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宮藤官九郎にインタビュー のん&村上虹郎のフレッシュコンビで“ボーイ・ミーツ・ガール”のロック・オペラに挑戦

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宮藤官九郎

近未来の日本を舞台に繰り広げられてきた、宮藤官九郎作・演出のロック・オペラ・シリーズ“大パルコ人”。第4弾となる『愛が世界を救います(ただし屁が出ます)』は、2055年の渋谷を舞台に、のんと村上虹郎を迎えて送る超能力もの。ギター演奏でも参加する宮藤に作品の見どころを聞いた。

ーー“大パルコ人”シリーズも第4弾となりました。

今となっては僕にとって公然とバンド活動ができる場ですね。演劇の名を借りて(笑)、バンド活動もやっていいという。グループ魂はやっぱりちょっと負い目があるんで。何やってんだっていう、今そんなことしてる場合じゃないだろうっていう負い目があるんですよ。みんなそれぞれ忙しいんだぞ、みたいな。“大パルコ人”はもう、演劇だからいいじゃんみたいなところで、最終的に舞台の上でお芝居しながらバンド演奏ができるというご褒美が待っているので、モチベーションとしては、そこに向かってひたすらつらい作業を重ねていくという感じで(笑)。実は、他のどの作品よりも台本書くのがつらいんです。理由は今回、はっきりわかったんですけど、台本を書きながら、同時進行で歌詞も書いてるからなんだと。10数曲歌詞を書いてるんですけど、もしアルバム作るために歌詞を書くとしたら、それだけで、まあまあ時間かけていいはずじゃないですか。しかも、それを、物語に沿って、歌う人、役者さんにまんべんなく出番を割り振って、いいタイミングで曲が入ってきて、その曲を全部バラエティに富んだ感じにしなきゃいけなくて、物語の必然性も踏まえて、歌詞もまあまあおもしろくなくちゃいけないという。歌詞は後回しにしようとか、逆に歌詞から書いてみようかなとか、何度かチャレンジしたこともあるんですけれど、それだと絶対上手く行かない。やっぱり流れに沿って行かないと書けない。絶対、他の台本の倍以上時間がかかる。

宮藤官九郎

ーーロック・オペラということで、台本を書かれる際に音楽を意識した言葉が紡ぎ出されるということはありますか。

音楽というより、このシリーズで言えば、現代じゃない、常に未来のことを書かなきゃいけないということですかね。未来の渋谷にはこれはなくて、この時代にはこういう新しいものがあってとか、そういうことから考えます。ミュージカルと違うのは、音楽が話の筋を進めるためにあるわけじゃないので。歌で話の筋を進めたりとかするというよりは、気持ちが高ぶったから歌う。だから歌詞は聞き取れなくてもパッションが伝わればいい。その代わり、歌う必然性は考えます。設定が舞台やステージになっていて、そこでライブを披露するとか。あとはやっぱり役者だけでやるというのがこのシリーズにおける自分のこだわりではあります。プロのミュージシャンにお願いした方が音楽のクオリティは上がる、アンサンブルの人を入れて、立ち回り、アクションをやったら、それはクオリティは上がるんですけど、自分の中のインディーズっぽい気持ちというか、インディペンデント精神があるので。DIYの精神かな、どっちかというと。自分たちで作るという。だから、演者が演奏して、演者が歌ってということには毎回こだわってますね。それは、他の人がやってないからというのもあるんですけど。クオリティを上げるということよりも、自分たちでやるということに何か意味があるような気がしていて。やっぱりそれは、PARCO劇場でやらせてもらってはいますが、気持ちはやっぱり演劇を始めたころの、下北沢でやっていたときの気持ちでやりたいなと。わざわざやらなくてもいいのに練習して自分たちで演奏している、その中でクオリティの高いものをやるというのがこだわりですかね。

ーーお好きなロック・オペラ、ロック・ミュージカルは?

