「自分らしく生きていい」と思えるきっかけを届けたい 映画『ブルーボーイ事件』中川未悠インタビュー
東京オリンピックや大阪万博で沸く高度経済成長期の日本で、「性別適合手術」が違法か合法かを争った“実際の裁判”から着想を得た映画『ブルーボーイ事件』が、11月14日より全国の劇場で公開されます。
『僕らの未来』(2011)、『フタリノ セカイ』(2022)など、トランスジェンダー男性であるというアイデンティティを反映した独創的な作品を生み出してきた飯塚花笑(いいづか かしょう)監督が手掛ける本作品。
監督の「この物語を描くには当事者によるキャスティングが絶対に必要」という強い意志のもと実施されたオーディションで、主人公のトランスジェンダー女性・サチ役に抜擢されたのは、演技未経験の中川未悠(なかがわ みゆ)さんでした。
大学生の頃、自身が性別適合手術を受けるまでの半年間を追ったドキュメンタリー映画『女になる』(2017、田中幸夫監督)に出演した経験を持つ中川さん。本作で初めてお芝居に挑戦した彼女に、作品に対する思い、撮影中の印象的なエピソード、地元・神戸のお話などを伺いました。
ーSTORYー
1965年、東京で性別適合手術を受けた「ブルーボーイ」たちは、戸籍が男性のまま女性として働いていたため売春防止法では取り締まれなかった。警察は手術を行った医師・赤城を優生保護法違反で逮捕。患者のサチ(中川未悠)は証言を求められるが迷い、仲間たちはそれぞれの立場で裁判に臨む。手術を「治療」とする弁護側の主張に対し、アー子は「女として生きたいだけ」と訴えるがー―(映画『ブルーボーイ事件』公式サイトから要約)。
オーディションでサチ役に抜擢されましたが、参加のきっかけについて教えてください。
大学を卒業後、アパレル関係の仕事に就いて、結婚してからも続けていたんですけど、夫の転勤で大阪に引っ越すことになったタイミングで辞めたんです。
ちょうどその時に『ブルーボーイ事件』のオーディションのお話をいただきました。
オーディションを受けたのが3年前、27歳の時で。すごくワクワクしながら受けたことを覚えています。
キャスティングが決まった時はどんなお気持ちでしたか?
オーディションは一次と二次があって、一次に受かったときは本当にびっくりしましたが、その時に「ここまで来たら、受かってみたい!」という気持ちが強くなって、少し自信にもつながりました。
二次オーディションを終えて、「合格しました」とメールをもらったときは、1分くらい固まってしまって。「本当かな?」「打ち間違いじゃないかな?」と、何度も確認しましたね(笑)。最初はそれくらい信じられない出来事でした。
演技未経験で、いきなり主演に抜擢。とても緊張しそうですね…!
「右も左もわからない状況」って、こういうことなんだと思いました(笑)。
だけど、飯塚監督やプロデューサーの遠藤さんなど、スタッフの皆さんがすごく丁寧に準備してくださって。撮影の半年前くらいから、演技の先生との練習が始まり、脚本を読む練習、呼吸の仕方、人前で緊張しないためのトレーニングなど、基礎の基礎から教えてもらいました。
準備期間を設けていただいたおかげで、少し心の準備ができたのはありがたかったです。
本作の印象的なシーンとしてサチが法廷で証言する場面を挙げていますが、他に心に残っているシーンがあれば教えてください!
