不登校、中学受験、進学費用の壁…発達障害息子の可能性を信じて「母子二人三脚」で歩んだ17年
監修:鈴木直光
筑波こどものこころクリニック院長
なぜ、うちの子だけ……?「育てにくさ」を責めた、葛藤の日々
コチ丸が保育園に入る前に離婚して、母子2人暮らしになったわが家。小さな頃からじっとしていないコチ丸を1人で面倒をみるのはなかなか大変なことでした。
2人で買い物に行けば忽然と姿を消し、探し回ってようやく見つけたと思うと売り物の恐竜のオモチャを通路の端から端まで並べていたり、行列を規制しているコーンを勝手に動かしてどこかへ持っていったり……。とにかくコチ丸から目が離せない状態で買い物どころではなく、かといって家に置いていくわけにもいかず。当時からフルタイムで働いていた私は、週末しか買い出しに行ける時がなかったのですが、1週間くたくたに働いてやっときた貴重な休みは、買い出しだけで体力も気力も削られていました。
ふとスーパーや保育園で同じくらいの子どもを見ると、なんと落ち着いていることか……!今思えば、あれはコチ丸が発達特性からくる困難を抱えていたからなのだと理解できますし、つい笑ってしまうような思い出ばかりですが、当時は本気で「私の育て方が悪いのか」と自分を責めたことも多々ありました。
そんなコチ丸も成長とともに落ち着いて、買い物中に目が離せないということもなくなりました。体も人一倍大きく成長したコチ丸に、重たい荷物を持ってもらえる……と思いきや、「家で待ってるわ」と冷たくあしらわれ、もう買い物にもついてこないという寂しさと、手伝わないんかい!という憤りの狭間で、なんだかモヤっとする現実。
そんな、子育ての一つの終わりをしみじみと痛感していた私ですが、このときはまだ知りませんでした。目の前の嵐が去ったその先に、まったく違う質の悩みが待ち受けているなんて……!
シングル家庭に立ちはだかる「お金」問題。実家に戻ってひと安心と思いきや……!?
ワンオペ育児の大変さはもちろんですが、ひとり親家庭の大きな悩みは、やっぱりお金の問題ではないでしょうか。
わが家も保育園の間は賃貸マンションを借りて生活をしていましたが、当時のお給料はフルタイムの正社員で働いて手取りで15万円(!)。家賃が5万円ほどだったので、食費や日用品費などを引くと毎月ギリギリか赤字の生活でした。さすがにこのままではコチ丸にまともな生活をさせてあげられない……と思い、小学校入学を機に実家に戻りました。正直、私は実家の母とあまり相性が良くないので、戻ることもためらわれましたが、背に腹は変えられない、そんな感じでした。
実家に戻って間もなく、私は実家から近い会社に転職し、少しお給料は増えたのですが、それでも手取りで20万円いかないくらい。といっても、当時はコチ丸がしょっちゅう問題行動を起こしては小学校に呼び出され会社を早退していたので、このお給料が妥当だと思っていました。それに実家に戻ったことで金銭面もだいぶ楽になり、不登校になりつつあったコチ丸を当時はまだ健在だったじぃじが見てくれていたので、私も安心して仕事に通うことができていました。
小学校の頃はそんな感じで特に大きくお金がかかることもなく、コチ丸の習い事や私の趣味に使う余裕もありました。それよりもその頃頭を悩ませていたのは、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)と診断されたコチ丸の落ち着かない言動と、不登校でした。今となっては、あの頃の私に「これから悩むことがどんどん変わっていくよ……」と言ってあげたい気持ちです(笑)。
母、動く。「わが子の可能性」を信じて挑んだ、一世一代の賭け
コチ丸は小6の時、居場所を見つけたいという思いで「学びの多様化学校」の私立中学に入ることを決意しました。しかし、中学受験はまったくの予定外!当然お金は足りず、運よく合格したとしても、本当に通わせることができるのか……私には自信がありませんでした。
でも、不登校だったコチ丸が初めて見せた「ここに行きたい」という強い意志。コチ丸が自分の言葉に責任を持って頑張れるなら、私も信じてみようと思いました。
