ソロデビュー40周年、難病復帰から5年、還暦を過ぎても純白のドレスに違和感のないシンガー・ソングライター岡村孝子の人生の応援歌「夢をあきらめないで」
2024年6月、よこすか芸術劇場で開催された「OKAMURA TAKAKO CONCERT 2024 T’s GARDEN」に行った。急性骨髄性白血病という、昔だったら不治の病とされた難病を患ったが、復帰してコンサートもできるようになっていた。連れだった友人の推しもあったが、私はよこすか芸術劇場が好きで、定期的に行くホールだ。
岡村が難病を発症したのは57歳の時。新しいアルバムのレコーディング中に顔が変わるほど歯茎が腫れ、肩こりや腰痛に悩まされるようになった。仕事の疲れだろうと軽く考えていたが、旅行中の散歩で、突然足がつって歩くのも儘ならなくなった。健康診断に行く大学病院で血液検査を受けたところ、白血球の数値が基準の半分にも満たなかった。翌週も精密検査を受け診断されたのが、「急性骨髄性白血病」だった。10万人に2人という難病。今まで病気とあまり縁のなかった自分が、どうして?!という衝撃だったという。
病名を公表し、抗がん剤治療を受けた後、臍帯血移植の手術を受けた。以前同じ難病を体験した女子プロゴルファーから闘病生活のことを聞いたことがあったが、筆舌に尽くしがたい苦痛が伴う。何もなかったように笑顔でステージに立っているが、無菌室の辛い治療も想像できた。乗り越えられたのは、回復を願うファンから届いたたくさんの手紙や千羽鶴などのメッセージで、もう一度みんなの前で歌いたいという執念だった。
そして長期休養から約3年後2021年9月、ソロデビュー35周年と復帰を伝えるコンサート「Hello Again!」で、ステージに立った。けれども「コロナ禍」の真っ最中だったので、観客数も制限された。それから毎年、ステージの数を少しずつ増やしていき、昨年は千葉、北海道、神奈川、兵庫、広島、青森、岐阜、愛知、大阪、東京と10ケ所で元気な姿をみせた。
ステージに現れた岡村は、ふわーっとしたイエローの明るいドレスがとてもお洒落で、会場から、「かわいーい!」と声がかかると、「もう一回お願いします!」と返すところなど、茶目っ気があって微笑んでしまう。髪型も若いころから変わらないセミロングのストレートで、年齢のことを言ったら失礼だが、とても齢60を超えているとは思えない。美少女がそのまま大人になった歳の重ね方だ。ステージを左右に歩き2階、3階の観客に向かって大きく手を振りながら歌い続けてくれた。休憩では男子トイレが長蛇の列だった。
「夢をあきめないで」はいつ歌ってくれるのかなと思っていたら、イントロが始まった瞬間大きな拍手が起こった。観客も待ちに待っていたのだ。何度も聴いて元気をもらう曲だが、生の歌声を聴くのは初めて。「負けないように 悔やまないように あなたらしく輝いてね……」と懸命に歌う岡本を見ていたら、目頭が熱くなってしまった。この曲は、自分のもとを去っていく恋人に、悲しい気持ちと恨めしさをこらえて「頑張って輝いて」と送り出し、挫けそうになる自分を励ます失恋ソングだった。ところが、曲が独り歩きして、人生の応援歌になっていった。中学の音楽の教科書にも採用され、卒業式に歌われることも多いという。玉山鉄二主演の映画『逆境ナイン』(2005)では主題歌にもなった。
もともと岡村は同じ大学に通う加藤晴子と大学2年生の時に、デュオ「あみん」で1982年にデビューした。前年の81年にヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)でグランプリを獲得して、そのとき歌った「待つわ」がデビュー曲になった。
82年といえば、「花の82年組」といわれる中森明菜、小泉今日子、松本伊代、早見優、堀ちえみ、石川秀美、シブがき隊などがデビューした年だ。『Can Cam』(82年 小学館)、『Olive』 (82年 平凡出版・現マガジンハウス)、『ViVi』(83年 講談社)、『Ray』 (83年 主婦の友社)と、20、30代をターゲットにした女性誌が次々と創刊され、そのなかで、「女子大生」というブランドができた時代だ。さらに、83年4月に放送を開始した「オールナイトフジ」に出演している女子大生たちは、「オールナイターズ」と称され、「女子大生ブーム」が起きた。
そんな潮流の中、「あみん」の二人は華やかな女性誌の女子大生とは一線を画し、むしろ対極にあった。純朴で控えめで一生懸命な二人だった。それが新鮮だった。「待つわ」は、離れていった恋人が、(ほかの誰かに)ふられるまで待つという情念の深さを、さわやかなハーモニーで清々しく歌い、予想をはるかに超える大ヒットになった。「ザ・ベストテン」でランクインし、82年のオリコン年間売り上げ1位、その年の紅白歌合戦にも初出場した。
目まぐるしく変わる環境についていけなくなった二人は、「待つわ」「琥珀色の想い出」「心こめて 愛をこめて」「おやすみ」の4枚のシングルと、『P.S.あなたへ…』『メモリアル』の2枚のアルバムと鮮烈な記憶を残し、1年半で「あみん」は解散した。
余談ではあるが、4枚のシングルの編曲は萩田光雄。萩田は布施明の「シクラメンのかほり」、太田裕美の「木綿のハンカチーフ」、中島みゆきの「ひとり上手」、中森明菜「セカンド・ラブ」「少女A」、山口百恵の「横須賀ストーリー」、久保田早紀の「異邦人」などを挙げればキリがないが、天才アレンジャーといわれる数々のヒット曲の仕掛け人だ。デュオの「あみん」は、岡村がファンだったさだまさしの楽曲「パンプキン・パイとシナモン・ティー」に出てくるカフェ「安眠」からつけたという。
解散後一度故郷に戻ったが、アマチュアでもいいから自分の曲を聴いてもらえるような活動をしたいと、曲を書きはじめていたらレコード会社から声がかかり、85年にソロデビューとなった。「風は海から」「今日も眠れない」、来生たかおが歌唱した「はぐれそうな天使」、「夏の日の午後」とシングルをリリースし、5枚目の「夢をあきらめないで」を1987年2月4日にリリースした。ソロとしてデビューしたばかりの頃は、「あみん」の片割れというみられ方だったのが、シンガー・ソングライター、岡村孝子として認められ、彼女の代表曲になった。
さらに、岡村のつくる楽曲が、若い会社勤めの女性の気持ちを代弁したような曲が多く、90年代になると「OLの教祖」と言われるようになった。特に、通勤電車をテーマにした「電車」の曲の一節など私のことを歌っているじゃないのと、深くうなずいてしまった。
岡村には良家の子女の雰囲気と、素朴で飾らない清潔な美しさがあったことも、「教祖」といわれ敬意を払われる要素だったような気がする。
岡村孝子の最愛のお嬢さんも、「夢をあきらめないで」から生まれたと言っても過言ではない。名曲は、人生の応援歌なのだとつくづく感じる。そしていつまでも変わらぬ美少女然とした姿を見せ続けて欲しい。
文=黒澤百々子 イラスト=山﨑杉夫