伝統工芸 駿河塗下駄のお噺し
2024年7月21日放送の「静岡市歴史めぐりまち噺し」。今日は、伝統工芸 駿河塗下駄のお噺しです。
語り:春風亭昇太
江戸時代、東海道を行き来する人や物の流れによって 駿府には、各地の流行が伝わってきました。
流行を取り入れて様々な履物が駿府で作られ、その中から漆器の技法を生かした駿河塗下駄が生まれました。
江戸時代から簡単に漆を施した塗下駄が作られていましたが、本格的な塗下駄が誕生したのは明治中期とされています。
家業を継いだ下駄職人本間久次郎は、消耗品としての下駄作りに疑問を感じ、試行錯誤の末、 漆塗りを施した高級塗下駄を作り上げました。
東京に出荷された久次郎の下駄は 「下駄久(げたきゅう)」の通称で人気になりました。 久次郎の功績で誕生した駿河塗下駄は、 多くの職人に作られるようになり、 清水の下駄問屋「三島屋」が各地に出荷したことで 全国に流行が広がりました。
特に、漆や蒔絵で絵柄を施した女性用下駄を 日本で初めて売り出したのが三島屋だったとされています。
駿河塗下駄は、地元の安倍杉材を使い、 各工程を分業することで量産が図られ、その圧倒的な生産量と技術力から、 大正時代には「塗下駄いえば静岡」といわれるほど になりました。
第1次世界大戦後には輸出が不振となった駿河漆器の職人たちが 塗下駄を作るようになり、趣向を凝らした製品作りを競って 発展を後押ししました。
現在、伝統工芸の優秀な職人として認められた静岡市伝統工芸技術秀士に駿河塗下駄職人が指定され、 産業の発展と技術の継承を担っています。
静岡市歴史めぐりまち噺し今日のお噺しはこれにて。<!-- tag:伝統工芸/area:静岡市葵区 -->