静岡病院のお噺し
2024年6月23日放送の「静岡市歴史めぐりまち噺し」、今日は、静岡病院を訪ねます。
語り:春風亭昇太
徳川慶喜による大政奉還ののち、明治元年、徳川家を継承した徳川家達は、駿府藩主となり徳川家の家臣たちとともに駿府に移住しました。
その中には、優れた侍医たちも含まれ、そのひとりが蘭方医だった林研海でした。
明治2年2月、藩立駿府病院が設立されると、林は初代病院長に就任しました。その年の6月、藩の名前が駿府から静岡に変わり、病院も藩立静岡病院となりました。
明治4年、初代病院長の林が静岡を離れ、その翌年に廃藩置県が行われたことを機に静岡病院は一旦廃院となりますが、明治9年に屋形町に場所を移して公立静岡病院が開院。
静岡市が誕生したのち、明治38年に静岡市立静岡病院と改称されました。屋形町の静岡病院は70年に渡って医療に貢献しましたが、昭和20年6月太平洋戦争中の静岡大空襲によって焼失してしまいました。
戦後、現在ある追手町に静岡病院が再建され、空襲の炎から患者たちを守ろうとして殉職した8名の看護師たちの慰霊碑も建てられました。
毎年、静岡大空襲のあった6月に慰霊式が行われ、継灯式で先輩たちの志と静岡病院のあかりを守り続ける決意が新人看護師へと受け継がれています。
平成28年に静岡市立静岡病院は地方独立行政法人に移行。「ことわらない救急」を目指して静岡市の救急医療を支え、ハートセンターでは専門性の高い先進的な心疾患医療を提供しています。
新型コロナウィルスの感染拡大に際しても、静岡病院は率先して重症患者を受け入れ、静岡の医療を支え続けました。
静岡市歴史めぐりまち噺し今日のお噺しはこれにて。<!-- tag:/area:静岡市葵区 -->