【第175回直木賞候補作品から(3)蝉谷めぐ実さん作『見えるか保己一』】目の見えない天才国学者、塙保己一。上り詰める彼に、「見えていた」ものとは何か
静岡県のアートやカルチャーに関するコラム。7月15日発表の第175回直木賞の候補作品を紹介する不定期連載第3回。蝉谷めぐ実さん作『見えるか保己一』(KADOKAWA)を題材に。
(文=高度専門記者兼論説委員・橋爪充、写真=写真部・久保田竜平)
塙保己一(はなわ・ほきいち)は江戸時代後期の盲目の国学者。当時の百科事典とも言うべき大文献集『群書類従』の編纂で知られる。塙保己一史料館(東京都渋谷区)のウェブサイトによると収録文献数は1277種、これを25部門に分類して総冊数665冊、目録1冊の合計666冊からなるそうだ。版木枚数は1万7224枚、両面刻だから約3万4000ページ分に相当する。
目が見えない保己一がこの大事業を成し遂げることができたのは、彼が驚異的な暗記力の持ち主だったことによる。『見えるか保己一』には、あらゆる書物の内容を1回の読み聞かせで完璧に記憶する姿が描かれる。彼の頭の中には無数のたんすがあって、聞き取った言葉は全て、分類され、引き出しにしまわれる。
毎日、頭の中に拵(こしら)えた箪笥(たんす)の手入れを欠かさない。聞いた言葉を頭骨の上に広げて仕分けて抽斗(ひきだし)を開け、言葉と言葉を継ぎ接(は)ぎ、糸で繋ぎ合わせる。(71ページ)
『見えるか保己一』は語り手を変えながら、彼の人生をたどる。武蔵国(今の埼玉県)の山村生まれの「神童」が、商人に手を引かれて江戸に入り、紆余(うよ)曲折の末、学者として大成する。
一見、立身出世物語である。確かにそういう話ではある。己の才覚で「盲(めしい)」というハンディキャップを乗り越えていく保己一は「立派な人」であることに間違いない。
だが、本作のとある章で、そうした「像」は打ち砕かれる。保己一は単なる偉人ではない。多くの人から信頼を勝ち得た自分の姿を、本人はどう捉えていたのか。「見えない」立場の保己一の自己認識は、本作の一つのテーマだ。
視覚障害者「盲」と健常者「目明き」の「見えているもの」の違いは、互いの歩み寄りで埋め合わせることができるのか。蝉谷さんの語り口は、両者の立場を巧みに行ったり来たりする。保己一は当然、何も見えていない。しかし、人並み外れた洞察力で健常者には察知できないことが「見えて」いたりもする。このはざまで起こっていることが、物語のキモである。ゆえに、謎解きミステリーのような高揚感がある。
見せ物小屋の身体障害者による演目と、それが幕府によって禁じられるくだりが印象的だ。
物語の最終盤にこんな話がある。老いた保己一は、鍼灸やマッサージを修業していた時代の先輩と、見せ物小屋を訪れる。かつては両手のない者が弓を引いたりしていたその場所は法規制の結果、体の不自由な人が一掃されていた。
「見せ物小屋で見せ物振る舞いをする必要がなくなった喜ばしい日」という保己一に先輩は言う。「喜ばしい?」「そんなわけがないではないですか」
1960~1980年代にお茶の間で人気を博していた「ミゼットプロレス」を思い出した。低身長のプロレスラーたちによるコミカルな試合は、特に女子プロレス興行には欠かすことができなかった。ミゼットレスラーたちは、テレビのバラエティー番組でも活躍した。
ただ、「身体障害者を見せ物にするのはけしからん」といった声が局に届き、彼らはテレビから消えた。「良識」を振りかざす視聴者の声が、彼らの職場を奪った。
同じことが本作でも起こっている。現代風に言うのであれば「インクルーシブ」の陥穽と言うべきか。「俺だけはお前に真実を言う」とするとある人物の歯に衣着せぬ言葉が、保己一のみならず読む者をも撃つ。蝉谷さんの仕込んだ「弾丸」である。