サチの恋人である、篤彦さんとのシーンでしょうか。撮影期間は4日ほどだったんですが、ロケ地のマンションが2日しか借りられなかったので、かなり詰め込んで撮影したんです。
朝一番で泣くシーンを撮って、次はキスシーン、その次はケンカのシーン……みたいに、撮影の順番もバラバラで。感情の整理がすごく大変でした。
特に、酔っ払って帰ってきた篤彦さんを突き飛ばすシーンは何十回も撮りました!もう、プロレスみたいで(笑)。空調も止めているからお互い汗だくだし、壁に押しつけるたびに篤彦さんのシャツがどんどん汚れていって。
最初は真っ白だったシャツが最後は襖の汚れで灰色になったんですが、そのまま使われてたので、「酔って転んで汚れた設定になったのかな?」なんて思ったり……。
そんな裏話があったんですね(笑)。
いっぱい押しつけて良かったと思いました…(笑)。篤彦さんとのシーンは本当に深くて、感情的にも濃かったです。
本作は“重たいシーン”が多い作品ですが、撮影現場の雰囲気がどんな感じだったのか気になります。
物語とは対照的に和やかでした。スタッフさんたちの仲がすごく良くて、本当に温かい現場だったと思います。
キャストの皆さんとも、撮影前に顔合わせや本読みの機会が何度かあって。“ブルーボーイ”役のみんなで本読みのあとに飲みに行くこともあり、そうやって打ち解けていたおかげで現場では本当に仲が良かったです。
物語の中でブルーボーイたちを追い詰める「時田検事」を演じる安井順平さんとも仲良くすごしていたのでしょうか?
潤平さんとは、サチが罵声を浴びせられるシーンの前日にご飯をご一緒したんですが、とても気を遣ってくださっていて。「初めての映画でいきなり激しいシーンをぶつけるのは申し訳ない」とおっしゃってくれました。
けれど、そうじゃないとあのシーンは深くならないと思ったので、私も「全力で来てください」とお願いしました。
観ている側も胸が痛くなるあのシーンは、そうやって生まれたんですね。個人的には、友人のブルーボーイ「アー子」の店の屋上で洗濯をしている場面がとても印象に残っています。
屋上のシーンはサチが心を少し開いていく“転機”のような場面で、私もすごく好きです。
これまで人を慰めるような人生を送ってこなかったサチが、仲間と再会して少しずつ昔の自分を思い出していく。そんな象徴的なシーンなんです。
飯塚監督もすごく大事にされていたシーンで、アー子役のイズミ・セクシーさんと何度もリハーサルを重ねました。何気ない会話なんですけど、細かい演出が多くて、すごく丁寧に作られたシーンだと思います。
この作品はスタッフ・キャスト全員が「この作品を良くしたい」「この事件をもっと多くの人に知ってほしい」という気持ちでひとつになっていて、私も演技未経験なりに「全力でやろう」という気持ちは最初から強く持っていました。
裁判のシーンは、撮影4日目というかなり早い段階で撮ったんですよ。物語の山場となるシーンだったので、プレッシャーもすごかったです。でも、その山場をやり切れたことでスタッフもキャストも「この作品はいける」と自信を持てたように思います。
私自身も緊張がほぐれて、それ以降の撮影はのびのびと進められました。本当に全員がひとつになれた現場だったと思います。
まだ撮影に慣れていない段階で、あのシーンを撮ったんですか…!
そうなんです!「どんなスケジュールやねん!」って思いました(笑)。本当に緊張しましたね。
そういえば、サチの幼少期の回想でおばあちゃんとの思い出のシーンがありましたが、「サチの出身は淡路島」という設定は中川さんが神戸出身であることに関係しているのでしょうか?
私は生まれも育ちも関西で、関西弁が抜けなくて(笑)。お芝居では標準語で話す設定だったので、標準語のトレーニングもしていたんですけど、やっぱり“関西人が話す標準語”って少しイントネーションが違うんですよね。
それで、最初は徳島出身という設定だったのが「中川さんが関西の方だから」と、淡路島出身に変わりました。だったら神戸でも良さそうなんですが、監督曰く「もう少し田舎っぽさを出したい」ということで。
都会よりも田舎の方が“生きづらさ”を感じる、みたいなことでしょうか。
まさにそれです。神戸だと都会すぎるから、少し閉鎖的な空気のある場所のほうが、サチの背景としてしっくりくるという意図があったみたいです。
今後も俳優としてお芝居を続けていきたい気持ちはありますか?
