銀座のシンボル・時計塔のルーツ、設置150年!
6月10日は時の記念日ですので、今日は銀座の時計塔のルーツにまつわる話を取材した「TOKYO発」の記事に注目しました。
150年前、銀座8丁目に銀座初の時計塔が完成!
銀座のシンボルと言えば、銀座4丁目交差点、セイコーハウス銀座(和光が入っている建物)の時計塔ですが、その元となった、モデルとなった、時計塔があったのはご存知でしょうか?
銀座の時計塔の歴史に関する資料の収集家で、獨協大学職員の昼間良次さんの案内で、銀座の街を歩きながらお話を伺いました。
銀座の時計塔の歴史に関する資料の収集家 昼間良次さん
「(近堂:もう少しで新橋という、銀座8丁目、外堀通り沿いまで来ましたけど。)
ココなんです。ちょうど150年前、明治9年1876年の4月、ここに小林時計店本店の時計塔がお目見え、竣工しまして、当時はここ八官町と言ってたんですけれども、今、銀座8丁目ですから、銀座地区における時計塔のスタート、始まり、初代、元祖!そういったところです。
まさしく、時計屋さんが時計塔をしつらえるというのは、広告塔としてはすごく分かりやすいし、さらに実用性高いですよね。で、その後、銀座の街に時計屋がずいぶん、どんどんどんどん集まって来て増えてきまして、で、多い時は10も20もあったと。時計塔がですよ。流行ったってことですよね。」
銀座8丁目、現在は、ホテル・ザ・セレスティン銀座が建っている場所、そこに銀座初の時計塔があったんです。
<こちらが小林時計店本店の時計塔 写真:昼間さんのリーフレットより>
<小林時計店の時計塔があった場所を指す昼間さん>
150年前、小林時計店の二代目小林伝次郎さんが、文明開化の真っ只中、レンガ造りの街並みなど、西洋化していく銀座に新店舗を構え、その店舗に時計塔を造ったのです。江戸時代の和時計から、洋時計への変わっていこうとする時代。
英国製の輸入物、文字盤の直径は約6尺(1.8m)の時計塔は評判となり、現在の外堀通りは、当時「大時計通り」と呼ばれていました。また、時計塔の鐘の音は1.6キロ離れた増上寺まで聞こえたとされ、その様子は、永井荷風の小説「濹東奇譚」にも登場するなど、注目ぶりが伺えます。
小林時計店の時計塔を見上げていた服部金太郎少年!
そして、その、小林時計店の時計塔を見上げていたのが、セイコーグループ創始者の服部金太郎少年。小林伝次郎と服部金太郎の関係について、再び昼間さんのお話です。
銀座の時計塔の歴史に関する資料の収集家 昼間良次さん
「実は、服部金太郎は最初『辻屋』という洋品屋さんがこの八官町という地域にありまして、そこに修行に来てたんですよね。そうしたところ、雨が降ろうが風が吹こうが、小林時計店は客足が絶えない、客足が無くてもその間、時計の修理に店員たちは勤しむことができると。一方その洋品屋さんだと雨が降ったら途端にお客さんが来なくなって、手持ち無沙汰になると。
ということから、時計屋を志すに至った、ということがセイコー社でもしっかり記述されてまして、で、次に今度は、どこの時計屋に修行するかって時に、小林伝次郎が修行先を見つけてきたっていうような話も、服部金太郎、金坊の働きぶりからしたら、自信をもって見つけてくるからね、後は俺に任せてって胸を叩いたっていうそんな記述があるんですよ。感動的です。そういう意味では、今世界のトップ企業であるセイコーの創業者、服部金太郎をずいぶんと引き立てた人物、それが、銀座初の時計塔を店舗に備えた小林伝次郎であった、そんなことになります。」
なかなか深い関わりがあったんですね。時計商として成功し、江戸七商人の一人に数えられた小林伝次郎は、服部金太郎少年の才を見抜いていたのかも?
その後、伝次郎は「東京時計商工業組合」の初代頭取に就任、2代目東京府庁舎の時計塔も手がけたりと活躍。
一方の服部金太郎は二つの時計店で奉公したのち、銀座に服部時計店を創業、二つ目の店舗として、銀座4丁目に新店舗を作る際に、小林時計店の時計塔に倣うように、屋上階に時計塔を設置した、ということなのです。
150年前に銀座にできた時計塔が、現在の銀座のシンボルの時計塔に繋がりました。
小林伝次郎は昼間さんと同じ八潮市の出身なんです!!
ところで、昼間さんは、時計屋さんではないのに、なんでまた銀座の時計塔の歴史に関してこんなに資料を集めているのでしょうか?
銀座の時計塔の歴史に関する資料の収集家 昼間良次さん
「今から30年前に、銀座の街を紹介する本がありまして、時計塔の草分け、始まりというのは小林時計店の本店時計塔である。で、この小林伝次郎は八潮市、私が住む八潮市の出身である、という記述と出くわすことがありまして、それ以来ちょっとずつ、どういう人だったんだ、どういう時計屋だったのか、どういう役割を、銀座という街において果たしたのかとか、いうのを調べていったんですよね。
やっぱり驚きましたよ!私も、割と、中学くらいからかな、映画を観るなんていうときに、銀座まで出てくるなんてことも多かったんですけれども、以前は、第三者的に歩いて、映画を観て楽しんだっていうだけのものから、他でもない、我が八潮市から生まれ出た人が、この街づくりに大いに貢献してたってことが分かると、銀座が私にも大いに関わりのある、歴史を紐解いていくと繋がりのある、そういう地域なんだっていう風に思えて、誇らしいっていう気持ちになりますよね。」
たまたま手に取った銀座の街を紹介する本、そこに、自分と同じ八潮市の偉人がいた!これがとっても嬉しかったんです。
それから30年、昼間さんはリーフレット「時計商・小林伝次郎と銀座」を作り、銀座の街歩きを開催するなど、地元の偉人を広く知ってもらおうと頑張っています。昨日は、八潮市立資料館で、「八官町の大時計」150年を記念した講演会も開催しました。
<こちらが昼間さんが作ったリーフレット>
こうした活動を受けて、小林伝次郎さんについて、「その名前、祖母から聞いたことあるよ」とか、「そこの時計店で買った懐中時計があるはず」、とか、様々な情報も集まっているそうです。昼間さんの資料集めと研究は、まだまだ続きます!
様変わりする銀座ですが、たまには昔に思いを馳せながら歩くのもいいかもしれませんね。
(TBSラジオ『森本毅郎スタンバイ』より抜粋)