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#02 UN3D.デザイナー荻原桃子自分の感覚を信じて、ブレずに挑戦し続ける。

GIRL

ファッションの世界は華やかに見えますが、そこで成功するには才能と同じくらいタフさも必要。 光るセンスで周囲の視線を惹きつけ、なんか素敵でついていきたくなる魅力的な女性たち。 いま日本のファッションシーンのなかでは、彼女たちがオピニオンリーダーとなっていつしかブランドを立ち上げ、 常に私たちを刺激的にリードしてくれています。そんな力強い彼女たちに迫るインタビュー連載がスタート。 今回は22歳という若さでブランドディレクターに就任した荻原桃子さんです。

ABOUT BRAND
〈アンスリード(UN3D.)〉。「UN STANDARD」「UN SIMPLE」「UN SIMILAR」という3つのUN(アンチテーゼ)を語源に、時代や流行、常識や固定概念にひとつひとつ疑問を持ち、自由な個性や感性を大切にしたいという思いがブランド名に込められている。構築的でアイコニックなディテールや体型が美しく見えるシルエットにこだわったアイテムを展開。長く愛せるハイクオリティーなコレクションとして幅広い年齢層のコアなファンを持つ。
Instagram @un3d_official

ABOUT DESIGNER
荻原桃子。1984年1月3日生まれ。2002年からアパレル業界で販売、企画、バイヤーを経験。2006年、22歳の若さで〈ムルーア(MURUA)〉を立ち上げ、クリエイティブディレクターとして9年間にわたりブランドのトータルディレクションを行う。2016年、新ブランド〈アンスリード(UN3D.)〉をスタートしデザイナーを務める。
Instagram @momokoogihara
Youtube モモクリch

荻原桃子さんのNOW & THEN

自身がデザインする〈アンスリード〉に至るまでに、ターニングポイントとなった3つの出来事について伺いました。

3 TURNING POINTS IN HER LIFE:

01 – 2003年。セレクトショップでの経験で好きなテイストが明確に。
02 – 2006年。マークスタイラーの過渡期に仲間と切磋琢磨した時代。
03 – 2014年。30代に突入! 気持ちの変化を少しずつ形に。

セレクトショップでバイイングや企画に携わっていた頃。

MOMENT 01 – in 2003

「人とかぶらない」自分らしいスタイルの確立。

当時、関西の読者モデルはきれいめでコンサバなファッションが主流だったんですが、私はあんまり好きじゃなかったんです。働いていたセレクトショップがレザーのアイテムを多く仕入れているような、いい意味で「クリーン&エレガンス」じゃないところで。バイイングやオリジナルアイテムの企画にも携わらせてもらうなかで「カジュアルで個性的、人とかぶらない」という自分の好きなスタイルが明確になってきました。

22歳で〈ムルーア〉を立ち上げてからは自身もブランドのアイコンとして活躍。

MOMENT 02 – in 2006

仲間と切磋琢磨して駆け抜けた20代。

22歳で〈ムルーア〉を立ち上げてからは、本当に怒濤の日々でしたね。私を含めブランドをやるのが初めて子たちが多かったんですが、一緒に勉強して切磋琢磨して頑張ってきた仲間がいたからやってこれたのかなと思います。ファッションショーや海外撮影など貴重な経験もいろいろさせてもらって、いま思うとあのときはすごかったなと思うんですが、当時はただ毎日を必死で生きてましたね(笑)。

30代に突入し生活環境やプライベートが変化したことも〈アンスリード〉をスタートさせたきっかけのひとつ。

MOMENT 03 – in 2014

30代になって感じたことを形に。

自分が30代を迎えたことはひとつの転機だったと思います。〈ムルーア〉を立ち上げてから約10年ヤング層のブランドをやってきたんですが、自分の生活環境やプライベートが変化していくなかで「いまの自分の気分に沿ったものをつくっていきたい」という気持ちが大きかったですね。30歳になってからじわじわ感じたことをあたためて2016年、32歳のときに〈アンスリード〉をスタートさせました。

初期衝動は「カリスマ店員ブーム」。

ーまずはファッションに興味を持ったきかっけからお伺いしてもいいですか?

