【子育て中にリスキリング】のリアル全公開 フリーランス・発達障害・アラフォーのシングルマザーが「国家試験」(社会福祉士)合格するまで
シングルマザーの「リスキリング」挑戦。第1回~養成校入学の壁~。アラフォーのフリーランス、シングルマザー、さらにADHDの特性を持つママライターが「社会福祉士」をめざし、合格するまでの日々をルポ。
【写真➡】当時小1だった息子がくれた切実な手紙の中身とは政府が推奨する「社会人のリスキリング(学び直し)」は、今、子育て世代にも広がりつつあります。シングルマザーでフリーライターの藤川ユキさんも、リスキリングに挑戦し国家資格を取得した一人。アラフォーで、発達障害のADHD(注意欠如・多動症)でもある彼女は、仕事や子育てに追われるなか、どのようにして合格までたどりつけたのでしょうか。
第1回は養成校入学までの「壁」について。
きっかけは女性相談員との出会い
長年フリーライターで、シングルマザー(以下シンママ)でもある私が、国家資格である「社会福祉士」の資格を得たいと最初に思ったのは、今から5年前の2020年。アラフォーのとき。
社会福祉士とは、医療・福祉・教育・介護などの現場で、相談支援業務に携わる国家資格のひとつで、「ソーシャルワーカー」とも呼ばれている。
なぜ突然、ライターと畑違いの福祉業界を? と首をかしげる人もいるでしょう。
そもそも、私はひとり息子を抱えるシンママの身。仮に社会福祉士の資格を得られ、運よく就職できたとしても、アラフォーで未経験からのスタートでは親子2人が食べていくのは難しいかもしれない。
それに子育てと仕事の両立だけでも時間と余裕がないのに、勉強時間まで作れるのか?
ある友人は、私が社会福祉士を目指したいと告げると眉をひそめ、「どうせリスクをおかすなら、もっと今の仕事に役立ち、より稼げる資格を取ったほうがよいのでは」と言った。ごもっとも!
それでもあえて社会福祉士を目指そうと思った理由のひとつは、社会に恩返ししたいと思ったから。
2016年(9年前)―――、当時の私は2歳の息子を抱えて真剣に離婚しようとしていた。離婚後の住まいや生活設計に不安を感じていた私は、離婚前後の相談支援機関に駆け込んだ。
その際、別居までの段取りを一緒に考え、アドバイスし、一時的な住まいを提供してくれた支援チームの一人が、社会福祉士の女性相談員だった。
支援を受けることにためらいを見せた私に、彼女は力強い口調で、こう言った。
「あなたには幸せになる権利があります。それは日本国憲法第13条でしっかり保障されているんです。後ろめたく感じる必要は一切ありません」
この一言に、どれほど勇気づけられただろうか。私はこの言葉に背中を押され、息子と家を出ることができた。その後、泥沼の親権争いや離婚調停で生きた心地がしない日々を送るも、無事親権が取れ離婚が成立。なんとか母子2人でつつましくも穏やかに暮らす生活が実現できた。
あのとき一歩踏み出せたのは、そして今の幸せがあるのは、この女性相談員を筆頭に、多くの人々に助けられてきたから。彼らには感謝してもしきれない。
暮らしがやっと落ち着きだし、そんなことを考えられるようになったころ、ふと私の中から新たな思いがムクムクわき上がってきた。
「私は今までたくさんの人に助けてもらってきた。今度は自分が誰かを支える番だ。それが、これからの私の“使命”なんだ」と。
生活もやっとの母子家庭で何を突拍子もないことをと笑われるかもしれないけど、この“使命感”は稲妻のように私の中を突き抜け、その思いは日に日に増して強くなっていった。
また、社会福祉の制度やソーシャルワークの援助技術には関心があり、つねにアンテナを張っていた。
フリーランスは収入が不安定なうえ、雇用保険や厚生年金には加入できない。休職中の生活費や老後資金は自己責任で貯めておく必要がある。状況によっては、生活保護を受ける可能性もゼロじゃない。
ひとり親になってからは、貧困家庭への支援など福祉関連のニュースはますます身近に感じるようになっていた。社会保障などの制度は知っておいて損はないはず。むしろ、網羅しておきたい。どうせなら、制度ができた背景や体系的なことも深く学んでみたい。
それに、ソーシャルワークの相談援助技術を通して、「人に寄り添う」ということがどういうことなのかも、学んでみたかった。
つまり、私の関心事は社会福祉士の学習内容と見事一致していた。こうして私は2020年、社会福祉士の資格を取るためのリサーチを始めた。相談支援機関に駆け込んでから約4年、離婚が成立して半年後のスタートだった。
葛藤の末に一度は入学を辞退
だが、いざ調べてみると「受験資格」を得るまでにさまざまなハードルがあることがわかってきた。
社会福祉士の国家試験は、ただ勉強して試験を受ければいいわけではない。私が出た大学は福祉系ではないうえ、福祉現場の経験はゼロ。その場合、まず指定の養成校に入学しなければならない。
ライター業も続けながら勉強したい私の場合、通信制の養成校がベスト。在籍期間は学歴や実務経験などによって異なるが、私は約1年半かけて通信制養成校を卒業となり、そこから初めて受験資格を得られるという。
これだけでも気が遠くなるのに、養成校に入るためにも、いろいろな準備と覚悟が必要だった。
第1に、お金。
学校にもよるが、入学金やテキスト代、授業料などの初期費用だけでも74万円ほども用意しなければならない。
第2に、仕事。
福祉施設などの現場で学ぶ実習が約1ヵ月(※)あり、その間、仕事を休むにはどうしたらいいか。収入の見込みは?
