レコード大賞受賞曲「天使の誘惑」の翌年にリリースした歌い継がれるヒット曲 黛ジュン「雲にのりたい」
シリーズ/わが昭和歌謡はドーナツ盤
黛ジュンを初めて観たのは、小学校6年だった。昭和40年代、東芝音楽工業(現・ユニバーサル ミュージック)の協賛番組で日曜の午後の時間帯にTBS系列で放送されていた「東芝 歌うプレゼントショー」という番組があった。ティータイム時だったので、おやつを食べながら、家族そろって観ていた団欒の景色が今でも思い出される。坂本九、越路吹雪、加山雄三、「野バラ咲く路」を歌っていた市川染五郎(現・松本白鸚)など、当時東芝所属の歌手たちが出演していた。この番組が黛ジュンとの出会いだった。大胆なミニスカートで、デビュー曲「恋のハレルヤ」をパンチの効いた独特の声で歌っていた。小学生の僕には、かなりインパクトがあった。同時期には、奥村チヨ、小川知子も出演しており、東芝では〝東芝三人娘〟として売り出していたようだ。その後、欧陽菲菲、「愛がはじまる時」でデビューした風吹ジュンや、「初恋のメロディー」の小林麻美もこの歌番組で知った。
黛ジュンのパンチのある歌声は、弘田三枝子のパンチの効いた歌唱力とはまた違うものだった。コブシの効いたポップスと言えばいいのか、演歌にも通じる歌声で、ポップスを歌っている、そんなパンチ力だった。だから、68年に5枚目のシングルとしてリリースした日本的なメロディの曲「夕月」も違和感なくヒットさせている。
黛ジュンは、64年に渡辺順子の名で歌手デビューしていたが、ヒットには結びつかなかった。67年に石原プロモーションに移籍し、「黛ジュン」と改名し再デビュー曲として2月15日にリリースしたのが「恋のハレルヤ」だった。グループサウンズのブームが巻き起こっていた時代で、そのサウンドと歌声、ミニスカートが注目を浴び、〝一人GS〟などとも言われていた。作詞はなかにし礼、作曲は奥村チヨ「恋の奴隷」、ザ・ゴールデン・カップス「長い髪の少女」、西城秀樹「情熱の嵐」、朱里エイコ「北国行きで」の作曲でも知られる鈴木邦彦が手がけている。同年大晦日のNHK紅白歌合戦にも初出場を果たした。67年の初出場組には、佐良直美、山本リンダ、布施明、菅原洋一、荒木一郎らがいる。
2枚目シングルとしてリリースした「霧のかなたに」もまた、GSサウンドを思わせる曲だったが、黛ジュンは、パンチ力を抑制した歌唱で、デビュー曲を上回るヒットに結びつけた。初登場の紅白で歌われたのは「霧のかなたに」だった。その後、「乙女の祈り」、「天使の誘惑」、「夕月」とヒット曲を連発した。作詞はいずれもなかにし礼で、作曲は「夕月」以外は鈴木邦彦が担当した。「夕月」の作曲は、実兄の三木たかしだった。「夕月」のB面の鈴木邦彦作曲の「愛の奇蹟」もファンの間では、隠れた名曲として人気があった。そして「天使の誘惑」は、68年の日本レコード大賞で大賞に輝いた。紅白では2回目の出場にしてトリ前に登場し歌唱している。サイモン&ガーファンクル「サウンド・オブ・サイレンス」、ビートルズ「ヘイ・ジュード」、ポール・モーリア「恋はみずいろ」、ディオンヌ・ワーウィック「サンホセへの道」、青江三奈「伊勢佐木町ブルース」(歌唱賞受賞)、ピンキーとキラーズ「恋の季節」(新人賞受賞)、伊東ゆかり「恋のしずく」(編曲賞受賞)、ザ・フォーク・クルセダーズ「帰ってきたヨッパライ」、島倉千代子「愛のさざなみ」、ザ・ダーツ「ケメ子の歌」、千昌夫「星影のワルツ」、ザ・タイガース「花の首飾り」、黒沢明とロス・プリモス「ラブユー東京」、そんな歌が巷では流れていた。
そして69年6月1日、7枚目のシングル「雲にのりたい」がリリースされる。この歌は雑誌平凡が募集した当選歌で、作詞は大石良蔵(補作詞・なかにし礼)、作・編曲は鈴木邦彦が手がけた。いままでの黛ジュンのヒット曲とはまたタイプの異なる味わいの楽曲で、ポップスながら、なんとも切ない感情がにじみ出ている。黛ジュンにしては珍しくバラード風の歌い方をしている。ドラマ「時間ですよ」や「寺内貫太郎一家」の演出家として知られる久世光彦氏のエッセイ『マイ・ラスト・ソング』を原作とした、小泉今日子の朗読と、浜田真理子のピアノと歌で綴る舞台でも紹介されている。
その久世さん演出の86年のドラマに「花嫁人形は眠らない」というものがある。田中裕子と小泉今日子が姉妹を演じ、池部良、笠智衆、加藤治子、柄本明、小林薫が共演したホームドラマで、毎回のサブタイトルには「てるてる坊主」「叱られて」「月の砂漠」「赤い靴」「ゆりかごの歌」「花嫁人形」などの童謡の曲名がつけられ、そこに、なんとなく久世光彦というクリエイターのセンスが浮かび上がる。家族の暮らしの描かれ方、どこか生きるのが不器用な登場人物たち、タイトルバックに紹介されている挿絵画家・蕗谷虹児の絵など、〝昭和〟が香り立つドラマだった。しかも、どこか僕の親世代の昭和を感じた。そして、オープニングで流れる主題歌の聞き覚えのあるイントロ。「雲にのりたい」である。
だが、僕の知っている「雲にのりたい」ではなかった。耳になじんだ黛ジュンの曲とは別ものだった。歌っていたのは長山洋子だったのだ。86年5月に、アイドル時代の長山洋子がカバーし、レコード化していた。もしかしたら、若い世代には「雲にのりたい」は、長山洋子の曲として知られているかもしれない。いや、若い世代にはそれさえも認知されていないかもしれない。当時は、黛ジュンの歌でなかったことに不満を覚えたが、ドラマを改めて観直したときに、長山洋子の「雲にのりたい」でよかったのだと納得した。黛ジュンではインパクトが強すぎたかもしれない。
黛ジュンは3回目の紅白出場時に「雲にのりたい」を歌った。紅白には連続4回出場している。「雲にのりたい」の後も、映画化もされた「涙でいいの」、パンチのある歌唱で聴かせる「土曜の夜何かが起きる」、「自由の女神」、映画『象物語』のイメージソングである「風の大地の子守り唄」、なかにし礼の作詞が際立つ「男はみんな華になれ」など、いい楽曲がある。
最近、黛ジュンをはじめ、奥村チヨ、小川知子、中村晃子、いしだあゆみといった歌手の歌が無性に恋しくなる。いずれも、それほど夢中になって聴いていた歌手ではないが、そう〝歌謡曲〟の時代が恋しいのだ。黛ジュンの「雲にのりたい」は、ぼくをその時代へと連れて行ってくれる1曲だった。
文=渋村 徹 イラスト=山﨑杉夫