昔すぎて記憶が若干曖昧なんですが…(笑)。高校卒業後の進路を考えたときに、ちょうど世の中がカリスマ店員ブームだったので進学するよりもファッションの世界で働いてみたいって思ったんです。読者モデルの活動と並行して、卒業前からアルバイトで販売員として働きはじめました。

ー90年代後半から2000年代前半はカリスマ店員ブームでしたね!

〈マウジー(MOUSSY)〉を立ち上げた森本容子さんとかがお昼のテレビ番組に取り上げられてたんですよ。〈カパルア(KAPALUA)〉の店員さんが一日何千万売りました、みたいな。『egg』系とはまた違ったギャルブームだったんですが、一般の子がショップ店員として脚光を浴びる時代だったので、そこへの憧れもあって自然とその道を選びましたね。自分でも頑張ればできるんじゃなかっていう。

ー最初のお店でずっと働いていたんですか?

心斎橋オーパのお店で半年くらいアルバイトした後に「クレールデマスキュロ」というセレクトショップで約3年間働いていました。海外ブランドも取り扱っているお店で、バイイングを手伝わせてもらったり、オリジナルアイテムの企画にも参加させてもらっていました。手がけた商品を実際に接客して販売するのは楽しかったです。そうしているうちに自分の好きなものやスタイルが明確になってきて、いつか私もブランドをやってみたいなという気持ちもこの頃からふわっとありました。読者モデル全盛期だったので自分のスタイルも発信しやすかったです。

ー読者モデルも大人気でしたよね。

私は大阪出身なんですが、関西の読モはきれいめでコンサバ、ハイブランド志向の人が多かったんです。「ドルガバのTシャツに髪の毛は内巻き」みたいな。でも私はもっとカジュアルで個性的なアイテムが好きで。人とかぶらない格好をしたいという気持ちでコーディネートのアレンジは工夫していたと思います。好きなテイストがはっきりしてきた頃、いまの会社に声をかけられてブランドを始めることになりました。それが22歳のとき。

素人だからこその熱意と努力で、ここまでやってきた。

ーそのタイミングで〈ムルーア〉をスタートされるんですね。

当時はまだ会社も〈マーキュリーデュオ(MERCURYDUO)〉があったくらいで、ブランドが増えていく過渡期だったんですよ。私を含め販売員だった素人の女の子たちが切磋琢磨しつつ勉強しながらやらせてもらえた時代でしたね。

ー会社とともにみなさんも成長していったと。

いま思うとすごい貴重な経験をたくさんさせてもらいました。リサーチや撮影で海外に行ったり、大御所のスタイリストさんやヘアメイクさんとお仕事する機会をいただいたり。自社主催の「touchMe」では当時US版『ELLE』のスタイルディレクターだったケイト・ランフィアさんをスタイリストに迎えるなど、かなり本格的なファッションショーをやらせてもらいました。何も分かってないからこそ言えたわがままも多かったと思います。

ーひとつの会社のブランドだけであそこまで大規模なショーをするというのは後にも先にもないんじゃないでしょうか。そんな「touchMe」や海外撮影など、ファッションにまつわるチャンスが一気に訪れたような気がしますが、そのときはそういう実感はあったんですか?

すごい勉強になったなといま振り返ると思うんですが、そのときは毎日をただ必死に生きている感覚でしたね。もちろん刺激は受けてるんですが「いまこういう貴重なことを体験させてもらえてる」とはその瞬間ではまったく感じられてなかったんです。そのくらい怒涛だったので。「海行きたい〜」とか、そんなことばっかり考えてました(笑)。

ーコレクション制作に展示会、撮影にショーに…。たしかにめちゃくちゃ忙しそうです。

本当に忙しくて毎日夜中まで働いてる感じでしたね。広尾って聞くだけで鳥肌が立っちゃう時期もあったくらい(笑)。そうやって試行錯誤しながらノウハウを得ていったんですが、プロじゃないからこその熱意と努力で「ブランドが売れるにはどうしたらいいか」自分たちなりに考えてやっていました。モデルさんではなくスタッフの私たちが前に出て発信しながらブランドの世界観を表現したり。

ーピーク時はお客さんの反響も大きかったと思います。トレンド現象になってものすごく多くの人から注目されていたことについてはどう思っていましたか?

自分だけじゃなくてまわりにそういう人がたくさんいたので。刺激的ではありましたが、そのことについては何も思わなかったですね。真夜中まで飲んでても翌朝9時には出社して働いてて、とにかくタフで「生きてるな」という実感はありました(笑)。

ないものをつくる難しさと楽しさ。

ー〈ムルーア〉を立ち上げる際にブランドのヴィジョンを確立する必要があったと思うんですが、どうやってあのコンセプトに行き着いたんでしょう?

