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#5 平家の悪行のはじまりとは。安田登さんと読む『平家物語』【別冊NHK100分de名著】

NHK出版デジタルマガジン

#5 平家の悪行のはじまりとは。安田登さんと読む『平家物語』【別冊NHK100分de名著】

安田登さんによる『平家物語』読み解き #5

公家の時代から武家の時代へ、平家から源氏へ。時代の転換期のダイナミズムを描いた『平家物語』。平家はなぜ栄華をきわめ、没落していったのか。戦乱のなか、人々は何を思い、どう行動したのでしょうか。

『平家物語』を知り尽くした博覧強記の能楽師・安田登さんが、難解で長大な物語を「大きな出来事」に絞って解説する『NHK別冊100分de名著 平家物語 こうして時代は転換した』では、時代が動くとき、世の価値観はどのように変化したのか。その変化のありようを私たちが生かせる道とはどんなものなのかについて、読み解きとともに考えていきます。

全国の書店とNHK出版ECサイトで2025年10月まで開催中の「100分de名著」フェアを記念して、歴史が私たちに伝えようとしたことを探る本書より、その一部を公開します。(第5回/全7回)

武士は直感を用いる

 貴族は日記というデータベースを参照して未来を考えました。では、武士は何を以(もっ)て未来を予測したのでしょうか。それは、用意の「意」ではなかったかと私は思います。さきほど、「意」とは深い心遣いだと言いました。漢字の形から言えば、それは神の声(音)を憶度(おくたく)する(推しはかる)行為のことです。現代的に言うと、「意」は「直感」に近いものです。

 以前、七十歳くらいのマタギの方と山を歩いたことがあるのですが、私には何も見えないし聞こえないのに、「あの裏に何かいる」とその方が言うと、実際にそこに動物がいるのです。「マタギは熊を見てから撃つのではダメだ」とも言っていましたが、このように、長い時間をかけた訓練によって身につき、発揮することができるようになるものが直感です。

 貴族社会においても、この直感をその職能として持っていた人たちがいました。陰陽師(おんみょうじ)です。彼らは、貴族の中の闇の担い手です。『平家物語』巻第四の「鼬之沙汰(いたちのさた)」の段で、後白河法皇が占いをするシーンがあります。そして出た結果の解読を陰陽師に頼みます。そのとき後白河法皇は、陰陽師のところに行く使者に「きッと勘(かんが)へさせて、勘状(かんじやう)をとッて参れ」と言うのです。「かんがえる」の漢字に「勘」が使われています。『源氏物語』桐壺(きりつぼ)の帖(じょう)でも、「かんがふ」という行為は「占いをする」という意味で使われています。

 つまり、日本において、考えるということはもともと、直感的な何かを用いる行為だったのです。しかし、『平家物語』の舞台である平安末期には貴族が陰陽師に頼るということも少なくなりました。

 代わりにその能力を大いに発揮したのが武士でした。直感を働かせ、闇を支配し、光の貴族を駆逐していく。「殿上の闇討ち」という事件は、物語の冒頭でそうした新しい力を持った武士の台頭を、鮮やかに示すエピソードです。そしてここから、光と闇の交代劇、さらには、闇の力を握る者たちの交代劇が展開することになるのです。

平家の悪行のはじめ

 忠盛は五十七歳で亡くなり、跡を継いだのが長男の清盛でした。清盛は、その後に起きた保元の乱、平治(へいじ)の乱で後白河天皇(平治の乱では上皇)側について武功をあげ、またたく間に出世の階段を上ります。もともとは安芸(あき)の国司(こくし)だった清盛は、たった十年余りで貴族の最高位である太政大臣にまで上り詰めます。

 また一族も、清盛の長男・重盛は内大臣で左大将、三男・宗盛は中納言で右大将、四男・知盛は三位中将、孫の維盛(重盛の子)は四位少将の地位に就き、八人の娘も天皇家や貴族に次々に嫁ぎます。

 そんな中、「平家の悪行のはじめ」と言われる事件が起こりました。重盛の次男である資盛(すけもり)が、仲間と鷹狩りに行った帰りに、摂政(せっしょう)である藤原基房(もとふさ)の一行と行き合ったのですが、その際、馬を下りる礼を取らずに一行を駆け破ろうとしたのです。この事件を描くのが、巻第一「殿下乗合(てんがののりあひ)」です。

「摂政・基房」対「平資盛」。実はこれは信じられない構図です。摂政とは、天皇が幼少のとき、天皇に代わって「万機を摂行(せっこう)する」、つまり、天皇が持つ権限のすべてを代わって執り行う地位にある、貴族界の第一人者です。そんな人との間にこんなことが起きた。これは非常に大きな事件でした。

 平家はこのとき、すでにかなりの勢力を誇っていました。平家を取り立てた後白河院ですら、これほどの勢力拡大は予測していなかったようで、「清盛がこのように思うままにふるまうのは、よろしくない、これは世も末になって天皇の法も尽きてしまったからだ」とこぼしていました。

 摂政・基房の従者は資盛たちに対して、「無礼者。馬から下りなさい」と命じます。これは当然です。それを言われたときの資盛の様子が、「あまりに平家の威勢を自慢し勇み立って、世間をなんとも思っていなかった上に、召し連れた侍どもがみな二十歳以下の若者どもだし、礼儀作法をわきまえた者はひとりもいない」と描写されます。

