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北海道と東京の二拠点生活で、大切な感覚を磨き続ける吉岡芽映さん

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北海道と東京の二拠点生活で、大切な感覚を磨き続ける吉岡芽映さん

きっかけは、北海道・下川町に仕事で訪れたときに見た、窓から広がる雪景色。「私がしたい暮らしは、これかもしれない」。そんな思いから始まった、デザイナーであり書家の『日芽』・吉岡芽映さんの、下川町と東京の二拠点生活とは。

最近よく使用しているという刷毛に墨をつけ、呼吸を整え、紙へと向かう吉岡さん。

二拠点生活を始めて4年目。北海道・下川町にある吉岡芽映さんの家を見渡すと、何を大切にして、どういう暮らしをしたいかが伝わってくる。厳選された生活の道具、本や写真集が、植物とともに整然と並ぶ台所と一間続きのリビング。薄いカーテンで区切られた隣の部屋には、アートディレクションや、ロゴ、パッケージのデザインの仕事をするためのパソコンがデスクの上に置かれ、畳の上にはいつでも字が書けるよう、紙、筆、墨がスタンバイしている。デザイナーとして働く吉岡さんは、書家としての顔ももっているのだ。

最初の2年間はお金や時間のやりくりが難しくて、「どうしてこんなに大変なことをやっているんだろう」と思ったこともあった。それでも、東京と下川町を行き来して生活をしていたからこそ、仕事の幅を広げながら、自分が大切にしたいことがわかり、そのための時間や空間をもつことができたという。

北海道・下川町の家に暮らすようになって、真っ先につくった書室。自然光のもと、のびやかに創作活動ができる。

日常の中で見つけた、ローカル暮らしのおもしろさ。

出身は下川町から車で約40分の士別市上士別町。生まれ育ったその場所が「田舎すぎて好きではなかった」と感じていたこともあって、若い頃の吉岡さんにローカルへの関心はほとんどなかった。

高校の書道部で書のおもしろさに触れたことで、書道学科のある東京の大学に進学。在学中に頼まれてつくった部活のポスターをきっかけにデザインに興味をもち、卒業後、アルバイト先の焼き肉店やカフェなどのチラシ作成をしながら、フリーランスのデザイナーの道へ。2018年、27歳のときにユニットとしてスタートした、「つちめい飯」(現在は活動停止)という料理や生活のインスタグラムで発信すると、ライブ感のある写真に吉岡さんの手描き文字がデザインされた画像が好評となり、フォロワー数がどんどん増えた。それを見た広告代理店からの依頼で、企業のSNS発信のアートディレクションの仕事を受けるように。

ローカルに目を向けるようになったのは、フリーランスとして活躍する同世代との出会いから。2018年秋、デザイナー、カメラマン、エンジニア、ディレクターなどからなる「hyphen」という6人組のユニットを結成。観光と暮らしの間を探るというコンセプトで青森県十和田市に1か月間ほど滞在して、十和田での暮らしをインスタグラムで発信した。吉岡さんは「みんなで一緒に生活をして、創作をし、発信することが新鮮でおもしろかったんです」と振り返る。

翌年2月には下川町での暮らしも実施。十和田市での発信をきっかけに、まちの魅力を発信するタウンプロモーションの仕事として「hyphen」で受けたのだ。

1か月滞在した吉岡さんが感じたのは「田舎だけど、意外と開けている場所だな」ということ。地元にいたときは閉鎖的な感じがしたけれど、人との距離がちょうどよかったり、移住者がいたり、風通しのよさも心地よかったという。

上段右/旭川空港から車で約2時間。北海道北部にある下川町。人口は約3000人。上段左・中段右/名寄川沿いが定番の散歩コース。パソコンを見たくないときや、仕事終わりにぶらーっと散歩することが多いとか。中段右から2番目/十和田市での暮らしの魅力を形にした雑誌『hyphen』。中段左側/下川町で愛されている喫茶店『アポロ』は、吉岡さんが昼も夜もよく行くお店。昼によく食べるエビのペペロンチーノ。下段右/吉岡さんの家のリビング。棚を自作したり、壁を塗ったり、好きな暮らしを実現している。下段左/書室の一角にある作業机では、パソコンでデザイン仕事も行う。

そのときの滞在で、宿泊施設の窓から広がる雪景色を眺めていたら「私がしたい暮らしは、これかもしれない。ここで字が書きたい」とぼんやり思ったことをきっかけに、仕事を終えて東京に戻ったあと、下川町のタウンプロモーション推進部が実施する1泊2日のツアーに2回参加した。仕事は東京ですると決めていたから完全移住は考えていなかった。なんとなく二拠点居住を探りながら「よさそうな空き物件があったら連絡ください」と担当者に伝えたところ、今住んでいる一軒家の写真が送られてきた。初期費用なし、月額3万3000円。値段を聞いて「安い。借ります」と即決した。当時、東京のシェアハウスに住んでいたため、「これで自分の城がもてる」という気持ちもあった。