最初は『トミー』ですね。でも、そんなに言うほどロック・オペラってないと思うんです。ありものの曲で、それにストーリーをっていうのはあるけど。今回特に、オリジナルの曲を作るということにこだわっていて。劇団☆新感線さんが、メタルと演劇は親和性があるということを、長いこと時間をかけて証明してますけど、メタルじゃない音楽で何とかそれをできないかというのを探っているところではあります。パンクとか、本当は立って聞く音楽ですから、本当はなじまないんですけど。今回はのんちゃんや虹郎くんという若い二人が主演ということがあって、音楽的にもちょっと若返りたいなと思ってます。

ーー今回は超能力ものということですが。

このシリーズは、2044年の渋谷という設定で第一弾が始まって、2022年の渋谷、2033年の池袋ときてるんです。なので、次は2055年しかないなと。それと、プロデューサーの長坂まき子さんに「超能力もの」というお題を頂いたこともあって、超能力者の設定をいろいろ考えて。最初に思いついた設定が、予知能力はあるんだけど、その能力を発揮しようとするとどうしても屁が出ちゃう。恥ずかしいから、未来を予言するのはやめちゃうという主人公はどうだろうと。もう一人、のんちゃんが演じる方は、テレパシーを送れるんだけど、送ろうとするとすごく顔が不細工になる、しかも語りかける声がおじさんの声になっちゃうという。超能力は使えるけどむしろ弊害の方が大きいから、自分の能力を封印しなきゃいけないという人たちの話はどうだろうと。それに、このシリーズで、若い男女のラブストーリーを意外とやっていなかったなと思って。第一弾はサイボーグもの、第二弾は学園ものだし、第三弾はヤクザの話だし、若い男女の青春ストーリーみたいなのをやってなかったなと。のんちゃんが出られることになったというのがもちろん大きいんですけど、若い男女の話をやるかと思って、そんな設定を思いついたんです。2044年の渋谷が舞台の第一弾『R2C2』が世界戦争が始まったところで終わっているから、それから11年後、戦争が終わった後の話にしなきゃいけない。たまたま世の中がこういう感じになってしまって、東京オリンピックもまさか今年になると思ってもなかったんだけど、コロナ禍でなかなか不穏な世の中になっているというのもあって、何か明るい、前向きな話にしたいなと思って。たくさんの人が亡くなって、一度、瓦礫の街になったんだけれども、そこから立ち上がる、前向きな若者たちの話がいいなと。自分の能力があるんだけどそれを封印しなきゃいけないっていうところで、コンプレックスとか、何かそんなことがテーマになってくるといいなと思ってます。
それと、頭の中で、音楽的にこういうことやりたいなとか、こういう曲がいいなとか、好きなネタをうわーっとやった後、物語を着地させるために必要な時間が、うっとおしいなと思って。だけどそれがなきゃ芝居にならないし、っていうのが今まで割と悩みだったんですけど、今回はそれはなくていいかな、気持ちいいところで終わった方がいいんじゃないか、上手く着地しなくていいかなと思って。収束させないと、という何か真面目な一面がどこかあったんです。演劇って、毎日舞台に立ってやるじゃないですか。そのうち、この5分くらい、なくてもよかったんだよなっていうのを、やりながら学んでいくんです。書いてるときは必要だったんだけど、演じているうちに、自分の中でその5分が、すごく不純な感じがして、恥ずかしくなるんで、今回は乱暴に終わらせようと思ってます。いい話とか、上手くオチがついたとか、他でもできるから、今回はいいよって。それ以上に、何しろ作詞が大変だったので。『トミー』や『ロッキー・ホラー・ショー』みたいな向こうのロック・オペラ、ロック・ミュージカルにしても、だいたい無理やり終わってますよね。何か、うわあ、気づいた! みたいなところで。最後の曲がよければいいみたいな感じで。今回は、それでいいんじゃないかなって思ってます(笑)。

宮藤官九郎

ーー“自分の中で不純な感じ”とは?

何か、上手くまとめて形を整えている部分というか、上手くやろうと思えばできちゃうけど、やらない勇気も必要なんじゃないか? みたいな。上手く言えないんですけどね。やっぱり、書いたときの気持ちが不純なんじゃないですか(笑)。それが消えないんですよね、演じていても。なんだか、このシーンって今、まとめるためにあるよな、みたいな。映像だと一回きりだから我慢できるんだけど、毎日やる舞台だとどうしてもそれがあって。今、せっかく全然違うものが生まれようとしているのに、何かこうわかりやすいところに落ち着こうとしている、落ち着こうとすればそれができちゃうから、みんな上手いから、みたいな。言ったことはなかったんですけど、何かそこが物足りない。自分でも、誰かに見透かされないといいなと思ってたんですよね、そこを。今回は割と最後まで乱暴に終われるような気がしています。

