「AIネイティブ企業」を目指すメルカリの覚悟。CTO直轄の専任部隊がリードした生成AI導入の全容
「社内AIツール利用率95%・プロダクト開発におけるAI生成コード比率70%・開発量64%増」
2025年8月、メルカリが公表した決算資料には、そんなインパクトある数字が並んだ。組織全体で生成AIを活用し、業務プロセスを“AI前提”で再設計していく取り組み。そのスケール感と実行力に、業界内外から大きな注目が集まっている。
メルカリ社のAI活用率95%、加速すべきは人員整理ではなく「業務の再定義」type.jp
だが、そこに至るまでの道のりは、決して平坦ではなかった。
「2024年末の時点で業務で生成AIを積極的に使っていたのは、私の体感としては社内の2割くらいでした」そう語るのは、メルカリの生成AI活用を社内で推進してきたエンジニア・Kuuさんこと久米史也さん。
その状態から、全社レベルの活用へとつなげていったのか。メルカリがAIネイティブな会社へと進化していった歩みに注目してみよう。
株式会社メルカリ
ソフトウエアエンジニア
久米史也さん|Kuuさん(@Fumiya_Kume)
2020年4月にメルカリに入社。モバイルアプリ開発やSREなどを経て、現在は生成AIの社内活用を推進するチーム・AI Task Forceの一員として、技術面・組織面の両側面から「AIネイティブな会社づくり」をリードしている。DevRelやエンジニアコミュニティへの関心も高く、技術イベントへの登壇や外部発信にも積極的に取り組んでいる
目次
尻込みムードを一変させたCEOの「AIネイティブ宣言」仕組みと空気作りの両輪で、AIの民主化を推進社内AI利用率95%に到達。AIを「使う」から「共に働く」へ
尻込みムードを一変させたCEOの「AIネイティブ宣言」
メルカリは、比較的早い段階からAI活用に取り組んできた企業だ。2017年にはAI専任チームが立ち上がり、不正検知や検索最適化など、各プロダクトで機械学習を活用してきた実績がある。
しかし「社内の誰もがAIを日常的に業務で使いこなしていたか」と問われると、話は別だ。Kuuさんは、AI活用が広がっていなかった背景をこう振り返る。
「24年の終わり頃までは、生成AIを本格的に使っていたのは私の体感では全体の2割ほどでした。積極的なのはアーリーアダプター層に限られていて、それ以外は『興味はあるけど様子見』という雰囲気。使いたい人とそうでない人に温度差がありました。
例えば、『以前Copilotを試したけどイマイチだった』という体験が尾を引き、生成AIにあまり期待していないエンジニアが多かった印象です。忙しさのあまり、生成AIに触れる余裕がないといったケースも目立ち、『面白そうだけど後回しにしよう』と、先送りにする状態が続いていました」
加えて、セキュリティーや情報管理上の制約もあった。外部ツールの利用には申請や審査が必要で、APIの使用や社内データの扱いにも慎重な姿勢が求められる。メルカリのような上場企業ではなおのことだ。
こうした「試してみたいけど動けない」状況を打破する転換点となったのが、25年初頭にCEO・山田 進太郎さんが打ち出した「AIネイティブカンパニー」宣言だ。
「個人の効率化にとどまらず、AIを前提に会社そのものを再設計する。経営層からそんなメッセージが出たことで、社内の空気が一変しました。
それまでは、多くの社員にとってAIは便利なツールの一つにすぎませんでしたが、その瞬間から『自分たちの業務や組織をどうAI時代に合わせて変えていくか』を真剣に考えるようになったのです」
仕組みと空気作りの両輪で、AIの民主化を推進
山田さんの宣言を機に立ち上がったのが、CTO直轄の横断組織「AI Task Force」だ。開発部門だけでなく、カスタマーサポートや法務、コーポレート部門など、全社から約100名が参加し、「メルカリをAIネイティブな会社にする」という目標のもとに活動が始まった。
「目指したのは、AIを一部の人が工夫して使っている状態ではなくて、誰もが自然に使っている状態です。ですが、セキュリティーやプライバシーの問題がクリアになっていないと、いくら便利でも手が出せません。