しかし、そうは決めたものの、わが家にはあまりにも現実的な「お金」という巨大な壁が立ちはだかっていたのです。私は覚悟を決め、「息子の進学のため、もっと収入のいい仕事に移りたい」と、当時働いていた会社の社長に退職の意向を伝えました。すると、なんと社長は、コチ丸の学費を払えるだけのお給料を出すと約束してくださったのです(!)。社長には、本当に感謝してもしきれません。おかげで、なんとか3年間の学費も払い切ることができ、中学も卒業を迎えることができました。
「わが子の可能性を信じたい」という思いが、お金の問題を乗り越える奇跡を引き寄せる原動力にもなりました。また、社長自身もひとり親家庭で育ったこともあり、コチ丸には家族ぐるみで今もよくしてくれています。
結果的に私立中学にかかった費用は予想以上でしたが、「学びの多様化学校」は、コチ丸の人生を変えるために本当に必要な場所だったので、それに見合った対価を払ったのだと納得しています。
子育てのゴールはまだ先。母子で歩む「オリジナルな道」は続く!
その後のコチ丸は紆余曲折を経て、北海道の公立高校に入学することになりました。公立高校とはいえ、北海道での寮生活。授業料は免除されているものの、寮費に加え仕送りやお小遣い、帰省の時には飛行機代も……。さすがにこれまでの貯金では足りず、国の教育ローンを借りることに。コチ丸の中学進学を機にお給料がレベルアップ(笑)した私ですが、そろそろ限界が……。
現在高校3年生のコチ丸。高校卒業後の進路について、コチ丸自身の目標は高校に入学した当初からブレることなく決まっていましたが、進学費用の資金繰りに私は頭を悩ませました。相談にのってくれた人の中には「子ども自身が奨学金を借りて返していけばいいんだよ」と言う方もいました。しかし、ある方の「あきさんの家は育て方も進路もユニークだから、ほかの人の意見はあまり参考にならないと思うよ」という助言が一番しっくりきました。
コチ丸が発達障害だと分かった時から、とにかく大人になるまでに得意をたくさん見つけてほしいと、やりたいと言われたことは、お金がなくても全てやらせてきたわが家。合うもの合わないもの、続けること辞めること、それも全部コチ丸が決断してきました。
不登校だったコチ丸が、地元を出て1人で私立中学に通ったり生徒会役員に立候補したり、さらには北海道へ単身渡り、次の進路に辿り着き……。全部コチ丸が決めたことで、彼の挑戦をバックアップしてきたのは、ほかでもない私。
コチ丸本人が一生懸命努力してここまできたのだから、私も最後まで責任をもってやり切らねば。そう、腹に落ちた瞬間でした。コチ丸が大人になるまではまだもう少し時間がありますが、母子二人三脚で歩いてきた「オリジナルな道」を、ゴールまで楽しもうと思っています。
執筆/あき
(監修:鈴木先生より)
私が初診の患者さんに病名を告知した後には、必ず保護者の方に「決して育て方の問題ではないですよ」とお伝えするようにしています。ただ、「お子さんへの接し方には気をつけなければいけません。優しく、丁寧に、具体的に、肯定文で」とつけ加えます。
また、私のクリニックに初診でいらっしゃる方の約半数はシングル家庭です。中には、パートナーにASD(自閉スペクトラム症)の特性がある方もいらっしゃいます。そのため、お子さんのみならず、保護者にも常に寄り添いながら診療することを心がけています。
(コラム内の障害名表記について)
コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。
神経発達症
発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。
知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。
※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。
ASD(自閉スペクトラム症)
自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
ADHD(注意欠如多動症)
注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。
ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。