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きっと息子は発達障害。家族に理解されず「居場所もない」…転勤先で孤独だった私が救われた日

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きっと息子は発達障害。家族に理解されず「居場所もない」…転勤先で孤独だった私が救われた日

監修:藤井明子

小児科専門医 /小児神経専門医/てんかん専門医/どんぐり発達クリニック院長

初めての転勤帯同先で、私は気持ちが追い詰められていく

私の夫の仕事は全国転勤があり、わが家は息子が産まれてから10歳になる現在まで合計5回引っ越ししています。息子が0~2歳時に住んでいた初めての転勤帯同先で、私は息子の障害に気づきました。その地で息子は医療に繋がって発達障害の診断が出たため、療育を始めることができました。しかし、医療と福祉に繋がるまでが大変でした。

初めての転勤帯同先は全く知らない土地でした。当然、育児を助けてくれる親族や知り合いは誰もいません。そのため私は地域の子育て支援センターや児童館に息子を連れてよくでかけていました。しかしそこで目に入ってくる子どもたちは息子とは様子が違い、とても育てやすそうに見えました。親と目が合い、親を必要とし、親と遊び、親を安全基地として他者と関わることができ、衝動的行動は息子より明らかに少なく、読み聞かせなどのイベントに興味を持ち参加できる……といった様子でした。一方息子は、親である私と目が合わず、私と一緒に遊ぶことを嫌がり、私が視界から消えても全く気に留めない様子で、誰にも興味を示さず、衝動的な行動を繰り返していました。

また、読み聞かせやお楽しみ会、親子体操、キャラクターショーなど、さまざまなイベントに息子を連れて行ったものの、息子はまともに参加できたことが一度もありませんでした。いつもその場に留まっていることができず、脱走して外に出ていこうとしたり、ドアやカーテンを開閉し続けたり、レバーを回し続けたり、階段昇降をし続けたりと、衝動的で不思議な行動を繰り返していました。

支援センターや児童館に行っても、公園に行っても、スーパーへ買い物に行っても、家の中でも、息子の衝動的行動や特性行動に、私は心底疲弊していました。また息子と周りの子を比べ、「こんなに違いがあると、ほかの子の親御さんとは分かり合えないだろう」と諦めたように思っていました。私は、「安心して過ごせる居場所がどこにもない」と感じていました。

このような日々の中で、私が、息子が発達障害であることに気づくのは自然な流れでした。おそらく発達障害だろうけれど、信じたくない気持ちもあり葛藤していました。仮に発達障害だとして、一体どのような種類でどのような程度の障害なのか?いろいろなことがぼんやりしていて、よく分かりませんでした。私は「1歳半健診で発達相談をしよう。まだ分からないことを考えすぎても仕方ない」と頭では考えていたものの、気持ちをうまく制御できず、毎日モヤモヤと不安が止まりませんでした。そのうちに、気持ちが苦しくなって呼吸がしづらくなったり、涙が止まらなくなったり、ボーっとして動けなくなったり、夜眠れなくなったりと、徐々に気持ちが追い詰められていきました。

立場の違いから、家族にうまく助けを求められなかった

私は夫に助けを求めました。しかし夫は仕事が忙しく残業が続き、休日も資格の勉強をしていることが多く、助けを求めても著しい変化はありませんでした。夫もまた、仕事でいっぱいいっぱいだったのだと思います。さらに当時の私は「夫が外で働いてくれるから生活できる。だから息子のことは私がなんとかしなければ」という思い込みのような負い目があり、夫に「私は今大変な状況なの。仕事を調整して育児に協力してほしい」と強く訴えることができませんでした。

専業主婦として家事や育児をすることは立派な仕事です。また当時の私は、知らない土地で周りの助けが何もない中、障害の実態は不明だけど特性行動バリバリの息子を毎日育てていて本当に大変なことだったと思います。当時の自分を抱きしめて労ってあげたい気持ちです。しかし、当時の私たち夫婦は今よりも未熟で世間知らずでした。さまざまな出来事を経て私は強くなり、夫も今では育児を積極的にしていますが、当時私は自分の状況を客観視してもっと夫に強く助けを訴えるべきでしたし、夫も私の声にもっと耳を傾けるべきでした。

私は遠方の母にも助けを求めました。息子と私の状況を説明し「しばらくの間こちらに来て助けてほしい」とお願いしました。母は「いいよ」と言ってくれたのですが、いろいろな理由で延ばし延ばしになり、結局助けに来てくれることはありませんでした。私は「母には母の生活があるから仕方ない」と自分を納得させましたが、明確に断られないまま助けを待ち続け、結局来てもらえないという展開は酷でした。

後に母に「なぜあの時助けに来てくれなかったの?」と尋ねたところ、母は言いました。「だってあなたは専業主婦でしょ。子ども一人だけだし、大丈夫だろうと思って」と。

母は仕事をしながら私と弟を育ててくれました。それはとても大変なことだったと思いますし、感謝しています。しかも、私が生まれた1980年代後半、母は総合病院で仕事をしていましたが、当時はまだ育休の制度は整っておらず(1991年に「育児休業法(現・育児・介護休業法)」が制定され、1992年から法的に育休がスタートしました)、私は生後1か月から病院内の託児所に預けられていました。帝王切開後のつらい体で、生後間もない私を預けて働くのは母にとって過酷なことだったと思います。

