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大物助っ人番号?プロ野球における背番号39の選手たち

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(左から)ソフトバンクの尾形崇斗、DeNAの嶺井博希、ヤクルトの宮本丈ⒸSPAIA

2020年現役選手の背番号「39」

2020年各球団の背番号「39」は下記の選手が背負っている。

西武:呉念庭内野手
ソフトバンク:尾形崇斗投手
楽天:引地秀一郎投手
ロッテ:吉田裕太捕手
日本ハム:秋吉亮投手
オリックス:飯田優也投手
巨人:立岡宗一郎外野手
DeNA:嶺井博希捕手
阪神:長坂拳弥捕手
広島:菊池保則投手
中日:不在
ヤクルト:宮本丈内野手

不在:1球団
永久欠番:0球団
投手:5球団
捕手:3球団
内野手:2球団
外野手:1球団

2020年シーズンは吉田裕太(ロッテ)、嶺井博希(DeNA)、長坂拳弥(阪神)と3球団で捕手が着用している背番号「39」。これまでも土井淳(元大洋)、矢野輝弘(現阪神監督)といった捕手が着用していた。楽天では球団創設以来、中村武志、井野卓、下妻貴寛と捕手が受け継いできたが、2019年から投手の引地秀一郎が背負っている。

また、外国人選手の着用も多い。2020年シーズンはいない(台湾出身の呉念庭は日本人扱い)が、過去にはデストラーデ(元西武)やグリーンウェル(元阪神)、ミッチェル(元ダイエー)らが着用していた。

スイッチヒッターで本塁打王のデストラーデ

1980年代後半から1990年代にかけての西武黄金時代に、助っ人として活躍したオレステス・デストラーデ。1989年シーズン途中に日本へやってくると、わずか83試合の出場で32本塁打、81打点をマーク。打率.257(292打数75安打)と確実性は低かったものの、相手投手から恐れられた。

翌1990年シーズンからは3年連続本塁打王を獲得するなど、チームの優勝に大きく貢献。眼鏡をかけた優しそうな風貌とは裏腹に、破壊力十分の打棒の持ち主だった。スイッチヒッターで本塁打王に輝いたのは日本プロ野球史上初めてだった。

1993年にメジャーリーグのフロリダマーリンズと契約し、2年間プレーした後、1995年に再来日。3年ぶりの西武復帰となったが、全盛期並みの活躍はできずに打率.245(163打数40安打)、6本塁打、23打点の成績を残してシーズン途中に退団した。

マーリンズ時代含め、1989年から1995年までの6年間を背番号「39」で過ごしたデストラーデ。西武の背番号「39」と言えばいまだ、この選手のイメージが残っているほどだ。2020年シーズンは、台湾出身の呉念庭が背負っている。

ダイエーにやってきた「お騒がせ男」ミッチェル

日本にやってきた大物外国人選手の上位にランクインするであろうケビン・ミッチェル。1995年にダイエー入りした長距離砲だ。

来日前の1989年には、当時所属していたサンフランシスコジャイアンツで本塁打王(47本塁打)、打点王(125打点)を獲得。シルバースラッガー賞、MVPにも輝いた超大物選手だった。ダイエーは推定年俸4億円超で獲得し、ファンはそのパワーに期待を膨らませた。

期待通りにミッチェルは、開幕戦の初打席で満塁本塁打を放つという衝撃デビュー。しかし、その後は熱発で欠場、体の痛みを次々に訴える「不良外国人」ぷりを発揮し、37試合出場で打率.300(130打数39安打)、8本塁打、28打点と悪い成績ではなかったもののシーズン途中に解雇となった。

その後、年俸の全額支払いを求め裁判となるなど、最後の最後まで「お騒がせ男」ぶりを発揮したミッチェル。良くも悪くも、ファンの記憶に残る選手だったことは間違いない。

2001年に同じくダイエーに所属したトニー・ミッチェルはケビン・ミッチェルのいとこにあたる。トニー・ミッチェルは63試合で打率.193(181打数35安打)と結果を残すことができなかった。

神のお告げで帰国したグリーンウェル

1997年当時の阪神史上最高年俸となる3億円(推定)で契約し、日本へやってきたマイク・グリーンウェル。

ボストンレッドソックスで12年にわたりプレーし、打率.303(4623打数1400安打)、130本塁打、726打点を記録したバリバリのメジャーリーガーだった。規定打席到達した上での打率3割を5度、1988年にはシルバースラッガー賞も受賞しており、大きな期待が寄せられていた。

しかし、日本にやってきたグリーンウェルはわずか7試合の出場で骨折し、「神のお告げ」により無断で帰国したため、そのまま退団となった。残した成績は打率.231(26打数6安打)、0本塁打、5打点。後に阪神は、グリーンウェルに対し訴訟を起こすほどの騒動にもなった。

阪神ファンだけでなく、日本のプロ野球ファンから非難を浴びる結果となった大騒動。しかし、レッドソックスでの成績にケチをつけるファンはおらず、2008年にチームの殿堂入りを果たしている。

秋山登とバッテリーを組んだ土井淳

1960年に大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)が球団史上初となる優勝を飾った際、正捕手として君臨したのが土井淳だった。

土井は1956年に明治大学から大洋へ入団。1年目から85試合に出場するなど即戦力として活躍した。2年目に背番号を「39」へ変更するとレギュラーに定着。優勝を果たした1960年にはベストナインにも輝いている。

土井はエースの秋山登と長年にわたりバッテリーを組んだことでも有名だ。大洋に入団する以前の岡山東高校、明治大学時代から二人は一緒にプレーしていた。

また、1956年に明治大学から大洋入りを果たした際は秋山、土井のほかに沖山光利、黒木弘重、岩岡保宏も同時に入団。5人は「明大5人衆」とも呼ばれ大きな期待を掛けられていた。しかし、秋山、土井を除く他の3人は実績を残せなかった。

その中で土井は期待通りの活躍を見せ、1960年の優勝に貢献。現役引退後には大洋の監督を2年間(1980年、1981年)務めている。

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記事:SPAIA編集部

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