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今年もよろしゅうお頼み申す! 戦国時代の年始の過ごし方を紹介しよう!

さんたつ

皆々、新年あけましておめでとうさん! 前田又左衛門利家である。 これよりは儂がおもしろき戦国、歴史の話を届ける戦国がたりの時じゃ! 2024年も多くの歴史のたのしき話を紹介して参る所存であるでな、今年もよろしゅうお頼み申す。 新年の挨拶はこの辺りに、此度は戦国時代の新年についての話をして参ろうかのう。 いざ参らん!

新年行事

皆にとっての新年といえば思い浮かぶ催しはなんであろうか。

一年の無事を祈る初詣、子にとっては一年の最大の収入となるやも知れんお年玉、「雑煮」や「御節」といった新年ならではの飯や、羽つきや独楽などの古き良き遊びに触れる機会でもあるわな。

名古屋では熱田神宮や大須観音、伊勢神宮が初詣に集うたものたちで大きなにぎわいを見せる他、名古屋城でも開門式など特別なる催しが行われたりもしておる。

正月文化は江戸時代に民の間で広まったものも多いのじゃが、古くは宮廷行事に起源を持つものも少なく無い。

ならば我らが生きた戦国時代はどうであったのか。それを此度は話していこうではないか。

戦国時代のおせち料理

先ずは新年の特別な料理であるおせちじゃな!

古き時代に宮中にて神に食事を供える「御節供」が行われておったのじゃが、これが転じて正月に祝いの料理を食べるようになった。

これがおせちの始まりである。

戦国時代、我ら武士もこれを真似ておせちを食って新年を楽しんでおった次第である。

じゃが、昆布、海老、栗きんとんなどの今のような大枠の決まりは少なく、それぞれの家がそれぞれの伝統でおせちを作っておった。

然りながら、現世のおせちに影響を与えたとされる武士が一人おる。

その者とは「戦国の戦う料理人」こと伊達政宗である。

伊達政宗は料理をするのが滅法好きでな、疲れがたまると料理の献立を考えることで気分転換をしておったそうじゃ。

ずんだ餅や凍り豆腐を開発したとの逸話が残るほどで、おせちに欠かせぬ伊達巻も政宗考案との説もある。

そんな伊達家のおせちには

・伊勢海老
・白鳥肉
・くじら肉
・アワビ
・なまこ

など、海の幸を中心に贅沢な数々が並んでおったそうじゃ。

この政宗の豪華な正月料理が江戸時代に広まり、現世の豪勢なおせちの形となっていったと言われておる。

先に話した栗きんとんは我ら武士にとって縁起の良い食べ物で、これもまた戦国文化に由来を持つものと言えるであろう!

新年の挨拶

我ら武士は正月に主君の家を訪ね、新年の挨拶をする風習があった。

今の年賀状は、これが形を変えたものである。

主君は出仕してきた家臣たちを茶会や宴でもてなし、一年の家の安泰を願うとともに家中の仲を深める我らにとって大切な催しであった。

織田家の新年の集いは、家臣を喜ばすことがお好きな信長様だけあって大いに盛り上がったのじゃが、中でも安土城ができたばかりの年の正月には安土城見たさに多くの人が殺到し、一部の石垣が重さに耐えきれずに崩壊するほどのにぎわいであった。

安土城のお披露目も兼ねていたこの年、信長様は家臣に対し身分の大小にかかわらず100文の銭を持参するように求められた。現世の価値だとだいたい5000~1万5000円ほどとされておるな。

しかも、武将自らが持参するようにとのお達しである。

申し付けられた通り銭を持参した武将たちは城内を案内されその豪華絢爛さに圧倒されたものじゃ。

中でも天皇を迎え入れる為の御幸の間は日ノ本で最も美しく豪華絢爛に作られておって、皆の一生の思い出となる時間であった。

そして、最後に進んだ部屋にはなんと信長様ご本人がおられ、持参した銭を直々にお受け取りになったのじゃ。

これは、天下人となり忙しい日々を送る信長様が普段顔を合わせることができない家臣たちに直接会って、労いをしようという誠に温かい心遣いであった。

持参金を一律にしたのも、位の大小を気にせずに会いにこられるようにとの信長様の計らいであろう!

他にも信長様は、応仁の乱以降、長く滞っておった朝廷の新年の行事を復活なされるなど、正月にも強い影響を与えておられるぞ!

正月遊び

最後に紹介するは、皆も幼き頃に楽しんだであろう正月遊びである!

それぞれが古い歴史を持つものばかりであるが、戦国が関係あるものもいくつかある。

双六は、もともと敵の陣地にコマを進める戦を模した遊戯であったし、カルタは信長様が厚遇したポルトガルから来た宣教師が伝えた異国の札遊びと、宮中で流行った遊び貝合わせが合わさってできたものと言われておる。故にカルタはポルトガルの言葉が語源であるのじゃ。

そんな中でも特に我らに関わりが深いのが凧である!

その形の美しさや技術、あるいは凧揚げの腕を競う大会が催されるなど、体を動かしながらも操る技術も求められる奥深い遊戯として親しまれておるわな!

この凧はもともと我らが戦の道具として使っておったものである!

我らの時代の凧は戦の伝令の道具として用いられ、徳川殿が勝利の印に凧をあげたり、あるいは火薬を載せて敵を直接攻撃するためにも使われたりもしたのじゃ。

四国の大名、長宗我部家は凧を使って戦さ場を測量したり、風切音で敵を威圧するために使っておって土佐凧として名残が残っておるな。

現世では浜松の凧が有名で大きな凧祭りが催されると聞くが、これはかつて浜松を治めておった飯尾連龍殿が嫡男の誕生を祝って凧をあげたことが起源である!

飯尾連龍殿は以前にこの戦国がたりでも紹介したことがあるわな!

江戸時代に入ると例によって江戸の町民文化として親しまれるようになり、糸を絡ませて糸を切り合うけんか凧も流行したのじゃが、あまりに多くのものが凧揚げに熱中し、風に煽られて怪我をするものたちが続出したために凧禁止令が幕府より出されたこともあったようじゃ。

他にも大凧に乗って名古屋城の金鯱を盗んだ柿木金助の伝説もあったりと、日ノ本の民に愛される遊びであったことがわかるであろう!

此度は正月を通じて我らの時代の文化を紹介して参ったが、日ノ本の行事はどれも古き歴史を持つものばかり。

皆の暮らしの中に潜む我らとのつながりを探してみるのもまた一興であろう!

此度の戦国がたりはこの辺りでしまいといたそう。

改め皆の衆、今年もよろしゅうお頼み申す。

次の戦国がたりも楽しみにしておるが良い、さらばじゃ!!

写真・文=前田利家(名古屋おもてなし武将隊)

前田利家
名古屋おもてなし武将隊
名古屋おもてなし武将隊が一雄。
名古屋の良き所と戦国文化を世界に広めるため日々活動中。
今年の大河ドラマ『どうする家康』に合わせ、戦国時代の小話や、名古屋にある史跡を紹介致す。

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