一人しか葬らないのになぜ「前室と通路」がある?古墳終焉期に現れた「横口式石槨」の謎
日本の古墳ほど、摩訶不思議な墳墓はないだろう。
その理由の一つが、外観である墳丘だけでなく、内部に設けられた埋葬施設である石室にも、実に多様な形態が存在することだ。
そして、古墳時代の終わりに登場する埋葬施設「横口式石槨(よこぐちしきせっかく)」の形態もまた決して一様ではない。
棺を納める空間と、その側面に設けられた小さな入口からなるシンプルな横口式石槨がある一方で、前室や羨道(せんどう)を備えたものも存在する。
なぜ同じ横口式石槨でありながら、異なる構造が生まれたのだろうか。
今回は横口式石槨の形態に注目し、そこに葬られた人物の性格や、当時の葬送のあり方について考えてみたい。
横口式石槨とは何か?古墳終焉期に現れた新たな埋葬施設
古墳時代の定義にはさまざまな説があるが、一般的には3世紀中頃から7世紀頃を指す。
そんな古墳時代の終わりごろ、それまで隆盛を極めていた横穴式石室とは異なる埋葬施設が登場する。
それが「横口式石槨(よこぐちしきせっかく)」だ。
横口式石槨とは、石材を組み合わせて棺を納める石槨(せっかく)を築き、その側面などに出入口となる横口を設けたものである。
石室と呼ばず石槨と称するのは、その規模が人ひとりを納める棺を入れるための、比較的狭い空間であることによる。
たとえば、キトラ古墳の横口式石槨の内部は、2026年に刊行された最新の調査報告によると、幅約1.04メートル、長さ約2.38メートル、高さ約1.25メートルである。
ほぼ同時代の岩屋山古墳の横穴式石室の玄室は、長さ約4.9メートル、幅約1.8メートル、高さ約3メートルとされる。
両者を比べれば、横口式石槨がいかに小規模な埋葬施設であるかが分かるだろう。
横口式石槨の基本的な構造は、横穴式石室に比べて非常にコンパクトな構造なのである。
そして横穴式石室は、入り口から玄室へ向かって羨道が延び、必要に応じて複数の人物を葬ることが可能だった。
つまり、追葬を前提とした家族墓・集団墓としての性格を持っていたのである。
これに対して横口式石槨は、基本的には一つの棺を納めるための埋葬施設だ。
入り口である横口も、棺を搬入して埋葬を行った後、閉塞するための施設と考えるのが妥当だろう。
このように横口式石槨は、従来の横穴式石室に比べ、特定の人物一人を葬ることを強く意識した「個人墓」的な性格を持つ埋葬施設であったと考えられる。
それは6世紀前半以降の古墳時代後期に、従来の豪族層が築いてきた巨大な横穴式石室とは、大きく異なる発想であった。
前室・羨道を持つタイプも築造された
横口式石槨の基本概念は「個人墓」であると述べたが、実はすべてが同じ構造ではなく、石槨の前面に前室や羨道を備えたものもある。
前室や羨道が設けられるということは、単純に棺を納めて閉じるだけではなく、埋葬施設の内部に横穴式石室同様に追葬のための一定の空間を確保したとも考えられる。
もちろん前室や羨道があるからといって、必ず複数の人物が葬られたと断定することはできない。
しかし追葬を可能にする空間を持つという点では、プロトタイプの横口式石槨とは、何らかの異なる意図があった可能性も考えられるのである。
追葬可能な構造は被葬者層を考える手掛かりになりえるのか
僭越ながらここからは、筆者の考察を踏まえて話を進めていきたい。
筆者は大学時代、横口式石槨を研究対象とし、前室・羨道を持つタイプについて、当時なりの一つの結論を導いた経験がある。
それから数十年経った現在、考古学は驚くほどの進化を遂げた。
それゆえに当時の考えをそのまま断定するつもりは毛頭ないが、今も頻繁に終末期古墳めぐりを繰り返す者として、どうしても気になる点がある。
それを本稿のまとめとして述べていきたい。
繰り返しになるが、横口式石槨の基本形は、特定の人物一人を葬るための施設である。
その「特定の人物」とは、天皇(大王)をはじめとする皇族や高級官人、有力氏族の長など、特別な身分にあった人物の墓と考えることができる。
しかし、前室や羨道を持つ横口式石槨墓は、それとは異なる社会階層の墓ではなかったのだろうか。
そこで注目したいのが、646年(大化2年)に定められたとされる「薄葬令(はくそうれい)」である。
これは、天皇(大王)を頂点とする新たな政治機構のなかで、従来の葬送や墳墓のあり方を規制するものであった。
具体的には、被葬者の身分に応じて墓の規模や造営に動員できる人夫の数、築造日数などを定め、身分に応じた葬送のあり方を規定していたのである。
その実効性や、実際にどの範囲まで適用されたのかについては議論があるが、それでも7世紀中頃になると大型古墳の造営は次第に減少し、墓制そのものが大きく変化していった。
筆者は、前室や羨道を持つ横口式石槨も、その流れのなかで生まれたものではないかと考えている。
薄葬令以降の変化のなかで、皇族や高級豪族層が、従来の前方後円墳や方墳などの大型古墳とは異なる形態の墓を選択するようになったのではないだろうか。
墓そのものは小型化しても、それまで横穴式石室が担ってきた「一族の墓」という考え方まで、すぐに失われたとは限らない。
前室や羨道を持つ横口式石槨は、従来の横穴式石室の構造や葬送の考え方を残しながら、新しい小規模な墓制へ移行しようとした痕跡なのかもしれない。
※参考文献
武光誠『古墳解読』河出書房新書
奈良文化財研究所『特別史跡キトラ古墳調査報告』2026年 他
文/写真 : 高野晃彰 校正/草の実堂編集部