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野瀬泰申の「青森しあわせ紀行 その6②」

まるごと青森

野瀬泰申の「青森しあわせ紀行 その6②」

お庭えんぶり

2024年2月17日(土)

日が暮れてから、お庭えんぶりの会場となっている「更上閣」に足を運んだ。この建物は豪商の邸宅として明治30年ごろに建てられた。敷地面積1141坪、母屋は木造平屋一部2階建てで、建物面積128坪を誇る。国の登録有形文化財だ。築山を背にした広い庭があって、かがり火が焚かれている。そこがえんぶりの舞台になる。

庭に面した座敷の障子が取り払われ座布団が敷かれている。観客が敷き詰められた座布団を埋め、料金に含まれる甘酒とせんべい汁で暖を取りながら開演を待つ。いくつかのストーブが置かれているものの、寒気が袖口から忍び込んでくる。それでもコロナ禍を経て4年ぶりの通常開催となった今年、しわぶきひとつない客席からは期待の高まりが伝わってくる。

ホテルでもらったチラシには、えんぶり組の名前の最後に(ド)と(ナ)の記号があり、何のことかと思っていたが、会場で配られたパンフレットを読んで「どうさいえんぶり」と「ながえんぶり」の2種があることを知った。記号はそのことを指していた。

南部弁まじりの解説の後、美しい模様が描かれた烏帽子(えぼし)を頭に頂いた3人の太夫が登場した。この組はどうさいえんぶりなので、ながえんぶりより動きが激しい。そろって頭を振るたびに烏帽子の模様がかがり火にきらりと光る。足が地を擦るかすかな音が、奥から流れてくる笛の音のまにまに聞こえてくる。太夫たちの複雑な舞や所作を言葉にするのは難しいが、一分の隙もない様式美にはただただ驚かされる。このように完成された民俗芸能が果たしてほかにあるだろうか。

子どもたちによる祝福芸、南京玉すだれ、金輪を使った手品なども披露され、一幕のショーを堪能した。座敷の最奥でそれを観ながら私は南部と馬のことを考えていた。

えんぶりは田を均す農具の「えぶり」に由来するとされ、舞は苗代づくりから田植えを終えるまでを表現している。西日本では牛だが、東日本、特に東北では馬が農事に欠かせない。太夫の烏帽子は馬の頭を象り、パンフレットには「タテガミにあたる部分に五色の厚紙が貼り並べられています。ここが田の神様のより代といわれています」とある。掲載されているえんぶりの歌詞を読むと「代(田んぼ)を掻くには白の馬。婿にさいせん(馬を操るための棒)を取らせて。花の小脇は馬を呼ぶ」「門の曲師(馬の蹄鉄を作る鍛冶屋)は良い曲師。入れてこじた(蹄鉄)を叩いた」と、人々と共に生き、働く馬を描いている。

そこで思い浮かぶのが「駒の町」を名乗る十和田市の風景だ。桜の名所として知られる官庁街通りにはあちこちに馬の像が置かれ、蹄鉄など馬にまつわるものをモチーフにした造形物が沿道を彩っている。流鏑馬が盛んで、流鏑馬の騎手を育てる乗馬クラブもある。馬事公苑では乗馬体験ができる。

十和田を含む南部地方は平安の昔から名馬の産地として知られ「南部馬」は大きく力強い馬の代名詞になっていた。北の民が馬を朝廷に献上する場面を小説で読んだことがある。平安時代初期に北の民を率い朝廷軍と戦った阿弖流為(あてるい)の生涯を描いた高橋克彦の「火怨」だったろうか。時代が下って武士が登場すると南部馬は戦場で重用される。その頑丈さは農耕馬、駄馬としての価値も高かった。いまの十和田の地で馬市が初めて開かれたのが文久3(1863)年。以来毎年、馬セリで賑わった。

明治になって富国強兵の掛け声とともに軍馬の需要が高まり、明治18(1885)年に馬政局青森出張所(後の軍馬補充部三本木支部)が置かれると産馬熱が沸騰する。高値で買い取られる軍馬で終戦まで町は潤い、いまの十和田の礎を築くことになる。

市役所や市民病院、図書館などが立ち並ぶ官庁街通りは別名「駒街道」。軍馬補充部に至る道だった。通り沿いに軍馬補充部があったことを記す石碑がある。

いつの間にか十和田に話柄が移ったが、八戸のえんぶりは南部と馬の深い関わりを記録する芸能であり、南部一帯に点在した馬産地をしのぶよすがでもある。

八戸と馬で言えば、明治末から大正末にかけて鮫町に八戸競馬場があり、その後町中の根城に移転し戦後の昭和26年まで開催したものの、売り上げ不振で廃止になっている。

野瀬泰申(のせ・やすのぶ)
<略歴>
1951年、福岡県生まれ。食文化研究家。元日本経済新聞特任編集委員。著書に「天ぷらにソースをかけますか?」(ちくま文庫)、「食品サンプルの誕生」(同)、「文学ご馳走帖」(幻冬舎新書)など。

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