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今の日本にも重なるブレヒト作品『セツアンの善人』に初挑戦、葵わかな・木村達成・白井晃(演出)に聞く

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(左から)白井晃、葵わかな、木村達成

『セツアンの善人』が2024年10月16日~11月4日、世田谷パブリックシアターで上演される。演出は同劇場の芸術監督を務める白井晃が行なう。

『セツアンの善人』は“20世紀最大の劇作家”と呼ばれるドイツ出身のベルトルト・ブレヒトが、第二次世界大戦中に亡命先で執筆。1943年のスイス初演以来、世界各国で上演され続けてきた名作だ。ブレヒトから大きな影響を受けていると公言する白井は、これまでにも『三文オペラ』(2007年に演出、2018年に出演)、『マハゴニー市の興亡』(2016年に演出・上演台本・訳詞)、『Mann ist Mann』(2019年に企画監修)、『アルトゥロ・ウイの興隆』(2020年、2021年に演出)といった数々のブレヒト作品に係わってきている。そして今回、満を持して、彼の“念願”だったという『セツアンの善人』を初演出するに至った。その上演にあたり、ドイツ文学者の酒寄進一が新訳を手がけた。

本作は、地上に降りてきた神様が善人を探すところから物語が始まる寓意劇。貧民窟に暮らす心優しき娼婦のシェン・テは神様から善人と認められ、褒美として得た大金で商売を始めるが、お人好し過ぎるために居候が増える一方。さらに、偶然出会い恋に落ちた元飛行士のヤン・スンを助けようとして金を工面するなど、金は出て行くばかり。そこでシェン・テは男装し、冷酷にビジネスに徹する従兄弟シュイ・タとして立ち回ることにするのだが……。

この一人二役となるシェン・テとシュイ・タを、白井と初顔合わせの葵わかなが演じる。そして、白井演出は3度目となる木村達成がヤン・スンを演じるほか、渡部豪太、七瀬なつみ、あめくみちこ、小林勝也といった実力派に加え、3人の神様役としてラサール石井、小宮孝泰、松澤一之が登場することも話題となっている。さらに今回は、ブレヒト自身が作曲を依頼した音楽家、パウル・デッサウによる楽曲に追加して、音楽監督・国広和毅が作曲したオリジナル曲を多数使用し、バイオリン、チェロ、パーカッションの生演奏による音楽劇として上演されるので、ミュージカルでも活躍するキャストたちの歌唱を楽しめる趣向ともなっている。

このほど、葵わかな木村達成・白井晃が揃って今作への意気込みなどを語ってくれた。


―― まずは『セツアンの善人』を今、この時代、このタイミングで上演するにあたっての白井さんの想いをお聞かせください。

白井 ブレヒト作品はこれまでに幾つも手掛けてきているのですが、『セツアンの善人』は今後やりたい作品の中でも特に思い入れの強い一本でした。ただ、この演目はやる時期、タイミングがとても難しい作品でもあり、なかなか「今だ!」と思えずにいたんです。ですが、近年の日本社会を見ていると、なんだかみんながもがいているような、そんな時代になってきているように思えました。それで、この作品をやるには今がちょうど相応しいのかな、と。円安も、進んできていますしね。

―― なるほど、お金の問題がいろいろ絡んでくる物語でもありますからね。

白井 物価がどんどん高くなり、給料がちょっと上がったとしても実質的には目減りしているような状況です。誰も豊かになったという気分にはとてもなれないような、そんな重たい空気の中で、生きていくためにはお金が必要……ということでみんなもがいているわけですけれども、それが果たして本当の幸せを掴むということなのだろうか?と、どうしても思ってしまいますよね。