※=2020年当時は旧カリキュラムで、実習時間は180時間以上(23日以上)。現在は新カリキュラムになり、実習施設を2ヶ所に分け、合計240時間以上(32日間以上)に増加。
そして第3は、子どもの預け先。
土日にも数回、対面授業の「スクーリング」がある。この日、子どもはどこに預ければいいのだろう。
これらの問題で私は頭を抱えてしまった。
お金はなけなしの貯金を取り崩すしかない。
実習期間中は基本的に平日の朝から夕方まで連続何十日も通わないといけないため、仕事を休まざるを得ない。長年フリーライターとして働いてきた私。貧乏性かつ要領が悪いため、これまでに仕事を休んだのは産前産後の数日間だけで、土日昼夜問わず働いてきた。
そんな私にとって、こんなに仕事を休むなんて考えられない。休職明けに、たくさん仕事が来る保証があるわけでもなし、それらを考えるだけで答えが出ず不安ばかりが渦巻いた。
さらに、スクーリングは1年半の在学期間中に通算9日間、土日の朝9時半から夕方17時半までみっちりだ。
2020年当時、息子は6歳になり、翌年には小学校入学を控えていた。元夫とは直接連絡を取っておらず、気軽に子どもを預けられる関係ではない。頼れる身内は皆無でもあった。
私が住む自治体では、子どもを預けられるファミサポ(ファミリーサポート事業)の料金は当時1時間900円。授業時間と往復の移動時間を合わせ、10時間預けたら1日9,000円。スクーリング9日間で9万円の支出はかなり痛い。
また、息子との時間がけずられることも気がかりだった。私は、他人を支援する社会福祉士になろうとしている。でも、そのために自分の息子をおざなりにしていいの? 今は、見知らぬ誰かの支援をする社会福祉士をめざすより、目の前の息子と向き合う時期じゃないの?
息子が小1のころに書いてくれた手紙。「げたいしなないでね(絶対死なないでね)」との文言からも、一人にされたくないという息子の切実な思いが読み取れた。
実習のために仕事を休む覚悟を持てなかったこと、私を必要とする子どもを振り切って誰かの幸せのために勉強しようとする矛盾感──。
何ヵ月も悩んだ末、とりあえず入学手続きだけすませていたA養成校を、辞退した。
状況が整った段階で2度目の出願を果たす
今思えば、あのとき断念したのは正解だった。その直後から、私は見事「小1の壁」に直面し、自分の勉強どころではなくなったからだ。養成校の入学を辞退してからは、引き続きライター業と子育てに奔走した。
ところが2022年、息子が小2の秋、社会福祉士への思いがふつふつと再燃してきた。
このころ、私は自分の“抜け漏れ”の多さに落ち込むことが多かった。仕事・子育て・家事に、プレ更年期の症状も出るわで、頭は常にとっちらかり状態。あらゆるシーンで漏れや失敗が勃発し、多方面に謝罪をしては自己嫌悪に陥る日々……。
ある日思いきって、以前から疑っていた発達障害の検査を受けてみた。診断結果は予想どおり「典型的なADHD(注意欠如・多動症)」だった。
結果を受け、さまざまなことが思い出された。これまで自分がやらかしてきた無数の失敗、失態は、ADHDに起因していたのだろう。過去を振り返ると同時に、今後の生き方について考えた。
もしかしたら、専門知識があれば今よりは生きやすくなるかもしれない。「心のお守り」としても、やっぱり、社会福祉士の資格を取ってみようか。
それに、ひとり親の苦労や、発達障害の忸怩(じくじ)たる思いを経験してきた私だからこそ、できることがあるのかもしれない。
社会福祉士の資格を活かし、困っている人に寄り添い解決策を探る。そうして相手が少しでもラクになれば、自分が生きている意味を見出すことができるのでは。裏を返せば、それほど今の自分は役立たずのポンコツで、無価値な人間なのだと落ち込んでいた。
このころには、以前懸念していた「スクーリングの日の子どもの預け先」や「実習期間中の休職」の問題はほぼ解消していた。
小2になった息子は一人で電車に乗って習い事に行けるようになり、子どもだけで公園に遊びに行く機会も増えている。多少不安は残るものの、年に数回ならば息子が習い事などに行っている間に、スクーリングに出席できそうだった。
長期間仕事を休む決心もついた。かれこれもう20年近く馬車馬のように働き続けてきたので、ここらで少しだけ仕事から離れてもいいだろう。一度断念してから2年近く経ち、そんな心境にも達していた。
経済面でいえば、ひとり親向けの「高等職業訓練促進給付金」制度(※)も大きな後押しとなった。受給要件を満たし、制度を使うことができれば、私の場合、総額で170万円ほどが支給されることがわかった。これがのちに、どれほど生活の支えになったことか。
かくして2023年4月、息子が小3になった春、私は満を持してB養成校に入学した。これでようやく社会福祉士の勉強ができる──。2年越しの夢がかない、万感の思いに浸る私。
だが、その後待ち受けていたのは、「学業・仕事・子育て」の3足のわらじに苦悩する日々だった。
取材・文/藤川ユキ
【プロフィール】
藤川ユキ
フリーライター。出版社勤務を経てフリーに。結婚・出産・離婚を経て、2025年7月現在、小5(10歳)の息子と2人暮らしをするアラフォーのシングルマザー。2023年4月に社会福祉士養成課程のある通信制養成校に入り、2024年9月に卒業。現在はライター業を続けている。