宮沢賢治『銀河鉄道の夜』の引力とは【NHKこころの時代『ファンタジーに秘められた宗教』】
「真理」「善悪」「救い」「神」「不条理」「生と死」など、人が生きていく際に直面せざるを得ないテーマをファンタジーはどのように描き、それを私たちはどのように受け止められるのでしょうか。
NHK Eテレ「こころの時代」2026年4~9月『ファンタジーに秘められた宗教』では、宗教研究者の中村圭志さんが『星の王子さま』『銀河鉄道の夜』から『ハリー・ポッター』『風の谷のナウシカ』まで、誰もが一度は触れたことのある古今東西の傑作ファンタジーを「宗教」という目線でひもとき、作品が持つ世界観を読み解いていきます。
今回は番組ガイドブックから、放送第4回 宮沢賢治『銀河鉄道の夜』の解説イントロダクションを公開します。
『銀河鉄道の夜』──生者と死者の旅路
宮沢賢治作品の引力
今回は、宮沢賢治(一八九六〜一九三三)の『銀河鉄道の夜』を取り上げます。これもまた、よく知られている作品です。
宮沢賢治を題材にしたテレビ番組や映画はたくさんあり、今も続々と誕生しています。昭和時代には無数の評論が現れました。生誕一〇〇年を迎えた一九九六年には、さまざまなメディアに取り上げられ、たいへん盛り上がりました。賢治は、農芸化学分野の学校教師、社会活動家、詩人、児童文学作家、そして仏教の信仰者であったことが知られています。宗教的に真摯でありつつ、奇矯なところもある彼の人生そのものが、広く関心を集め続けているようです。
文学性も非常に高く評価されています。詩集『春と修羅』(一九二四)に見られる科学用語と宗教用語と岩手県の方言が混ざった不思議な言語感覚は、日本語の詩の可能性を大きく広げました。妹トシの死を切々と詠んだ「永訣の朝」や、自らの信仰的決意を刻んだ「雨ニモマケズ」は、学校の教科書にも繰り返し取り上げられています。
そんな賢治が一〇年ほどかけて推敲を重ねた畢生(ひっせい)の大作『銀河鉄道の夜』は、長年にわたって日本の児童文学の代表とされ、漫画、アニメーション、演劇など、あらゆるメディアに翻案され、世に浸透しています。
宇宙空間を走る列車に乗って二人の少年が旅するという、未来性とノスタルジーが統合された銀河列車のモチーフは、日本人の心に深く刺さっています。松本零士のSF漫画『銀河鉄道999』(一九七七〜二〇二五)のモチーフとなったり、是枝裕和監督の映画『怪物』(二〇二三)でオマージュとして使われたりしています。部分的にインスピレーションを受けた作品は無数にあります。
銀河の旅のイメージのもとになっているのは、賢治自身の列車体験だと思われます。彼の故郷は岩手県の花巻ですが、東京との間を生涯に何度も列車で往復しています。
この東北本線が概ね南北に走っていることに注目してください。岩手県のあたりでは、北上川もほぼ北から南へ流れています。さらに真夏の夜中には、天空の銀河もまた概ね南北に横たわっています。列車に乗っている賢治は、いつか、車窓から見える地上の川と頭上にある天空の銀河が並行していることに思い当たったのではないでしょうか。銀河鉄道の旅は白鳥座(北十字)のあたりから南十字座のあたりまで続きますが、現実の世界でも、夏には天頂付近に白鳥座があり、東京行き列車の進行方向である南の地平線の下に南十字座があります。
とてもロマンチックではありませんか?
