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2人目の妊娠、まさか「切迫早産」になるなんて。始まりは突然の体調不良。屋外イベントで薄着で寒く…

たまひよONLINE

今年中学1年生の息子と小学3年生の娘を育てるママライターの”ミネキク”です。私が妊娠・出産を経験したのは、1人目が31歳、2人目は35歳の時でした。1人目のときは経験のなかった「切迫早産」。まさか2人目で経験するとは思いませんでした。不安に負けそうになりながらも、出産というゴールを目指した私の体験をお話します。

「切迫早産」ってなに? 自分には無縁だと思っていた単語


1人目の出産を期に会社を辞め、息子が2歳になった頃から、消しゴムはんこ屋として活動していました。主な仕事は、イベントでのはんこ販売やワークショップ、教室の開催。

荷物はいつも重かったし、仕事中は立ちっぱなしでした。でも、1人目の時に、臨月まで働いていたので、2人目の妊娠がわかってからも、普通に活動していました。当時3歳だった長男は、よく走り回る子だったので、その対応も大変でしたし、自転車にも乗っていました。

イベント出店後、体調不良に襲われて


8月の末に、屋外のイベントに出店しました。裸足にサンダル、上はTシャツ1枚。念のため、薄手のジャンバーを持って行きましたが、軽装でした。地べたにレジャーシートを敷いて、はんこを並べ、簡易的な小さなキャンプ椅子に腰掛けて、はんこを販売していました。

天気は今にも崩れそう、そして、小雨が降ってきました。急に気温も下がってきて、寒い…。それから、ググッと体調が悪くなりだしました。なんだか辛い…お腹がパンと張っている感じ…横になりたい…。

それでもなんとか我慢しました。最後に撤収作業をして(これが立ったり、座ったり、重かったり)、迎えにきてくれた夫の車に大荷物を載せて、帰宅しました。車の振動も辛かったです。座席をフラットシートにして、ベッドに横になるような感じで帰りました。

翌日、動けず。健診の結果は…「切迫早産」


翌日は、動けないほどのだるさがありました。母子手帳を見ると、26週と1日。赤ちゃんは1400g。ちょうど妊婦健診があったので、産婦人科に行きました。診断は「切迫早産」。

思わず「切迫早産って何ですか?」と、聞き返してしまいました。「だって、まだ26週だよ? 1400gだよ? なぜ? 寒かったから? 裸足だったから? 重いものを持ったから?」1人目のときは、これくらい大丈夫だったのに。

たくさん自分を責めました。同時に、頭の中をぐるぐる回っていたのは、仕事をどうするか。翌月も、翌々月もイベントに呼ばれているし、私のワークショップへの参加申し込みもすでに入っている。

しかもこの年、開業届を出したばかり。でも、優先すべきは、赤ちゃんの命。とにかく無事に産むこと。悩みに悩んで、活動を休止することにしたのでした。

活動休止の告知を出した当時の自分のブログを読むと、泣いてしまいます。あの時は苦しかったです。でも、今、娘が元気でここにいるのは、私がちゃんと産めたから。だから、「よかったんだよ」と、あの時の自分に言ってあげたいです。

これからどうなる?切迫早産ライフの幕開け


1人目のときにはならなかった、切迫早産。私の周りだけの話をすると、2人目が多いようでした。上の子がいると、初産の時よりも必然的に無理するからかも?と思ったのを覚えています。私の楽しい、楽しいはずの妊娠生活は、ここから一気に暗く沈んで行きました。

でも、切迫早産にはゴールがあるし、喜びがあるのです。私がどのようにして元気になっていったか、あと2回のシリーズでお伝えしていきたいと思います。

[ミネキク*プロフィール] 
ライター × 消しゴムはんこ屋。中1と小3の母。制作会社のコピーライターでしたが、出産を機に退職。長男2歳の時、消しゴムはんこ屋を開始。現在はライター業も再開し、紙・WEB媒体の取材執筆を手がけています。親子で剣道やってます!

※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。

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