―― そう考えると、まさに今こそピッタリくるテーマですね。ではキャスティングについては、どのような狙いがあって葵さんや木村さんに声をかけられたのでしょうか。

白井 正直に言いますと、世田谷パブリックシアター芸術監督としてブレヒトの作品を何かやりたいと考えていたところに丁度タイミング良く、私の演出するブレヒト作品に葵さんが興味を持っていただけているという話が飛び込んできたのです。それで、もし本当に葵さんがやってくださるのならば、これはもう『セツアンの善人』しかないでしょう!となりました。そうなると、この作品の大事な役どころである飛行士のヤン・スン役は誰にお願いしようと思った時、過去に2作品一緒にやらせてもらっている木村くんの顔が浮かんできて。こういう役を彼がやってくれたら、きっと面白くなりそうだと思ったのです。


―― お二人はこの作品への出演オファーが来た時、率直な心境としていかがでしたか。

葵 今、白井さんもおっしゃいましたが、そもそも作品が決まる前から私には白井さんとぜひご一緒したいなという想いがありました。ただ、すぐに対面で出会えたわけではなく、最初は、間に大勢の人が入って、その繋がった先に白井さんがいる、みたいな状況でした。

木村 へえ、そうだったんだ。

白井 伝言ゲームみたいな感じでしたね。

葵 ですからその時点では、ぜひご一緒したいという自分の想いがどこまで白井さんに伝わっているのか、そして白井さんがどんなお気持ちでいらっしゃるのかが全くわかりませんでした。なので、日が過ぎて『セツアンの善人』をご一緒できることが正式に決まった時は、改めて、しっかり出会えたことがまず嬉しかったです。そして台本を読んでみると、自分の与えられた役割にハードルの高さを感じましたが、やはりご一緒したいと思っていたことが実現するのもなかなか難しいことですから、これも何かの縁が働いたんだと思い、本当に心が燃えましたね(笑)。

―― そもそも、どうして白井さんとご一緒したいと思われたのでしょうか。

葵 私は舞台の世界に足を踏み入れてからそこまで年数は経っていないのですが、その当初からいろいろな場所で白井さんの作品を拝見したり、頻繁にお名前を見かけたり、ご一緒した俳優の方からお話をよく聞いたりしていました。現代の演劇界を語る上で必ずお名前が出てくる演出家さんの一人だと私は認識していたので、自分もぜひどこかでご一緒させていただきたいなと思っていたんです。それに、これは私の一種の勘ですが、誰かの新しい世界を開いてくださる方、みたいな印象もありました。

―― ぜひ自分も開いてもらいたい、と?

葵 もし白井さんとご一緒することができたなら、何か新しい世界が開ける瞬間に自分も出会えるんじゃないかと期待する気持ちもあり、ぜひお近づきになってみたかったんです。

―― ラブコールが叶って良かったですね(笑)。

葵 本当に(笑)。実際、お会いして話しをさせていただくと、こんなにも広い世界を持っている素敵な方なんだなと思いました。本格的にお稽古が始まったらどうなるんだろう、と今では少し怖さもありますが、この機会を思いきり楽しみたいと思っています。

―― 木村さんは、白井さんとのタッグは3回目ですね。今回もお声が掛かり、まず思ったことは何でしょう。

木村 僕のことを覚えてくださっていたことが、まずはすごく嬉しかったですね(笑)。前回ご一緒したのが『ジャック・ザ・リッパー』(2021年)という作品でしたが、あの時は稽古での挑戦も沢山あって、自分なりにかなり苦労しました。白井さんに「もっと僕を見てくれ」って、ずっと思っていたんです。というのも、自分がやらなきゃいけないことが山積みでどうしていいかわからなくて。それで「僕を見てほしい」と思っていた……ということをふと、さっき思い出したんですよ。

―― さっき、ですか?(笑)

木村 はい。やっぱり、きつかったことって忘れるじゃないですか(笑)。でも先ほど久しぶりにお会いして、ちょっと照れくさかったし恥ずかしかったんですけど、そんなことも同時に思い出していました。白井さんはある意味、演劇界の僕のお父さん的な存在ですし、コロナ禍の辛い時期にすごく助けていただいた方でもあるので、こうしてまたご一緒できることは本当に嬉しいです。葵さんもおっしゃっていましたが、たしかに、新しい自分を見出して、掘り起こしてくださるプロフェッショナルだと思うので、僕もまた一からお尻を叩いてほしいですね(笑)。これからも演劇をやっていく上での楽しみや必要なこと、そして今この作品をやる意味を教えていただきつつ、もっともっと白井さんに追いつけるよう、というか白井さんの考えていることにしっかりと対応できるよう、頑張っていきたいです。

