#6 自由な知性と、不自由な肉体と――河合祥一郎さんが読む、シェイクスピア『ハムレット』【NHK100分de名著ブックス一挙公開】
東京大学大学院教授・河合祥一郎さんによる
シェイクスピア『ハムレット』読み解き #6
「優柔不断」な青年は、ある答えにたどり着く――。
父を殺された青年ハムレットは、なぜ復讐を先延ばしにするのか。「理性」と「感情」に引き裂かれる近代人の苦悩を描き出した、シェイクスピア悲劇の最高峰、『ハムレット』。
『NHK「100分de名著」ブックス シェイクスピア ハムレット』では、『ハムレット』を単なる「復讐劇」ではなく、存在の問題を追求する哲学的な作品として、シェイクスピア研究の第一人者・河合祥一郎さんが解説します。
今回は、本書より「はじめに」と「第1章」を全文特別公開いたします
(第6回/全6回)
亡霊の謎
『ハムレット』に戻りましょう。王子ハムレットは、死んだ父の亡霊から復讐を命じられますが、その復讐をためらう最初の原因は、そもそも亡霊が本物なのか、それともその正体は悪魔なのか、という疑問にあります。
ハムレット: (……)俺が見た亡霊は
悪魔かもしれぬ。悪魔は相手の好む姿に身をやつして
現われる。そうとも、ひょっとして
俺が憂鬱になり、気弱になっているのにつけこんで
まんまと俺をたぶらかし、
地獄に追い落とそうという魂胆か。
もっと確かな証拠が欲しい。それには芝居だ。
芝居を打って、王の本心をつかまえてみせる。
(第二幕第二場)
実はここには、カトリックとプロテスタントという、当時の宗教問題が関係してきます。亡霊という存在を認めるのはカトリックだけで、プロテスタントでは死者の亡霊などというものは認めていません。プロテスタントの見方からすれば、これは悪魔が見せる幻影ということになります。つまりハムレットは、カトリックとプロテスタントのあいだで揺れているという解釈もできるのです。その歴史的背景を少しばかり見ておきましょう。
エリザベス一世の父ヘンリー八世はカトリックでしたが、なかなか王子に恵まれないので離婚して、六人の妃を次々に取り替えたことで有名です。しかしカトリックでは離婚は許されません。最初の王妃と別れようとしたとき、ローマ法王に許しを請いますが、すげなく断られます。法王と対立したヘンリーは一五三四年、カトリックを廃してイングランド国教会をイングランドの公的宗教に定めて、国ごとカトリックから離脱してしまいます。王が離婚したかったから国の宗教を変えてしまったという、冗談のような本当の話です。こうして、急速にプロテスタント勢力が台頭してきます。
ヘンリー八世の死後、幼い息子のエドワード六世はかなりプロテスタント寄りの治世を行いますが、次に姉のメアリ一世の治世になると、彼女は熱烈なカトリックの信者だったので、カトリック国のスペイン王と結婚してプロテスタント狩りをはじめます。プロテスタント大虐殺に由来する“ブラッディ・メアリ”(血なまぐさいメアリ)という呼び名は、真赤なトマトジュースとウォッカのカクテルの名前としていまも残っています。
ところが一五五八年、姉に代わって妹が即位してエリザベス一世になると、再びプロテスタントに戻り、今度は逆に厳しいカトリック狩りの時代になるのです。
シェイクスピアの父親ジョンは、敬虔なカトリックでした。一家の没落は、国教会に睨まれたことが原因ともいわれています。息子ウィリアムの人生に謎の空白期間があるのも、実はカトリックという出自からきているのではないかと、私は推理しています。
第一幕第五場で亡霊がハムレットに復讐を命じるときに、「終油の秘蹟も、懺悔の暇もなく」殺されたので、「赦しも受けず、この身に罪を負ったまま」死んだことが恐ろしい、と言います。つまりこれは、生前の罪をカトリックの儀式で清めて天国に行くことができなかったと嘆いているのです。
また、ハムレットが叔父の犯罪を確信したあとの第三幕第三場で、祭壇に跪いて祈るクローディアスを殺そうと「今ならやれる」と剣を抜いたのに、ためらってやめてしまうのは、決して行動力がないからではなく、懺悔している最中のクローディアスを殺してしまうと、「この悪党を送ってやるのか、天国に」というキリスト教的な発想があるからです。
カトリックの文化が情熱的だとすると、プロテスタントは理性的で冷静です。それは熱情の中世と理性の近代という対比とも相似形です。理性的な男の代表として登場するハムレットの親友ホレイシオは、亡霊に会いに行こうとするハムレットに、「殿下の正気を奪い去り、狂気へ引きずり込もうというのかもしれません」(第一幕第四場)と警告します。ハムレットがあとで冷静になって、「悪魔は相手の好む姿に身をやつして現われる」(第二幕第二場)と言うのは、自分の想像力が歪められて、父の亡霊を見せられているのかもしれないと思うからです。
シェイクスピア別人説でも候補に挙がった哲学者フランシス・ベーコンをはじめとして、当時の認識論では、人は視覚による光学的な情報だけでなく、心による想像力の働きでものを見ると考えられていました。〈心像〉というものが頭の中でつくられ、それを脳が認識する。だから、正しい想像力が歪められてしまうと、間違ったものを見てしまう。そこから、〈真実を映し出す鏡〉としての芝居という発想も出てきます。