 町にたむろする不良のような、礼儀を知らない若者たちを引き連れた資盛が、貴族界の最高権力者と出会ってしまった。そして驕りから無礼を働いた。基房一行は憤(いきどお)り、資盛や侍たちを馬から引きずり下ろしてしまったのです。

 これに怒ったのが清盛でした。以下は、激怒する清盛と、それを諫(いさ)める息子の重盛とが描かれる場面です。

「たとひ殿下(てんが)なりとも、浄海(じやうかい)があたりをばはばかり給(たま)ふべきに、をさなき者に、左右(さう)なく恥辱(ちじよく)をあたへられけるこそ、遺恨の次第なれ。かかる事よりして、人にはあざむかるるぞ。此事(このこと)思ひ知らせ奉らでは、えこそあるまじけれ。殿下を恨み奉らばや」と宣(のたま)へば、重盛卿(しげもりのきやう)申されけるは、「是(これ)は少しも苦しう候まじ。頼政(よりまさ)、光基(みつもと)なンど申す源氏共(げんじども)にあざむかれて候はんには、誠に一門の恥辱でも候べし。重盛が子どもとて候はんずる者の、殿の御出(ぎよしゆつ)に参りあひて、乗物よりおり候はぬこそ、尾籠(びろう)に候へ」とて、其時(そのとき)事にあうたる侍(さぶらひ)ども、召し寄せ、「自今(じこん)以後も、汝等(なんぢら)、能(よ)く〳〵心得(こころう)べし。あやまッて殿下(てんが)へ無礼の由(よし)を申さばやとこそ思へ」とて、帰られけり。

([清盛が]「たとえ摂政殿であろうとも、浄海[清盛]の身内に対してははばかり遠慮なさるべきなのに、幼い者に、なんの躊躇もなく恥をかかせたのは、遺恨なことである。こういうことから、人にはばかにされるのだ。このことを摂政殿に思い知らせてあげなくては、おられないぞ。摂政殿へのお恨みをはらしたいものだ」と仰せられると、重盛卿が申されるには、「これは少しも気にすることはありません。頼政・光基などと申す源氏どもにばかにされましたような際には、確かに平家一門の恥でもございましょう。重盛の子どもともあろう者どもが、殿下のお出ましに出会って、乗物から下りないことこそ、不作法なのです」と言って、そのとき、事件に関係した侍どもを呼び寄せて、「今後も、お前たちはよくよく心得るがよい。間違って殿下へ無礼を働いたことを、私のほうからおわびしたいと思っている」と言って、帰られた。)

(巻第一 殿下乗合)

 一度は重盛に止められた清盛ですが、怒りは収まらず、結局、基房に仕返しをしてしまいます。荒くれな侍たちを集めて基房一行を待ち伏せさせ、従者たちを襲って髻(もとどり)を切ってしまうのです。しかも「これはお前の髻とは思うな、お前の主人(摂政)の髻と思え」と言い含めます。「摂政関白(せつしやうくわんぱく)のかかる御目(おんめ)にあはせ給ふ事、いまだ承り及ばず」(摂政関白がこんな目におあいになったことは、まだ聞いたことがない)というのも当然でしょう。

 あとからこの顚末を知って慌てたのが重盛でした。重盛は、清盛にこんなことをさせる原因をつくった息子の資盛を厳しく咎(とが)めます。すでに十二、三歳にもなろう者が礼儀もわきまえず、無礼を働いて清盛の悪い評判を立てる、それは不孝の至りだと言うのです。

『平家物語』においては、組織衰亡の要因は「驕り」と「悪行」であるという考えが示されています。驕りについてはすでに説明しました。悪行とは、むろん悪い行いですが、その最たるものは天皇家に取って代わろうとする意志です。物語の中では「王法を傾ける」という言い方でもよく表現されます。現代的な言い方をすると、現在の社会を成立させている根本秩序を壊そうとすること。これが悪行です。ですから、天皇の代理である摂政に無礼を働いたり仕返しをしたりするのも、悪行に当てはまるのです。

■『別冊NHK100分de名著 集中講義 平家物語 こうして時代は転換した』(安田登 著)より抜粋
■脚注、図版、写真、ルビは権利などの関係上、記事から割愛しております。詳しくは書籍をご覧ください。
※本書における『平家物語』『太平記』の原文および現代語訳の引用は『新編 日本古典文学全集』(小学館)に拠ります。読みやすさを考慮し、現代語訳の一部に手を加えています。

著者

安田 登(やすだ・のぼる)

能楽師。1956年千葉県生まれ。下掛宝生流ワキ方能楽師。関西大学(総合情報学部)特任教授。高校教師時代に能と出会う。ワキ方の重鎮、鏑木岑男師の謡に衝撃を受け、27歳で入門。現在はワキ方の能楽師として国内外を問わず活躍し、能のメソッドを使った作品の創作、演出、出演などを行うかたわら、『論語』などを学ぶ寺子屋「遊学塾」を全国各地で開催。日本と中国の古典の「身体性」を読み直す試みにも取り組んでいる。
※著者略歴は全て刊行当時の情報です。

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