宮益御嶽神社参拝【駅ぶら】06京王電鉄373 井の頭線04
※2024年1月撮影
トップ画像は渋谷宮益坂の下、渋谷区教育委員会の標識「宮益坂」があります。20年前、標識は木製でした。かつて毎日歩いた通勤路です。
記載の説明内容は以下です。
「かつて、富士見坂とも呼ばれたこの坂一帯は、古くから矢倉沢往還(大山道)として江戸の町と郊外農村との接続点でありました。御嶽権現の門前であったことから、宮益町と称していたので、宮益坂と呼ばれるようになりました。」
渋谷に高い建物がなかった時代には、この坂から富士山が見えたのでしょう。
坂の途中、北側に「宮益御嶽神社」があります。
※2024年1月撮影
50段余の階段を上りました。
※2024年1月撮影
「宮益御嶽神社」は(以下宮益御嶽神社頒布の小冊子典拠)室町時代初期(1400年頃)に創設と伝わります。元亀年間(1570~72年)甲府武田家の陪臣石田勘解由茂昌という武士の所持していた尊像を神社に合祀。その後石田氏の子孫が当地に居住、延宝9年不動尊石像、庚申石像、勢至菩薩石像を建立。鎮守の御嶽神社があったことから元禄13年(1700年)※当地は渋谷新町から宮益町に改称されています。
※渋谷区教育委員会の標識では正徳三年(1713)
宮益坂は明治41年(1908年)の道路改正以前は狭い坂道に石を敷き丸太で滑り止めをした急坂で江戸時代から相模街道の難所の一つでした。
しかし昭和20(1945年)年5月神社は戦禍で被災、社殿社務所・神楽殿・御神輿・獅子頭などを焼失。
昭和55年(1980年)4月渋谷商工会館併設の神社復興計画で鉄筋コンクリートの社殿が建立されました。
神社のサイトもあります。二の鳥居をくぐります。
※2024年1月撮影
感染症対策で手水舎は使用できません。いつもの様に持参のミネラルウォーターで形ばかりですが手口を浄めます。
※2024年1月撮影
「宮益不動尊」の扁額がかかっています。境内社でしょうか。
※2024年1月撮影
三の鳥居があります。横の窓口で「宮益御嶽神社」の小冊子(頒布価格100円)がいただけます。
※2024年1月撮影
神様にご挨拶します。御祭神は、日本武尊、秋葉ノ神、大国主神、菅原ノ神。
※2024年1月撮影
社殿横に、戦禍により仮社殿だった神社を渋谷区商工会館と併設で完成させた小林總一郎氏を記念する石碑と砲弾型の石塔。
※2024年1月撮影
砲弾型石塔は明治37・8年(1904・5年)の日露戦争記念碑。戦禍で被災し取り壊されたそうですがこの部分はオリジナルでは?
※2024年1月撮影
これが頒布価格100円の小冊子。42ページもあって内容は充実しています。
※2024年1月撮影
次回も宮益坂を上ります。
(写真・文/住田至朗)
※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。
※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。
※参照資料
・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)
・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他
下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました
・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)
・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)