ーーそのあたり、劇作家としての宮藤さんと演出家としての宮藤さんのせめぎ合いみたいなところにもつながってくることなのでしょうか。

というよりは、お客さんとして芝居を観ているときと、作っているときとの違いというか。客で観ているとき、そういう意図を感じると、ああなるほどね、みたいな感じで醒めるんです。ちょっと前のめりで観ていたものが、結局そこに落ち着くのか、とか。どこかで、興奮して終わりたいなっていつも思っていて。そっちの方が好きだから、そうしたいのに、作るものは、何かそうじゃなくなっちゃうときがあって。何かちょっと、停滞しているなって感じかな、物語も、劇としても、エンターテインメントとしても。最後何かちょっと停滞して終わる感じがいつも気になっていて。演出家としては多分もっとさっと終わる方にもっていきたいのに、まとめてしまいがちというか、テーマを何か言ってまとめたみたいになりがちなところを、いかにそうならないようにするかということはいつも思うんです。

ーー新しくなったPARCO劇場で、渋谷の街で上演するというあたりで何か意識されることはありますか。

このシリーズは、PARCO劇場​で上演するときは渋谷が舞台という設定でやっていて、今回は宮下公園の方を舞台にしようかなと思っていて。あのあたり、今すごくきれいになってライトアップされたりしてるんですけど、それが、2044年に戦争があって、瓦礫の山になっちゃって、またホームレスが集まってきてというところから物語が始まる感じです。新しくなったPARCO劇場​で昨年『獣道一直線!!!』をやりましたが、すごくきれいで、しかもキャパも増えてるのに、すごく前のPARCO劇場​でやってる感があるんです。不思議だなと思うんですけど。やりやすいし、楽屋もいっぱいあるし、すごく使いやすくていいですね。

ーー宮藤さんから見たのんさんの魅力は?

『あまちゃん』ですごくいい出会い方をしたので。僕も彼女のことは何も知らないし、彼女もまだ全然経験が浅かったときに、僕自身、朝ドラという今までやったことのない世界でやらなきゃいけなくてというときに、今思えばすごく恵まれた出会いでした。いつか一緒にやりたいなと思っていて、やっと今回出てもらえることになって。彼女のいいところ、僕がいいと思っているところを、余すことなく今回の舞台で出せれば、それでいいかなと思ってます。すごく特別な女優さんだと思うので、みんなができるようなことをやらなくていいような気がしていて。彼女のすごくスペシャルな部分、彼女のおもしろい部分だけで見せられたらいいなって思ってます。舞台とか、『あまちゃん』以外の作品では一緒にやってなかったんだけど、忌野清志郎さんのイベントとかで一緒になって、歌もよく聞いてたんです。そんなとき、人前で伸び伸び歌ったり笑ったりしているところを見て、僕が舞台上でそういう空気を作ればいいんじゃないかなと思ってます。彼女のいいところというのは、あまり言葉にできないというか、他の人がもっていないものなので、あの人よりここがいいでしょというのがない。言うのはすごく難しいんですけど、強いて言うならですけど、セリフとか笑いの間っていうのが、何かテクニックに頼らないところが僕は好きですね。映画とか見てても思いますけど、本当に思っていることは本当に心からちゃんと言ってるなっていうところが。テクニックで何となく上手に見せようとはしないところが僕は好きですね。

宮藤官九郎

ーー村上虹郎さんについてはいかがですか。

彼の映画とかを見ていて思うんですが、すごくナイーブな若者を演じているときいいですよね。だから、今までのシリーズにはあまり出てこなかったタイプのキャラクターを演じてもらいます。歌も上手いし、運動神経もいいらしいので、いつも我々が無理して頑張っているところを、ちょっと無理せずに、虹郎くんにいろいろやってもらおうかなとは思ってます。未来を見ようとすると屁が出ちゃう、そんな自分の能力を封印したいんだけど、どうしてもそれを出さなきゃいけなくなる、理由はともあれ、そんな、すごくナイーブな若者の役なので、合ってると思います。