関西の読者モデルの話じゃないですけど、その頃はまだ「ふわっとかわいい」とか「エレガント」なブランドが多くて。その世相に対してのアンチテーゼみたいな感覚はありました。当時は「モード」があまり一般的ではなかったんですけど、その言葉自体に興味がなかった周囲に対して、そういうものをやりたいという姿勢を提示したかったんです。

ーちなみに「モード」なファッションに興味を持ったのはいつ頃ですか?

大阪のセレクトショップで働いていたときですね。デザイン性の高いアイテムにふれる機会が多かったんです。あとは〈コム デ ギャルソン(COMME des GARÇONS)〉のようなブランドに憧れていて、それを若い世代に向けてやりたかったというのはあります。黒い服ばっかりつくったり素材やシルエット選びにもこだわりましたね。

ー頭に思い描いているヴィジョンを形にするのは大変だったのでは。

たくさん挫折もしましたし、コンセプトの練り直しやブランディングの変更なども日常茶飯事でしたね。当時から常に狭いゾーニングでやろうとしていたんですが、会社としては広く売っていきたいじゃないですか。なのでバランスをとって狭くなりすぎないように調整することは心がけていました。

ー狭いゾーンで勝負しようって、自分の感覚に自信がないとできないですよね。みんな優柔不断で迷うじゃないですか。ブレずに信念を貫けるその感じがすごいなと。

もちろんいっぱい迷っていましたが、他とかぶらないものを見つけられたらラッキーみたいな感覚の方が強くて。もはや世の中になければいいくらいに思ってたので(笑)。素材選びとかシルエットとか「いかに攻めたデザインでいくか」考えてやっていましたね。ないものをつくるのは難しいけど楽しいし、それが売れたときは本当にうれしいんですよ。「これは絶対無理でしょ、と思われてたと思うけど!」みたいな(笑)。

ー「ないものをつくろう」と続けてきた10年間、〈ムルーア〉=桃子さんのスタイルでした? 途中で違うテイストも気になりはじめたりしたこともありますか?

もちろん変化することもあったんですが、それをすべてブランドに取り入れていたので、自分とギャップが生まれて我慢したってことはないです。根本的な方向性自体はそんなに変わってなくて、世の中のトレンドを自分の許容範囲内のなかでどこまで受け入れてやっていくか、という方が大きかったかもしれませんね。「尖りすぎてるものは駄目だ!」みたいに言われて柔らかい素材やパステルカラーを取り入れたこともありましたし。

やっぱり「手の届く範囲でやりたい」に立ち戻る。

ーコレクションをつくる際のインスピレーション源は?

いろんな国で撮影したりデザイナーと2人でリサーチしたり、本当にたくさん海外に行かせてもらえたので、そこでアイデアを見つけて次のシーズンにつなげていくということをやってました。モロッコとかロンドンとか。人というよりも街ですね。

ー街なんですね。

その当時は「LAのテイストを取り入れると売れる」とか「ヨーロッパを見るな!パリじゃない!」って言われていたんです。日本で売るためには、デザインや素材が複雑になるより「Tシャツにデニム」みたいなカジュアルスタイルが王道で。でも私はヨーロッパ系のモードな服が好きだったので、その舵取りを修正する意味でもよく旅行に行ってました。

ー市場に対してのやりたいことの塩梅が難しいですね。

会社もブランドも大きくなるにつれて最初の規模感ではなくなってきていて。本当にたくさん売らないといけなくて、ひとつひとつに物語なんて言ってられないくらいの型数があったので。

ーどのくらいだったんですか?

多いときは月に50型。展示会で300型くらいあったので本当にパニックでした。シーズンビジュアルも世界観を伝えるためにつくってはいましたが、使うコレクションはそのなかの一部に厳選してましたね。

ー月に50型! すごいですね…。ブランドの規模が大きくなることについてはどう感じていました?