そのためまずは、セキュリティーチームやインフラチームと連携して、安全に使える基盤を作るところから始めました。LiteLLMをプロキシとして挟むことで、APIの利用を可視化・制御できるようにしたり、監査ログをちゃんと残せるようにしたり。情報管理の観点からも『これなら使って大丈夫』と思ってもらえる状態を意識しました」
さらに社内ツールについては、アカウントの自動発行やワンクリック導入を可能にする仕組みを導入。申請や登録といった手間をなくし、社員が「使ってみたい」と思った瞬間に試せる状態を用意した。
ただし、仕組みを整えるだけでは全社的な活用にはつながらない。そこでTask Forceは、「空気づくり」の部分にも力を入れた。
「Slackには、ChatGPTやDevinなどツールごとの専用チャンネルを用意しました。初歩的な質問でも投げやすいように意識して運営し、社内LTやハンズオン会、社外向けのMeetupや勉強会も定期的に開いて、とりあえず触ってみるきっかけを増やしました」
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社内AI利用率95%に到達。AIを「使う」から「共に働く」へ
AI Task Forceの活動を通じて、メルカリではAI活用が一気に加速。その成果は、具体的なプロダクトや仕組みにも表れている。
例えば、自己評価の文章作成を支援する「セルフレビュー支援ツール」は、社内での実務負荷を大きく軽減したプロダクトの一つだ。
「もともと社内では『レビューが苦手』『何を書けばいいかわからない』という声が多く上がっていたんです。そこで過去の評価文などをもとに、AIが草案を生成するツールを作ったところ、業務の心理的負荷が減ったという声が多くありました。こうした小さな業務体験の改善が、AI定着の第一歩になったと感じています」
もう一つ、社内のAI活用を一気に広げたのが、チャットを通じて各種AIツールへつなぐ“AI社員”こと「Hisashi」の存在だ。
「Hisashiはユーザーの意図を受け取り、目的に合ったAIエージェントへつなぐ窓口としての役割を担っています。特定のツールを使いこなすための知識がなくても、Hisashiに話しかけるだけで必要なエージェントにアクセスできる。登録や設定もHisashi側で自動化されています。
AIツールが社内に増えて『どれを使えばいいか分からない』という声が出るようになったので、『Hisashiに聞けばなんとかしてくれる』状態を目指しました」
こうした地道な取り組みの積み重ねは、明確な成果となって表れている。25年6月期の通期決算において、メルカリが発表した社内指標は以下の通りだ。
◎社員のAIツール利用率:95%
◎プロダクト開発におけるAI生成コード比率:70%
◎エンジニア1人あたりの開発量:前年比+64%
「最近はもう、『AI使ってる?』と聞くシーンはほとんどありません。むしろ『この業務、AIでどう進めるのが効率的?』という話になってきています。エンジニアだけじゃなくて、法務や広報、カスタマーサポートでも同じように、AIを前提とした考え方が浸透し始めている状況です。
今後、さらにAIが業務に深く入り込んでいく中では、AIを使っているという意識すらない状態が理想だと思っています。Hisashiのような共通の窓口があることで、裏側で複雑な仕組みが動いていたとしても、ユーザーはシンプルに問い合わせるだけで目的が果たせますよね。そんな体験が求められていくはずです」
メルカリがこの1年で取り組んできたのは、ツールの導入にとどまらず、組織全体の働き方をAI時代にあわせて捉え直すことだった。今では「AIをどう使うか」ではなく、「AIとともにどう働くか」がメルカリの共通言語になりつつある。
人が判断し、創造する余白を最大化するために、AIは何ができるか。それを実装し続ける営みこそが、メルカリが目指すAIネイティブ戦略だ。
取材・文/今中康達(編集部)