ーーコンプレックスって誰しもあるものですよね。

そうですよね。コンプレックスもそうだし、マイノリティの話になってるんです、今回。100分の1に人口が減ってしまった2055年の渋谷で、生きてるだけで特別になってるっていう設定もそうなんですけど、マイノリティとか多様性みたいなことを、何か自分なりの解釈というか、自分なりの切り口で、多様性を肯定したいなと思ってます。一応、ロックオペラですから、多少は歌詞に社会性がないといけないので。僕もあんまり声高に言うつもりはないんですけど“(ただし屁が出ます)”というカッコ付きでなら、言ってもいいかなと思ったりして。真っ向からやるのは、もっと相応しい作品があると思うので、自分なりのスタンスで多様性みたいなものを表現できるといいなと思ってます。
LGBTQについて今、なにか発言するとなると、ものすごい覚悟と知識を持って、しかも慎重に言葉を選ばないと、批判の対象となるけど、それを怖がって、口ごもってしまったり、問題自体にフタをするのもなぁと、皆がモヤモヤしているのが2021年。2055年はさらに進んで、もっと多様な少数派が存在して、差別と戦っている、人は全部違うんだっていうことを肯定する。みんな違うけど、みんな違ってみんないいじゃないか、ということを笑いを交えながら……というのが難しいんですが、屁も出しながら、伝えられたらいいですね。

ーー今回、ロック・バンド怒髪天の上原子友康さんが音楽を担当されます。

藤井隆さんに出ていただくということで、すごく洗練されたシティ・ポップみたいなものを歌ってもらいたいなと藤井さんのキャラクターを考えてたんです。シティ・ポップをたくさん聴いてると、その反動で、何かもう、ハードコア・パンクが聴きたくなっちゃって、だから今回、両極端にしようと思ってます。2055年現在で流行っている音楽がシティ・ポップで、それに対して、僕が、1980年代からずっと生きている老人のパンクスの役を演じる。シティ・ポップもハードコア・パンクも、どっちも80年代の音楽ですけどね。今回友康さんにはすごくチャレンジしてもらっていて、今風のデスクトップ・ミュージック、打ち込みみたいなものも作ってもらっています。本人もすごく新境地だって言ってやってくれてます。前回は怒髪天の増子直純さんが出ていたので怒髪天寄りでよかったんですけど、今回はのんちゃんと虹郎くんだから、曲もちょっと若いフレッシュな感じがします。

ーー若者をメインに据える際、かつてのご自分を投影されたり、今の若者を観察したりということをされるのでしょうか。

今回、本当に普遍的なボーイ・ミーツ・ガールの話なんです。出会って、好きになって、ケンカしてみたいな話なので。いつもはもうちょっと突き放すところもあるし、自分の若いころを思い出してそういえばこうだったな、懐かしいとかありますけど。どこかで、若い人たちに媚びたくないというのがやっぱりまだあるんです。媚びて失敗したとき、本当に目も当てられない、残念なものになってしまうので。もう若くないですからね、自分。わかったふりして、今これ流行ってるからって取り入れるのにどうしても抵抗がある。そして今回、虹郎くんとのんちゃん以外のキャストは若くないんです。だからそれでいいかなと思って。若者たちの話ってもうしばらくやってないんです、だってわかるはずないですもんね。大人にわかるはずないって僕自身、20歳くらいのときに思ってましたから。若い頃は反発があったと思うんです。だったらもう、逆に若者を目の敵にしてやろうかなと思うくらい(笑)。その方がまだ正直かなと思いますけど。でも、それでもやっぱり普遍的なもの、時代に関係なくあるもの、今流行っているからっていうんじゃないものってあると思うんですよね。いつ見てもいいものはいいじゃないですか。今、例として挙げると、『キッズ・リターン』しか思いつかないんですけど。たけしさん(北野武)があの映画を監督したとき、今の僕より若い年齢だったでしょうが、中年だったとは思うんです。でも、当時見てもよかったし、今見てもいいし、多分今の若者が見てもいいと思うと思うんです。僕自身は、若者と何かを共有しようとはあんまり思わなくなりましたけど、若い人に演劇を観に来て欲しい。これは本当に何とかした方がいいような気がしてます。若い人は演劇を観に来ない問題を何とかしたいですね。

宮藤官九郎

ーー由々しき問題ですよね。

年齢制限を設けたらいいのかな。映画と逆のパターンで、高くしていくとか。夫婦で50歳過ぎたら倍払わないといけないみたいな(笑)。やっぱりちょっと、自分が若いときに下北沢で観ていた演劇って、安かったですね。安いものに人生を狂わされてますからね、僕(苦笑)。安いものの方が人の人生を狂わせるような気がするんですよ、何か。そういう意味では、今回の作品も、ちょっとそういうパワーがあるような気がするんです。だから、若い人に観に来て欲しいなって。