はい。『ブルーボーイ事件』を通じてお芝居の楽しさを知りました。ありがたいことに次の作品もすでに決まっています。
『女になる』に出演した頃から「トランスジェンダーとして自分に何ができるか」「どうすれば誰かに勇気を与えられるか」ということを考えていたんですが、“お芝居”という手段にたどり着いた今は、演技を通じていろいろな人に希望や勇気を届けたいと思っています。
お芝居だけでなく、学校や企業での講演活動も行っていると伺いました。
はい。中学校や高校に行くことが多いんですが、そういう場所にはトランスジェンダーに限らず、同性を好きになったり、自分の性に違和感を持っていたり、誰かしら“悩んでいる子”がいて。そういう悩みを聞くたびに、自分の過去を思い出します。
「私より下の世代の子たちが、もっと生きやすくなるにはどうすればいいんだろう」。そう考えたときに、講演を続けたり、映像の中で自分の姿を見せることが、誰かの勇気につながるかもしれないと思いました。
「自分も生きていいんだ」と思えるきっかけを届けたい。それがお芝居の仕事を続けたいと思う一番大きな原動力かもしれません。
「LGBTQ+」という言葉が普及し、トランスジェンダーを含め、人々の価値観・考え方がすごいスピードで変化しているように感じます。こうした目まぐるしい社会の変化を中川さんはどのように受け止めていますか?
『女になる』の頃から約10年。LGBTQ+の人に対する偏見や差別はずいぶん薄れてきたように感じています。
講演活動で学校に行くと、10年前は「先生には内緒で…」とこっそり相談してくる子が多かったんですが、最近は廊下で普通に「私、女の子と付き合ってるねん」とか「先生も知ってるで」と話している子がいるんです。
もちろん学校にもよりますが、「こんなに変わったんだ」と感動することが多いですね。
その一方で、生徒の声を聞かずに「うちにそういう子はいません」と言い切る先生がいる学校も当然あって、先生たちの人柄や考え方によっても環境は大きく変わるんだと感じています。
“周囲の人の存在”は、良くも悪くも影響を及ぼしそうですね。作中でもアー子や篤彦の存在はサチにとってすごく大きいものだと感じました。
仲間や友達、信頼できる人の存在の大切さ。それはトランスジェンダーに限らず、誰にとっても同じだと思います。たった一人でも、心から信頼できる人がいれば、それだけで生きる希望が湧いてくるんですよね。
私も、友達や家族、学校の先生など、まわりの人たちに恵まれていました。もしあの頃、誰にも相談できずに一人で悩んでいたら、きっと生きていなかったと思います。
だからこそ、同じような思いをする子を増やしたくないし、自分らしく、好きな人を好きでいられる社会になってほしいです。そのために、私自身が少しでも希望を与えられるような存在でありたいし、そうあり続けたいと思っています。
ありがとうございます。最後に少しトーンが変わりますが、中川さんは神戸のご出身ということで、好きな場所や思い出深い場所を教えてほしいです!
神戸の好きな場所……、ありきたりかもしれませんが、神戸は海と山がすごく近いじゃないですか。海に行ったあとに山にも行けるし、そういう距離感が魅力ですよね。夜景もきれいですし、景色全体が本当に素敵な街だと思います。
どちらかというと「山派」で、『布引ハーブ園』によく行きます。ロープウェイで登って、季節の花や自然に触れ合う時間がとても好きです。
『ブルーボーイ事件』の脚本を読んでいて気分が乗らない時も、気分転換にハーブ園へ行ってました。コーヒーを飲みながらぼーっと脚本を読んでいた時間がすごく思い出に残っています。
新神戸駅からすぐに行けるので、神戸に来たらぜひ立ち寄ってほしいですね。降りたあとに南京町を散策するのもおすすめです!
映画『ブルーボーイ事件』
2025年11月14日(金)より全国公開
兵庫県内では『OSシネマズミント神戸』(神戸市中央区)で上映されます。
作品情報
映画『ブルーボーイ事件』
<公開日>
2025年11月14日(金)
<監督>
飯塚花笑
<脚本>
三浦毎生、加藤結子、飯塚花笑
<プロデューサー>
遠藤日登思、金山、吉田憲一、新井真理子、押田興将
<配給・宣伝>
日活/KDDI
<キャスト>
中川未悠、前原滉、中村中、イズミ・セクシー、真田怜臣、六川裕史、泰平、渋川清彦、井上肇、安藤聖、岩谷健司、梅沢昌代、山中崇、安井順平、錦戸亮
上映劇場(兵庫県)
OSシネマズミント神戸
(神戸市中央区雲井通7丁目1-1 ミント神戸 9階)