鏡としての演劇
「それには芝居だ」(第二幕第二場)と言ってハムレットが、『ゴンザーゴ殺し』という芝居を王クローディアスに見せるのは、当時の人々にとって、芝居こそが真実を映し出すという発想があったからです。エリザベス朝演劇が爆発的な人気を博したのにも、単に娯楽というだけではない、そのような理由がありました。「芝居の目的とは、昔も今も、いわば自然に向かって鏡を掲げること、つまり、美徳には美徳の様相を、愚には愚のイメージを、時代と風潮にはその形や姿を示すことだ」(第三幕第二場)とハムレットは言います。「自然に向かって鏡を掲げる」とは、ただありのままの事実を映すという意味ではなく、〈心の眼〉で捉える真実を映すことです。ハムレットが母に「今、鏡をお見せします。心の奥底までご覧になるがいい」(第三幕第四場)と言うのも、見せかけではない真実を〈心の眼〉で見抜くためです。「心の目にだよ、ホレイシオ」というハムレットの台詞も、第一幕第二場から出てきます。『星の王子さま』ではありませんが、〈心の眼〉はとても重要な主題です。
エリザベス朝の詩人フィリップ・シドニーも、詩論『詩の弁護』(一五九五)のなかで、虚構こそが真実を映すと言っています。ハムレットは劇中劇によって真実をあぶり出そうとし、シェイクスピアは『ハムレット』という芝居を書くことで、私たちはなぜ生きるのかという真実をあぶり出そうとする、という二重構造になっているのです。
ところが王クローディアスは、耳に毒を注いで殺すという黙劇を見ても、すぐには反応しない。これはなぜか、ということが問題になりますが、私の考えでは、クローディアスという人物はきわめて頭のいい沈着冷静な男で、理性ですべてを支配でき、噓もつき通せば事実になると思っているので、自らの完全犯罪を疑っていないのです。
王は完全犯罪だと思っているから、むしろ芝居に反応してはまずいわけです。まだばれていないなら、しらを切らなければならない。では何に反応したかというと、ハムレットの台詞です。「庭で毒殺して、王国を奪うのです。(……)あの人殺しは、ゴンザーゴの妻をものにするのです」(第三幕第二場)。その台詞を聞いたときに、初めて王は愕然とする。なぜなら、こいつは知っている、と気づくからです。ばれてしまっては完全犯罪ではなくなってしまいます。そこで「明かりを持て」と言って立ち去り、そのあとすぐ祈りの場で「ああ、わが罪はおぞましく、天まで悪臭を放つ。人類最初の罪──兄弟殺しの罪の呪いだ」(第三幕第三場)と告白を始めるので、観客にも真実が伝えられるという、かなり明確な構造になっています。面白いことに志賀直哉はこのクローディアスの告白をすっかり見落として、クローディアスが本当に罪を犯したことを示す証拠はなにもないと誤解して、無実の王にいやらしいハムレットがしつこく絡んでくるという、『クローディアスの日記』(一九一二)という小説を書いています。
ハムレットは理性と熱情のせめぎ合いのなかであがきます。ルネサンス的な自由な知性に憧れる精神と、欲望や原罪を抱え込んだ不自由な肉体に引き裂かれているとも言えます。これには神と人間という問題も大きく関わってきます。
ハムレット: (……)人間とは何だ?
ただ食って寝るだけで人生のほとんどを
費やすとしたら? 獣と変わりはない。
神は我らに、前を見通し、うしろを見返す
大きな思考力を授けたもうた。
(第四幕第四場・Qのみ)
彼は、人間としてより気高く生きるにはどうすればよいのか、と模索し悩んでいるのです。より高貴な人間でありたいというシェイクスピアの思いが、凝縮された形でハムレットに託されているとも言えるのではないでしょうか──。
第二章以降は、本書『NHK「100分de名著」ブックス シェイクスピア ハムレット 悩みを乗り越えて悟りへ』でお楽しみください。
著者
河合祥一郎(かわい・しょういちろう)
東京大学大学院教授。専門はシェイクスピア、英米文学・演劇。東京大学文学部英文科卒業後、同大学院にて博士号、英ケンブリッジ大学にてPh.D.を取得。おもな著書に『ハムレットは太っていた!』(サントリー学芸賞、白水社)、『シェイクスピアの正体』(新潮文庫)ほか多数。シェイクスピア戯曲の新訳のほか、ルイス・キャロル、C・S・ルイスなどの作品を翻訳。
※著者略歴は全て刊行当時の情報です。
■『NHK「100分de名著」ブックス シェイクスピア ハムレット 悩みを乗り越えて悟りへ』(河合祥一郎著)より抜粋
■脚注、図版、写真、ルビなどは権利などの関係上、記事から割愛しております。詳しくは書籍をご覧ください。
*本書における『ハムレット』引用部分の日本語訳は、著者訳『新訳ハムレット』(角川文庫)によります。
*本書は、「NHK100分de名著」において、2014年12月に放送された「ハムレット」のテキストを底本として加筆・修正し、新たにブックス特別章「ハムレットの哲学」、読書案内などを収載したものです。