最後は正直すごい疲れてました(笑)。でもみんなそうだったんじゃないかな。自分のブランドの規模が年商何十億ってなってくると。自分の気持ちのなかでも「処理」みたいになってきてしまうというか。そうなってくるとやっぱり手の届く範囲でやりたいなというところに立ち戻りますよね。

UN3D. 2021 AUTUMN & WINTER COLLECTION

パッと見て「ここの服だ」と分かるようなブランドにしたい。

ーそんな気持ちも〈アンスリード〉立ち上げのきっかけのひとつに?

その頃から「30代のいまの自分の気分に合った、もう少しコアな客層に向けた新しいブランドをやりたい」という気持ちがあって。じわじわ考えていたことの実現のために〈ムルーア〉の最後2年くらいは少しずつ移行していったという感じです。

ー服づくりにおいて〈アンスリード〉ではやりたいことをピュアに追求できる部分も増えたのではないでしょうか。

〈ムルーア〉のときはアイデアはあっても価格帯としてやれることに限界があるというジレンマがありました。〈アンスリード〉は大量生産じゃないので単価だと3〜4倍くらい違ってくるんですが、よりコアなファンの方に向けて長く着てもらいたいなと思い生地からディテールまでこだわってつくっていますね。

ー〈ムルーア〉では「なりたい女性像」といった「ムード」を表現していたのに対して、〈アンスリード〉ではディテールも含めて服そのものにフォーカスしていったように感じました。

パッと見て「ここの服だ」と明確に分かるようなブランドにしたいという想いはあって。〈アンスリード〉は「UN STANDARD」「UN SIMPLE」「UN SIMILAR」という3つのUN(アンチテーゼ)を語源にしているんですけど、当初からベーシックなものはつくらないというのは決めていました。生地選びからデザインまで、オリジナリティを詰め込んだ服づくりは意識しています。

ーその想いは存分に発揮されているのではないでしょうか。

「こういうテイストの服がほしいな」と思ったときに選んでもらいたいので、全部うちで完結しなくてもいいんです。〈ムルーア〉のときは「学校に着ていく服」「会社に着ていく服」「合コンに着ていく服」をそれぞれレーベル化して全部のシーンを獲得していこうという考え方をしていたんですけど。それよりもっと「こういうテイストの格好がしたい」という人たちに選ばれたいというか。全方位から拾おうとは思っていない分「ああいう感じの色の服がほしかったな」というものがお店に行けば必ずある、というようなブランドでありたいなと。

ーコアなファンに向けての服づくりですね。

ブランドのキーカラーも分かりやすく「青・緑・白」にして。プリーツやタックなど特徴的なフォルムのものはシグネチャーとして毎シーズン出すようにしてイメージをつけています。

ーアイコンディテール「ORIGAMI PLEATS」が真っ先に思い浮かびました。

カクカクした構築的なデザインが昔から好きだったので、それをアイコンにしたいとは思っていて。複雑なハンドプリーツをひとつひとつ職人さんが仕上げてくれるいまの工場に出会って商品化が実現しました。多店舗展開したくなかったので、セレクトショップに卸しても〈アンスリード〉のものだって分かるような個性的なアイテムをつくりたかったんです。

「テーマはない」というくらい自由にしていたい。

ー気移りしたり迷ったりすることはないんですか?

迷うことはありますが、そもそも「ブレないようにしよう」っていう意識があるのかもしれません。キーカラーに関しても青と緑は自分の好きな色なので〈ムルーア〉のときから挿し色としてよく使ってましたし。

ー逆に〈ムルーア〉と〈アンスリード〉で意識して変えていることは?

好きなテイストや素材感は正直そんなに変わっていないんですが、単価が上がった分お客さまの年齢層も広くなったので40代や50代の方にも着ていただけるようなシルエットの工夫はしていますね。ただ大きくすればいいというのではなく、綺麗に着ていただけるように試行錯誤しています。

ー幅広い世代にコアなファンがいらっしゃるんですね。ちなみにいま、シーズンテーマはどうやって決めていますか?

とくに決まりごとはなくて、そのとき自分が気になっているものをピックアップしています。今回は「丸」だったので服にも実際に丸モチーフをコレクション全体に取り入れたり。昔から好きで〈ムルーア〉時代にも丸のコレクションを2〜3回やっているんですが、コロナ禍のいま丸のような柔らかい印象のものに惹かれる気分なんだと思います。

ー荻原さんの「いまの気分」が反映されているんですね。

ただ最近は「テーマってそんなに重要なの?」と思うことも多くて。聞かれるので一応つくるんですが、自分としては「テーマはないです」っていうくらい固執せず自由にしていたい気持ちはありますね。

ーそこに縛られすぎないように。ちなみにそういった自分のムードをコレクションに起こすとき、見える化する作業は好きですか?