―― たとえば、ご自身のどういうところを白井さんから見出してもらったと思っていますか。

木村 まず、ものを考える時の視点が全然違うんですよね。自分は頭でっかちになりすぎちゃうところがあるんですが、そのせいで片側しか見えていなかったところを、いろいろな角度から見せてくださったり。空間を捻じ曲げて考えてみるとか、ページを一ページずつめくるようにやってみるとか、そういうものの考え方なども教えていただきました。今回も、この作品を通して新たな演劇的手法や、今後自分の武器になるであろう何かを吸収させてもらえるような気がしています。

―― 力が入りますね!

木村 とはいえ、頭でっかちにならずに、できるだけ力は抜いて、楽しみながら稽古をしたいです。


―― 白井さんは、お二人に今回の役柄をどういう風に演じてほしいと、今の段階では思っていますか。

白井 それぞれ、ご自分の中にあるシェン・テやヤン・スンを見つけてほしいなと思っています。自分の中にもこういうところがあったんだと見つけられる瞬間が必ずあると思うので、それを掘り起こす作業をしてくださるといいですね。それがひいては、葵さんのシェン・テになり、木村くんのヤン・スンになるのだろうなと思います。葵さんはシュイ・タという別人格も演じますが、それも含めて葵さんの中にある部分にうまくシンクロしていけたら、今を生きている俳優であるお二人だからこその作品になると思いますし、そうしないと意味がないですよね。つまり、古典の紹介をするのではなく、今を生きる我々の問題としてこの作品を提示したいんです。

―― “今”を意識した上演台本にする、ということでしょうか。

白井 そうですね。言葉遣いも含めて、そういうことになってくると思います。また、稽古でみんなの声を聞いてみた時点で、その言い方は変えようかという話も出てくるかもしれません。そういったフレキシブルな部分もあっていいかなと考えています。

―― では、稽古次第でどんどん変わっていく?

白井 僕の場合、変えずにいこうと思っても自然と変わっていくので。本番中でも変わっていくかもしれません。

葵 え! そうなんですね?

白井 そうなんですよ(笑)。ミュージカルだったら、音楽のサイズや振付が決まっているから、変えられない部分ばかりですが、ストレートプレイの場合はそういう制約が少ないですからね。でも、せっかくですから、そういうところも楽しみにしていただければと思います。稽古場で作っていたものも、劇場にお客さまが入って初めて完成するわけですから。そこで「自分たちがやっていたことはこういうことか」と初めて気づくこともあるでしょうし、そうなればそのままやるのではなく、そこで感じたことも生かしていかないと、と欲深さが出てしまうものなので(笑)。

―― より良いものにしたいわけですからね。

白井 そうするつもりです。お二人と同じ現代の20代30代の若者たちが今、この世の中で感じていることが、今回の『セツアンの善人』に投影されるといいなとも思っています。

―― 稽古をしながら、若いキャストの皆さんの気持ちも作品に反映させていこうと。

白井 シチュエーションの何もかも全部を現代的な要素に変えるわけではないのですが、そこに現代が透けて見えるようにしていきたいとは思っています。そういう意味では、舞台空間も抽象的なものになると思います。セツアンは漢字で書けば四川ですけど、僕は四川には行ったことがありません。この作品に取り掛かる前に一度、行きたかったんですけどね。今、中国の発展は目覚ましいものがありますが、だからこそ、そこには歪みもあるかもしれない。ここに書かれているセツアンという場所は、もしかしたら中国の縮図かもしれませんし、それはまた日本の縮図でもある、というふうにも思います。