二拠点を行き来するなかで、日常の機微の大切さに気づく。

「2020年9月、二拠点生活を始めたとき、東京ではバリバリと仕事をやって、下川町ではストイックに書をやろうと考えていました。毎日20時間くらい書きまくって個展をやって、3年で立派な書家として花を咲かせよう。そんな思いで始めましたが、実際にやってみるとそうはならなかった。壁のペンキを塗ったり、本棚をつくったり、暮らすことが楽しくなっちゃって」と振り返る吉岡さんの表情は晴れ晴れしている。

お金や移動頻度のバランスも難しく、1か月に3往復したり、東京の家の電気の支払いを忘れて止まってしまったり、最初の1年半はバタバタだった。「いつも愚痴ってばかりでした(笑)。でも、下川町で過ごしているふとした瞬間、たとえばコーヒーを淹れているときに、窓から差し込む光がきれいだなと思ったり、夜、酔っ払って帰ってきたあと、ひとりで思いのままに字を書いている時間にかけがえのなさを感じたり。すべての音を吸収する雪の静けさとか、夏の夜の匂いとか、そういう日常の小さな機微を大切に思っているんだということに気づけたんです」。

とはいえ、東京での生活も絶対に必要なもの。仕事に邁進するとともに、展示や催しに行ってインプットをする。チームとして仕事をする同世代のスタイリストやカメラマンたちのレベルの高さを感じ、自分もがんばろうという刺激になる。

下川町での仕事もだんだんと増えてきた。最初はイベントのポスターやチラシだったのが、ビールなどプロダクトのパッケージデザインも頼まれるようになった。「規模が大きくなってきたこともあり、自分の技術をもっとあげなきゃなと思っています。そうでないと、下川町の制作物のクオリティが下がってしまうから」と自戒を込めた面持ちで語る。

上段/『TODA農房』のイチゴのパッケージとアートディレクションも吉岡さんによるもの。右下/下川手延素麺「珊瑠の糸」のパッケージデザインを担当。左下/今年2月にリリースされたばかりの、下川町で醸造されているクラフトビール『しもかわ森のブルワリー』のパッケージデザインを担当。
上段/下川町で100年以上続く、老舗温泉施設『五味温泉』の暖簾に使われる文字を制作。右下/下川町で行われたイベントや観光協会の冊子やポスターを作成。左下/町内にある『ケータのケータリング』のお店のロゴを制作。町なかでも吉岡さんが手がけたものを見ることができる。

「環境を変えたからといって、デザインや書道が上達するわけでも、ストイックな行動ができるわけでもなかった。でも、東京にいても下川にいても、生活の中での機微を見つけることが心の豊かさにつながっているとともに、生活の延長でやりたいことができる環境にいることで自分らしくいられることがわかりました。これは両方で暮らしていたから気づけたことなのだと思っています」

今年の夏には下川町の家を購入するが、心持ちとしては「年間費用が少し安くなるな」程度。今後も、暮らしの選択肢を探し続けるという吉岡さんだけれども、「周りの人の存在があってこそ、この暮らしが成り立っているんですよね」とぽつりとつぶやく。隣の人が回覧板を回してくれたり、玄関前を除雪してくれたり、クライアントが撮影日をずらしてくれたり。そうしたことへの感謝の気持ちも、暮らしの中の機微とともに吉岡さんの心に刻まれていく。

すぐに字が書けるようにとあえて片付けていない書室。「生活の中にそうした空間があることでやりたいことが無理なくできるんです」。
左/最近書いたひらがなの習作。右/インスタグラム(@cagadesign)に下川町で東京での仕事歴を掲載。日常の小さな機微を大切にしたいという思いで2022年より『日芽』という屋号で活動。

『日芽』・吉岡芽映さんの、移住にまつわる学びのコンテンツ。

Book:travelling tree
茂木綾子著、赤々舎刊
茂木綾子さんの12年間のヨーロッパ生活で撮られた写真集。茂木さんの写真とはとらえたいものが違うかもしれませんが、私も4年前から日常を撮るようになり、残しておきたい風景や忘れたくない時間に繊細であり続けたいと思いました。

Book:舞妓さんちのまかないさん
小山愛子著、小学館刊
青森県からやってきた16歳の少女が、京都の舞妓さんのためにつくる毎日のごはんを通して人間模様を描いたコミック。生活の中に小さな喜びを見い出していき、「冬の台所は寒い」というような何気ない描写に共感しています。

Tour:しもかわちょっと暮らし体験【移住検討者向け】
下川町や北海道への移住を検討する人を案内してくれるツアー。下川町のタウンプロモーション推進部が主催していて、個人の希望でプランを提案してくれます。私も二拠点を検討したとき、もっと町のことを知りたいと思って参加しました。

photographs by Ryugo Saito text by Kaya Okada

記事は雑誌ソトコト2024年5月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

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