その後母は病院の仕事は辞めますが、現代に比べて育休制度が整わない中、定型発達児二人を育てながら地元で頑張って働く母と、転勤帯同で知らない土地で障害児を育てながら専業主婦をする私、どちらも大変で、しかし大変さの質や方向性が違いました。そのため互いの気持ちを完全に理解し合うことが難しかったのだと思います。残念ですが、それは仕方のないことでした。

私は毎日、心の中で「居場所がどこにもない、分かり合える人がいない、息子の障害の実態が分からない、苦しい」と思い悩み、現実では息子の特性行動に疲弊していました。それでも息子はかわいく、「子どもをかわいいと思える」こと、それだけが救いでした。

理解者が現れ、居場所ができる

そんな時、児童館でたまに顔を合わせていたTくんのママKさんに話しかけられ、それをきっかけに、会うとたまに話す間柄になっていました。Kさんは息子の発達特性をなんとなく分かった上で私に声をかけてくれており、息子の特性行動に対しても寛容でした。私たちは徐々にお互いの悩みを話すようになりました。私は、孤独でつらい気持ちが少しずつ薄れていくような自分の中の変化を感じました。

ある日、Kさんが「山の上の公園に行こう」と私たちを誘ってくれました。私は息子の特性行動を理由に一度断りましたが、Kさんは「別行動で終わっても大丈夫だよ」と言ってくれて、当日も公園の駐車場で私たちの到着を先に待っていてくれました。車から降りた息子は衝動的に一目散にどこかに駆けて行ってしまいましたが、KさんとTくんは、なんと私と一緒に息子を追いかけてくれました。いつも私一人で息子を追いかけていましたが、この日はKさんとTくんが一緒に追いかけてくれて、寄り添ってくれて、息子のことや私の状況を理解しようとしてくれて、その姿勢に私は胸がいっぱいになりました。Kさんは身近な人が困っていることを一生懸命理解しようとしてくれる人でした。Kさんの優しさは忘れません。

息子は1歳半健診から医療につながり、2歳から療育(児童発達支援事業所)に通うようになりました(健診を経て医療につながった時の様子は以前のコラムをご覧ください)。

後に通うことになる事業所を初めて見学に行った時、私は衝撃を受けました。息子が衝動的な行動をとっても問題ない安全な環境が当然のように整っていて、息子の特性を理解してくださっている専門の先生方がたくさんいて、息子の特性行動を誰も不思議がらないからです。息子は療育に通う中でどんどん成長していきました。療育で成長していく息子の様子については、この先のコラムで改めてご紹介したいと思っています。

先生方は息子の様子を温かい目で見守ってくださり、私を労ってくださり、時にアドバイスしてくださいました。理解して、認めてくれて、寄り添ってくれる……私がずっと抱えていた孤独でモヤモヤしたつらい気持ちがすこしずつ晴れていきました。さらに私は療育の間息子と分離することで休息の時間が持て、自分の気持ちが格段に安定していくのを実感しました。私は「ここは私たちの居場所だ。ようやく居場所を見つけた」と思いました。週に2回、安心できる場所で理解者の方々から親子で支援を受け、親子で成長させていただきました。そして、障害や発達に凸凹がある子どもとその親が福祉に繋がることの重要さを、身をもって実感しました。

当時を振り返ると、自分の家族にうまく助けを求めることができなかった自分に対し「もっとこうすればよかった」と思うこともありますが、「あの時つぶれないでいてくれて、本当にありがとう。よく頑張ったね」と自分に声をかけて抱きしめてあげたいです。お子さんに障害や発達特性があっても、お一人で抱えて大変な思いをされている親御さんはたくさんいらっしゃると思います。本当にもう十分頑張っていらっしゃいます。医療や福祉に速やかかつ適切に繋がり支援を受けることでお子さんが成長し、親御さんの大変な思いが少しでも軽減することを、心から願っています。

執筆/かほ

(監修:藤井先生より)
かほさんがどれだけの思いと努力を重ねてこられたが伝わってきました。ご家族に理解を求めてもなかなか叶わないことは、決して珍しいことではありません。それは決して誰かのせいでもなく、「近すぎる関係だからこそ」難しい場合もあります。だからこそ、医療や福祉、地域のサポートなど第三者の立場からの関わりが、親御さん、お子さんの心を支える大きな力になります。今回のように、安心できる居場所や繋がりを見つけられたことは、素晴らしい一歩です。同じように悩み、孤独を感じている方にとって、大きな励ましと希望になると感じました。

(コラム内の障害名表記について)
コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。

神経発達症
発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。
知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。
※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。

知的発達症
知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。

ASD(自閉スペクトラム症)
自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。

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