好きじゃないんです(笑)。私の場合はシーズンコレクションをつくるときに気になるものをまずバーっと書き出すんです。それをもとに全体を整理しつつ、トレンド感をどう取り入れるか詰めていく順番でやっていますね。人に伝えるために何とか頑張ってます(笑)。

ー逆にお洋服をつくる上で好きな工程は?

ひとつのアイテムに4〜5個の素材を組み合わせているので最初はまとめるのが大変なんですが、それがうまくハマった瞬間はうれしいです。シンプルにならないように「ひねる挑戦」をして、イメージしていたものが想像通りにつくれたときは快感ですね。

その時々で新しいことに挑戦できるような人でいたい。

ーファッションで個性を表現することについて、荻原さんが意識していることはありますか?

パッと見の色使いやレイヤード、ヘアメイクも含めた全体感で「自分らしさ」を出していると思います。あとはアシンメトリーなバランスも自分らしいかも。「シンプルに着こなさない」というのはありますね。自分=〈アンスリード〉なので、しっくりくるアイテムもやっぱり〈アンスリード〉の服が多いんですよ。それも自分のカラーのひとつかな。

ーたしかにブランドを通してずっと表現されてますもんね。それにしても22歳でブランドをスタートさせるってすごいことですよね。

会社がよく任せてくれたなとは思いますね。

ー長年アイコンとして前に出ていらっしゃいますが、ご自身が前に立つことについて昔といまで変化はありますか?

そんなに変化はないんですが、自分で発信できるようになったのはいいことだなと思います。SNSも自己表現のひとつとして使っていますが、それが仕事につながることも多いですね。昔に比べて働き方にも選択肢が増えましたし、そういう時代だと思って柔軟にやっていきたいです。〈アンスリード〉に関してもこのゾーニングで固定化しなくてもいいので自由に変化していけたらと。

ー好きなものがブレずに柔軟でいるバランスって意識的にしないと難しいですよね?

そうかもしれません。コロナでみんながお休みしているときに「どんな服だったら着たいのか」ブランドとしてできることは何なのか考えたんですが、考えすぎると上がってくるものが違うなって思っちゃて。だからそこも合わせすぎないようにしています。

ーなるほど。最後にこれから挑戦したいことを教えてください。

暮らす場所によってファッションのテイストも若干変わってくるので、いままでとは違う雰囲気のブランドもいずれやってみたいなという気持ちはありますね。〈アンスリード〉に関しても現状の世界観をキープしつつ、服だけではない新しい展開ができないか考え中です。年齢を重ねたり生活環境が変わったりこの先何があるか分かりませんが、その時々で新しいことに挑戦できるような人でいたいなと思います。

荻原桃子さんも物欲NONストップ!

お買い物も「好みがブレない」荻原さんに、いまお気に入りの私物を3点ご紹介いただきました。

UN3D.

アンスリードのパケ 3Pストラップセット

何を入れてもかわいい!
ジッパーバッグブランド〈パケ(Pake)〉とのコラボレーションアイテム。バッグとしてはもちろん、コスメや領収書、ガジェットなどを入れる収納ポーチとしても毎日大活躍!オフの日はバッグとして、シンプルなワンピースやTシャツのアクセサリー代わりにコーディネートしたいですね。

THE ROW

ザ・ロウのサンダル

エフォートレスに楽しみたい。
最近買ったなかでお気に入りの一足が〈ザ・ロウ〉のサンダル。ブラックに映える配色ステッチが私好みです。トングデザインで抜け感があり、夏らしいリラックスパンツやシアーシャツを使ったコーディネートのハズしアイテムとして活躍しそうだなと思っています。

Bottega Veneta

ボッテガ・ヴェネタのバッグ

ついつい欲しくなります♡
大好きなグリーンのアイテムは見つけるとつい欲しくなります♡ 普段はポシェットが多いですがこの夏はハンドバッグな気分でした! ミニサイズなのに収納力があり、革が柔らかくて持ちやすいのが気に入っています。ボリュームのあるキャミワンピースやシャツスタイルに合わせたいです。

INFORMATION
アンスリード青山店
03-3409-5503
https://unthreed.com/

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