物語のあらすじ
『銀河鉄道の夜』は一九二四年ごろに書き始められ、一九三三年に賢治が早すぎる死を迎える少し前まで、ずっと推敲が続けられていたと推定されています。残された原稿はかなり雑然とした状態だったので、賢治の意図した並べ方が確定するまでに、死から数えて四〇年が経過してしまいました。何種類ものインクによる修正の跡が無数に重なる原稿を精査することで分かったのは、この原稿には最低でも四段階の異なるバージョンがあることです。第一次稿と第二次稿は部分的にしか残っていませんが、第三次稿は完全に読める形をなしています。第三次稿までを「初期形」と呼ぶのが慣例となっています。一般によく読まれているのは「最終形」と呼ばれる第四次稿です。
ここでは「最終形」すなわち第四次稿のあらすじを見てみましょう。
1 ジョバンニの孤独
ジョバンニは小学校高学年くらいの少年です。父親は遠方に漁に出ていて留守にしており、母親は病気のため家で寝ています。家が貧しいので、ジョバンニは活版所でアルバイトをしており、おかげで授業中も眠く、勉強も疎かになりがちです。級友たちからはいじめの対象となっています。父親が博士であるカムパネルラという裕福な家の子とは、以前一緒によく遊んだ仲で、この優等生の少年はいじめに加わることがありません。彼は、ジョバンニが授業中に先生に当てられて答えられなかったときも、自分もまた先生の質問に答えないという気遣いを見せてくれます。そんなカムパネルラを、ジョバンニは憧れの目で見ています。
2 祭りの晩
今日は、ケンタウル祭という、烏瓜の灯火(あかり)を川に流す夏の祭りの日です。ジョバンニも祭りを見に町中に向かいますが、その道すがら、級友たちにからかわれます。カムパネルラは気の毒そうに見守るだけでした。ジョバンニは踵を返して町外れの丘に行きます。孤独な彼は星空を眺め、いつしか眠りに落ちます。
3 銀河の旅の始まり
気づくとジョバンニは列車の座席に座っています。窓からは銀河の光景が見えます。向かいの座席にいる少年は、誰かと思うと、カムパネルラでした。ジョバンニはようやく親友と二人きりになることができたので、有頂天になります。途中の駅で二人は下車して天空の発掘現場を参観し、また列車へと走り帰ります。列車には、天空の鳥を捕まえてお菓子にして売っている、鳥捕りと呼ばれる商人が乗り込んできました。少年たちは彼と言葉を交わします。
4 ジョバンニの不思議な切符
車掌が検札にやってきたとき、ジョバンニがポケットを探ると、見知らぬ文字の記された不思議な切符をもっていたことが分かります。それはカムパネルラの切符とも違うものでした。鳥捕りは、これが天上にも行ける、そしてどこにでも行けるすごい切符だと言います。5 三人連れとの対話少女(かほる)、弟(タダシ)、青年(家庭教師)の三人連れが現れます。彼らは乗っていた大型客船が氷山に衝突して溺死し、気づくとこの列車に乗り込んでいたのでした。やがて乗客たちの会話がはずみ出します。カムパネルラがかほると楽しそうに話しているのを見て、ジョバンニは疎外感に襲われます。彼は自分の狭量さに悲しさを感じます。かほるは、窓から見える蠍座を巡る物語を語ります。それによると、蠍座の蠍は、他の動物を殺さなければ生きていけない現し身からの超越を願うことで、星となったのでした。
6「天上」を巡る論争
列車がサウザンクロス(南十字)駅に到着しようというとき、かほるや家庭教師の青年は、ここが自分たちが下りるべき「天上」だと言います。しかしジョバンニは「天上」が人生の終着点だという考えを否定し、一緒に旅を続けようと言います。かほるや青年は神について語ります。ジョバンニは彼らの語る神に疑いの目を向け、自分にとっての「たったひとりの本当の本当の神様」について語ろうとしますが、うまく話せません。
7 カムパネルラの消失
三人連れを含む大半の乗客が降車したのちも、列車は先に進んでいきます。ジョバンニはカムパネルラに向かって、「みんなの本当の幸いを探しに」「どこまでもどこまでも一緒に行こう」と言います。しかし、カムパネルラは天の川の中の一区画を指して、そこが「天上」だと言い、姿を消します。それに気づいたジョバンニは大声で泣き叫びます。
8 夢から目覚めて
ジョバンニは丘の上で眠っていたのでした。彼は町に向かい、牛乳屋で、母のための牛乳を受け取ります(夢の前は、牛乳屋の都合で手に入らなかった)。そして川に向かうと、子供が一人、川に落ちたことを知ります。それはカムパネルラでした。ふだんジョバンニをいじめている少年の一人が溺れかけたとき、彼を助けて、自分は水に吞まれたのです(カムパネルラは死後に夢に現れたことになる)。
9 家へ帰る
川辺にはカムパネルラの父親である博士がいました。博士は、息子はもう助かる見込みがないと悟り、ジョバンニにそう伝えました。博士はまた、ジョバンニの父が帰ってくると手紙で知ったと告げます。ジョバンニは胸がいっぱいになり、牛乳と父帰還の知らせを携えて、母の待つ家に走ります。