―― まだ稽古前ではありますが、出演されるお二人は、現段階でご自身の役柄についてどんなイメージをお持ちですか。

葵 今はまだ一読者として台本を読んでいる段階なのですが……。神様たちはシェン・テのことを「善人だ」と言いますけど、本当の善人ってこういう人のことを言うのだろうかとか、自分にとっての善い人って何だろうかとか、シェン・テを外側から見て普通に考えるだけでも様々な問いが浮かんできて、自分事として考えられます。そういう意味では白井さんが既におっしゃったように、現代に置き換えられているというか、現代に生きている自分でも同じように思ったり、同じような疑問を持ったりできるんですよね。

昔の話で、状況にしても仕事や職業にしても、今とは違う部分が多いのに、シェン・テが抱えてることや生き辛さ、周りの状況に翻弄される様は、今の自分の世界でも起こり得ることでもあります。おそらく自分も経験したことがありそうな気まずさや、にっちもさっちもいかない状況みたいなことは、演じる上での助けになるかもしれないな、と思っています。純粋にそうやって今の自分に投影できるというのは、観る側にとっても、きっと面白い作品になり得ると思いますので、ぜひその可能性を伸ばしていきたいです。

―― 冷徹なシュイ・タ役のほうに対しては、どんな想いがありますか。

葵 シュイ・タの存在が、シェン・テにとっても、劇中の登場人物たちにとっても、どういう存在になっていくか。それはきっと、お稽古が進むにつれて具体化されていくのだろうと思います。たとえば全然知らない場所、自分のことを知らない人ばかりの環境であれば、悩みを言えたり、普段は言えないことでも口に出せたりしそう、というのは自分自身も過去に経験があります。新しい人物としてそう振る舞える。もし自分が今ここで第三者として何か意見できたら、と思うことは、必ずしも今の自分から離れた感覚ではないですからね。その点も共感できますし、観てくださる方が突飛な誰かの話だと思うのではなく、ちょっと理解できる、寄り添える人物として自分が存在できたらなと思っています。

―― 木村さんはヤン・スン役については今、どう思われていますか。

木村 初見で読んだ時は、すごく親近感を覚えました。自分が演じる役として読みましたが、わりと自分に近い部分がありそうだなと思いましたね。そもそも、善いことをしている自分自身ってあまり記憶にない。僕、善い人じゃないんで(笑)。だからこそやっぱり、ヤン・スンはかなり近い人間なんじゃないかと思います。でも中途半端に正義感みたいなものも出てくるんですよね。

―― 徹底した悪人ではなさそうで。

木村 そうそう、悪いこともするんです。けれど、ダメだと叱られればちゃんとわかる人でもある。なんだかそこにも共感できるんです。

―― では最後に、お客様に向けてお誘いの言葉をいただけますか。

木村 現在の日本の状況と照らし合わせながら観ても、きっと楽しんでいただけると思います。ぜひみなさん、劇場にお越しください。

葵 海外戯曲に対して難しい印象を持たれる方も多いと思いますが、私が読んで感じたように、現代に投影できる部分がすごくある作品になると思います。それに加えて音楽劇という要素もあるので、耳からもきっとお客さまを作品世界へ引き込んでくれるものとなるでしょう。何かしらそれぞれに問いかけがある作品ですので、その問いをしっかりと持ち帰っていただけるよう、お稽古を頑張りたいと思っています。劇場でお待ちしております!

白井 ブレヒト作品というとどうしても社会的で難しいという感覚があるかもしれません。善とは、悪とは、人を幸せにするというのはどういうことなのか……って言うと重くて深いテーマのようにも感じますけれども、ブレヒトって実は基本的に“エンターテイナー”なんです。それらのテーマを、実に面白く語ってくれる。音楽劇であることも含め、決して説教臭くはならずに、お客さまをきっちり楽しませながら考えさせることもできる非常に優れたエンターテイナーだと、僕は思っています。ですから今回もきっと、楽しみながら色々考えてもらえる作品になるでしょう。“わかりやすく、スリリングに楽しく、人生を考える”、そういうスローガンで今回は挑みたいですね。

取材・文=田中里津子  写真撮影=荒川潤

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