でも今、若い人がおもしろいことやろうとか、ちょっと人と違ったことやろうと思ったときに、演劇をやろうと思わないですよね。それが一番問題だと思います。僕も今20歳だったらYouTubeやりますよ。僕のときは小劇場しかなかったから。手っ取り早く人前に立って何か表現できるのは小劇場だと思ったし、実際そうだった。昨日までその辺で遊んでた人たちが舞台に立てるっていうのがおもしろかったのに、今、演劇自体の敷居がどんどん高くなっていくし、それなのに簡単に自分を表現できるものがどんどん増えてきちゃって、わざわざ演劇やろうっていう若い人がいないというか。お客さんもある程度お金もってる人じゃないと観に来られないし、こっちもこっちである程度お金もらわないとできないっていう、ちょっと簡単には変えられないところですよね。チケットが高いと、出演者……ちゃんとした芸能事務所に入ってる若いイケメンの役者じゃないとまずいですもんね(笑)?。僕らみたいな野良の役者みたいな(笑)、その辺歩いてたようなのがいきなり主役で駅前劇場に立ったりとかっていうことは、もう起こらないですよね、きっと。それは残念だけど、そうやって変わっていくものなんだなって思います。我々世代はぎりぎりそういうことが起こってたから。例えば、20年前は、初舞台がシアターコクーンです、という役者がいた。大人計画がシアターコクーンでやるようになった頃にたまたま入った若手とか、役者じゃないのにコクーンに立ったり、PARCO劇場に立ったりっていうことがあったけど、多分もうないだろうという感じがあります。そうするとやっぱり、若者の中で、テレビとか映画とかに出ないで、舞台をやっていて、めちゃくちゃカリスマ性があって、人気者っていう人が出てこない限り、若者はなかなかお芝居を観ないんじゃないかなと思いますけどね。もったいないですけど。だから、ヤング券(U-25チケット)みたいに、若い人にチケットを安く出しているということを、もっとみんなにちゃんとお知らせした方がいいですよね。チケット一万円以上するのか、と思われたら。いやいや、数には限りはあるけど、25歳以下はこんなに安いですよという。もっと知られていったらいいですよね、せめて。

今回のテーマって、「生きてるっていうことでもういいじゃん」ということなんですよ。お芝居の中のセリフなんであんまり言っちゃうと恥ずかしいんですけど、生きてることがもう特別っていう。物語の設定が、東京の人口が戦争で100人中99人が死んじゃって、そんな中、生き残った人たちの話。生き残っている人たちがそれでみんなホームレスで、生きていくだけで精いっぱい。未来が見えるという予知能力があるけれども、屁が出ちゃうからそれを封印しているとか、ものすごく哀しい人たちの話なんです。だけど、最終的には、生きてるっていうことでもう、それがすばらしいじゃないかという。それが全てで本当にそれしかないんですよ、テーマが。生きてるっていうことを肯定するっていう話なんです。今、すごく世知辛いじゃないですか、世の中が。オリンピックやるって言ったら「やめるって言えないからやるのかよ」と言われ、聖火リレーを断ったら断ったで「断るのかよ」と言われ、走ったら走ったで「走るのかよ」と言われるし。何やっても何か人に言われるっていう。誰かが何か言ったやつをリツイートしたらみんなに広まるみたいな。何かもう、みんなでみんなを監視しているみたいなのが、本当に世知辛いですよね。わけわかんない芝居だったけどみんな生きてたじゃんみたいな、それでいいじゃんみたいな、書いているうちにどんどんそんな気持ちになってきちゃって。言ったら、書いたけど上演することすらできないお芝居だってありますから。みんな、この一年くらい、本当にやるのかなと言いながら何とかやってる。というところで、やっぱり、やれるとなると、ちょっとどうしても影響されちゃいますね。楽しいものが観たいというのと、お客さんをいっぱい笑わせたいというのと、最終的に、生きててよかったっていうことを実感しに来てくれればいいなって思います。

宮藤官九郎

スタイリスト:チヨ(コラソン)

取材・文=藤本真由(舞台評論家)  撮影=iwa

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