日本武尊はなぜ最後に羽曳野へ飛んだのか? 白鳥伝説と古市古墳群の謎
日本神話の英雄・日本武尊(やまとたけるのみこと)には、最期に白鳥となって飛び立ったという「白鳥伝説」があります。
『日本書紀』によれば、三重県の能褒野で亡くなった日本武尊は、大和を経て河内へ飛び、最後に羽曳野市古市(はびきのし ふるいち)へ降り立ったとされています。
なぜ最後の飛来地は古市だったのでしょうか。
白鳥伝説と古市古墳群、そして応神王統との関係から、実際に白鳥伝説ゆかりの白鳥神社と白鳥陵を訪ねながら、その謎を探ってみました。
日本武尊の最期(伊勢・能褒野から始まる白鳥伝説)
『日本書紀』によれば、東国遠征を終えた日本武尊は、帰路に伊吹山の神を討とうとしました。
しかし、山中で神の祟りを受けて病にかかり、伊勢の能褒野(のぼの 現在の三重県亀山市周辺)で亡くなったとされています。
その死を知った景行天皇は深く嘆き、家臣たちに命じて能褒野に陵を築かせました。
ところが、葬られたはずの日本武尊の遺体は棺の中から消え、衣だけが残されていたと『日本書紀』は伝えています。
そして日本武尊は白鳥となり、故郷である大和を目指して飛び立ったのです。
故郷・大和への帰還(琴弾原に込められた意味)
『日本書紀』では、白鳥となった日本武尊は、まず大和国の琴弾原(ことひきのはら、現在の奈良県御所市付近とされる場所)に降り立ったと伝えられています。
一方『古事記』では、倭建命が最期を迎える前に「倭は国のまほろば」と大和を偲ぶ歌を詠んだとされています。
両書の伝承は同一ではありませんが、大和を慕う歌と琴弾原への飛来を重ねれば、この地を「魂が故郷へ帰った場所」の象徴として解釈することもできるでしょう。
なぜ最後の飛来地は羽曳野なのか?
白鳥伝説における最大の謎は、なぜ日本武尊の魂が最後に河内へ向かったのかという点です。
伝説によれば、白鳥となった日本武尊は大和を飛び立った後、河内の旧市邑(ふるいちのむら)、すなわち現在の羽曳野市古市に降り立ち、その後天へ昇ったとされています。
また、現在の「羽曳野市」という市名も、白鳥が羽を曳くように飛び去ったという伝説にちなんで名付けられたとされています。
しかし、なぜ最後の飛来地として古市が選ばれたのでしょうか。
その理由については諸説ありますが、古市が古代における重要な地域であったことと深い関わりがあると考えられています。
古市は古代王権最大級の墓域だった
羽曳野市と藤井寺市にまたがる地域には、世界遺産にも登録された「百舌鳥・古市古墳群」が広がっています。
なかでも、宮内庁が応神天皇陵に治定する誉田御廟山古墳をはじめ、巨大な前方後円墳が集中しており、この地域は4世紀後半から6世紀中葉にかけて、ヤマト王権にとって極めて重要な墓域だったと考えられています。
つまり古市は、古代の人々にとって「王たちが眠る特別な土地」でした。
そのため、日本武尊の魂が最後に降り立つ場所として古市が選ばれた背景には、この地が持つ神聖性や王権との深い結び付きがあったのかもしれません。
白鳥伝説は後から作られたのか?
一方で、この白鳥伝説については、後世に成立したという説もあります。
現在、日本武尊白鳥陵に治定されている白鳥陵古墳は、5世紀後半に築かれた墳丘長約190メートルの前方後円墳ですが、実際の被葬者は明らかになっていません。
そのため、「もともと古市は王権の墓域として広く知られており、後世になって日本武尊の白鳥伝説が結び付けられたのではないか」とする見方です。
仮にそうであれば、白鳥伝説は単なる英雄譚ではなく、王たちの巨大古墳が集まる古市という特別な土地に、神話的な意味を重ねる物語として受け継がれた可能性があります。
いずれにせよ、古代の人々がこの地を王権や葬送と深く結び付いた特別な場所として認識していたことをうかがわせる伝承といえるでしょう。
応神天皇と日本武尊を結ぶ「王統の物語」
さらに興味深いのが、両者を結ぶ系譜の存在です。
『日本書紀』では、
景行天皇
↓
日本武尊
↓
仲哀天皇(日本武尊の子)
↓
応神天皇※応神天皇の母は、仲哀天皇の皇后である神功皇后
という系譜が描かれています。
一方で、日本武尊や仲哀天皇、神功皇后の実在性については古くから議論があり、記紀に描かれた系譜を、そのまま歴史上の王統として受け取ることはできません。
また、応神天皇の時代に王権の性格が大きく変化したとみる説があり、応神天皇を事実上の新たな王統の始祖と考える研究者もいます。
記紀の系譜では日本武尊は仲哀天皇の父であり、応神天皇の祖父にあたります。
そして古市には、宮内庁が応神天皇陵に治定する誉田御廟山古墳をはじめ、巨大古墳が集中しています。
そのため、日本武尊の白鳥伝説が古市を終着地とする背景には、応神天皇へ続く王統とのつながりが意識されていた可能性もあります。
つまり、白鳥伝説は日本武尊個人の最期を語るだけでなく、その子孫にあたる応神天皇の王統を、古市の巨大古墳群と結び付ける物語として受け止められたのかもしれません。
羽曳野は「英雄が神になった場所」だった
白鳥伝説で重要なのは、日本武尊の旅が羽曳野市古市で終わったわけではないという点です。
伝説によれば、白鳥は羽曳野に降り立った後、さらに天へ昇っていったとされています。
つまり羽曳野は単なる墓所の地ではなく「人間だった英雄が神へと変わる境界の地」として描かれているのです。
そこには「なぜこの地が王たちの眠る特別な場所とされたのか」という問いに対する、古代人なりの答えが込められていたのかもしれません。
白鳥伝説は、羽曳野の神聖さを象徴する伝承として今日まで受け継がれてきたと考えることもできるでしょう。
参考文献:日本書紀、古事記、羽曳野市公式サイト
現地(白鳥神社、白鳥陵)の説明板
文 / 奥河内から情報発信 校正 / 草の実堂編集部