しかしそれも、薬物や精神状態の異常によるものではないかと疑われた。
彼女は「病気ではない」「家に帰りたい」と訴えてみたが、自分を正常だと思い込んでいる患者の言葉として扱われ始めた。
この時、ブライは恐ろしい現実に気づき始めていた。
一度「精神異常かもしれない」と判断されてしまうと、何を言っても疑いを晴らすことが難しい。黙っていれば異常に見え、抗議すれば興奮していると受け取られてしまう。
正気を証明しようとするほど、そこから抜け出すことは難しくなっていくのである。
こうして数日後、ブライは他の女性たちとともに船に乗せられ、ブラックウェル島の女性精神病院へ送られることになる。
ブラックウェル島で見た女性患者たちの現実
ブライたちを乗せた馬車がブラックウェル島の精神病院へ到着すると、目の前には芝生に囲まれた石造りの建物があった。
外から見れば、病気を抱えた人々を療養させる穏やかな場所にも見えたが、扉の向こうで待っていたのは想像とは違う生活だった。
中へ入ると、患者たちは長い廊下を通され、硬いベンチの並ぶ部屋に座らされた。
窓には鉄格子があり、外の景色は見れたが外出は許されず、少し話し声が大きくなれば叱られ、立ち上がって歩くことさえ自由ではなかった。
病院に入ったブライは、もう精神異常の演技をやめていたが扱いが変わることはなかった。
そしてブライは「ここにいる女性たちの中には、精神疾患ではないのに収容されている者もいるのではないか」と考えるようになる。
実際、彼女は後に、自分と同じくらい正気だと確信した女性が何人もいたと記している。
中には英語を話せないために医師の質問へ答えられず、混乱していると判断された移民女性もいた。
ほかにも家庭の事情や貧しさから病院へ送られ、自分がなぜここにいるのかを冷静に説明している女性もいたが、その言葉が信じられることはなかった。
入浴の際にも、ブライは氷のような水を張った浴槽へ入れられて体を乱暴に洗われたうえ、頭から何度も冷水を浴びせられたという。
こうした仕打ちを訴えても患者の思い込みとして片づけられるため、女性たちは声を上げることさえできなかった。
ブラックウェル島でブライが目にしたのは、正常かどうかを十分に確かめられないまま収容された女性たちが、治療よりも服従を求められ、訴えを聞いてもらえない場所だったのである。
救出されたブライが、社会を動かした
ブラックウェル島で過ごすうちに、ブライは早く外へ出たいと願う一方、自分だけが解放されることに後ろめたさを覚えるようになった。
彼女には帰る場所があり、正体を知る新聞社の人間もいる。しかし周囲には家族に見放された女性や、貧しさによって行き場を失った女性、言葉が通じないまま収容された女性もおり、取材が終われば外へ出られるブライとは立場が違っていた。
やがてニューヨーク・ワールド紙の関係者が動き、ブライは10日間の収容生活を終えて解放された。
だが残された女性たちを思えば、自由を喜んでいるだけにはいかない。彼女はそこで見聞きした実態を記事にし、閉ざされた病院の内側で何が起きていたのかを世間へ訴えた。
若い女性記者が精神異常を装って病院へ潜入し、患者への劣悪な扱いを告発した記事は大きな反響を呼び、後に『Ten Days in a Mad-House』としてまとめられた。
さらにブライは大陪審の前で証言し、陪審員たちとブラックウェル島を再訪している。
しかし、その時には食事や病棟が整えられ、患者への対応も以前より丁寧になっており、彼女が出会った女性の一部は別の場所へ移されていたという。
それでも大陪審はブライの告発を退けず、ニューヨーク市は精神疾患患者のケアに充てる予算を年間100万ドル増額した。
彼女の報道によって、外部から閉ざされていた病院の実態が広く知られ、行政を動かす大きな改革につながったのである。
この取材によって、ネリー・ブライの名は一躍知られるようになった。
のちには世界一周の記録でさらに名声を高め、実業家としても活動するが、彼女の原点にあったのは自ら現場へ入り込んで真実を確かめる姿勢だったのである。
参考 : Nellie Bly, Ten Days in a Mad-House; or, Nellie Bly’s Experience on Blackwell’s Island, 1887, Project Gutenberg.
文 / 草の実堂編集部