ジョバンニの覚醒体験
このように、『銀河鉄道の夜』は、ジョバンニの日常風景(12)から始まり、それが一転、ファンタスティックな銀河鉄道のビジョンとなり(3〜7)、最後に再び日常世界に戻ってくる(89)という三部構成を取っています。これは「初期形」でも「最終形」でも同じです。
最初、ジョバンニは生活苦から疎外感を味わっていました。しかし、親友と旅する夢の中で高揚感を覚え、ある種の覚醒を迎えます。
きっとみんなのほんたうのさいはひをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行かう。
(『宮沢賢治全集7』ちくま文庫)
ジョバンニのこの「みんなの本当の幸い」という言葉は、『銀河鉄道の夜』のキーフレーズとして、さらには賢治文学のキーフレーズとしてよく知られたものです。ジョバンニはいくつかの場面で同様のことを言っています。そもそも「本当の幸い」という言葉は、カムパネルラが列車内に現れてまもなく述べたものでした。ジョバンニは友のこの言葉に触発されて、意識を覚醒させていくのです。
私たちがまず注目したいのは、ジョバンニのこの高揚感あるいは覚醒体験の特徴です。
それは、親友への憧れと友情という個人的な感情から出発し、自分の狭量さ(鳥捕りにつれなくしたことや、かほるに嫉妬したこと)を乗り越えようとする中で、親友と自分とが一緒に追求すべき理想(万人の幸福を求めること)にまで意識を高めるという流れになっています。閉塞した思いを開かれた理想へと昇華させていくのです。
そしてこれは、「現在の苦境から救済されたい」という願望が、いつしか「他者の救いのために頑張りたい」という決意へと変化するプロセスでもあります。自己の救いを求める者から、他者に救いを与える者へと、方向が一八〇度転換している。
それはまた、自己否定の感情から自己肯定の感情への変化でもあります。ジョバンニが家に向かう最後のシーンにおいて、彼の意識は数時間前に祭りを見に家から出てきたときとは変わっているはずです。このことを象徴的に表現しているのが、一つは、母親のための牛乳が、はじめは得られずあとには得られたという変化です。もう一つは、漁から帰ってこなかった父親が帰ってくるという変化です。ネガティブからポジティブへの転換が演出されていることが分かります。
ジョバンニの覚醒体験は、宗教の信者にしばしば見られる回心体験によく似ています。「改心」(道徳上の悪を反省すること)ではありません。回心とは、宗教的な世界観に目覚める体験のことで、意識が一八〇度転換することです。体験の仕方は人それぞれですが、ジョバンニのそれは、救いを求める者が救う者に転じる積極性が表に出てくるという点で、賢治自身が奉ずる法華信仰に近いと言えます。法華信仰とは、日蓮宗など、法華経を教理の根幹に据える仏教の宗派のことです。賢治の回心については、あとで詳しく説明します。
『銀河鉄道の夜』には、賢治の回心体験が反映されているのではないか──まずはこのことを押さえておきましょう。
ガイドブック『NHKこころの時代 ファンタジーに秘められた宗教』では、ジョバンニの喪失体験や、賢治自身の体験・信仰から、原稿の変化やキリスト教とのつながりまでといった『銀河鉄道の夜』の分析をはじめ、以下の全6回で、ファンタジーと宗教的なメッセージとの関係性をひも解いていきます。
第1回 『星の王子さま』──肝心なことは目に見えない
第2回 『蜘蛛の糸』──悪人とはだれか
第3回 『ムーミン』──孤独な小さき者たち
第4回 『銀河鉄道の夜』──生者と死者の旅路
第5回 『ナルニア国物語』『ゲド戦記』『ハリー・ポッター』──移り変わる宗教心
第6回 『火の鳥』『風の谷のナウシカ』──現代日本の死生観
番組HP情報
<https://www.nhk.jp/g/ts/X83KJR6973/blog/bl/pXydNRqbEe/bp/pk2yZNAmQg/>
著者
中村圭志(なかむら・けいし)
1958年、北海道生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学(宗教学・宗教史学)。宗教研究者、翻訳家、昭和女子大学非常勤講師。著書に『死とは何か 宗教が挑んできた人生最後の謎』『聖書、コーラン、仏典 原典から宗教の本質をさぐる』『教養としての宗教入門 基礎から学べる信仰と文化』(以上、中公新書)、『ビジュアルでわかるはじめての〈宗教〉入門 そもそもどうして、いつからあるの?』(河出書房新社)、『宗教で読み解くファンタジーの秘密 Ⅰ・Ⅱ』(トランスビュー)など多数。
※刊行時の情報です
◆『NHKこころの時代 宗教・人生 ファンタジーに秘められた宗教』ガイドブックより
◆ガイドブックに掲載の脚注、図版、写真、ルビ、凡例などは記事から割愛している場合があります。