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圧巻の野外ライブで白けた若者を鼓舞し目覚めさせた、誰でもヒーローになれるというメッセージが熱い!甲斐バンド「HERO(ヒーローになる時、それは今)」

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圧巻の野外ライブで白けた若者を鼓舞し目覚めさせた、誰でもヒーローになれるというメッセージが熱い!甲斐バンド「HERO(ヒーローになる時、それは今)」

 
 「HERO ヒーローになるとき、アーハーそれは今……」や、「アンナ―ァ、お前の愛の灯は…」とボーカルの甲斐よしひろが歌うその姿と歌詞に、魂を揺さぶられ、知らないうちにのめり込んでいた時代があった。半世紀近く経ても、聴くものを鼓舞する甲斐バンドは、昭和を代表するロックバンドである。彼らのステージを見ていれば、自然とスタンディングして、こぶしを挙げ、高揚してくる。そして甲斐が書く文学的な詞にどっぷり浸かって聴きいってしまう。

 甲斐バンドはテレビ出演を拒否し、ファンに直接音楽を届ける「ライブ」の場を何よりも重んじていた。音楽の聖地「日本武道館」ばかりではない。箱根芦ノ湖畔の箱根ピクニックガーデン(現・富士芦ノ湖パノラマパーク)の野外ライブ(80)、東大阪の「花園ラグビー場」で日本人アーティスト初のライブ(81)、西新宿の高層ビル街の大規模な野外イベント(83)など、前代未聞のライブは、スケールだけではない数々の伝説を生み出してきた。無気力、無関心、無責任の白け世代の若者を目覚めさせたような存在だった。

 甲斐バンドは、数々のアーティストを輩出した「日本のリバプール」と言われる福岡で、甲斐よしひろ(ボーカル)を中心に、長岡和弘(ベース)、松藤英男(ドラム)、そこにギタリストの大森信和が加わる形で誕生した。福岡出身のアーティストといえば、チューリップ、海援隊、長渕剛、今では俳優の比重が高い陣内孝則らがメジャーになる前、必ずと言っていいほど、出入りをしていた天神のライブ喫茶「照和」に甲斐バンドも出演していた。人気を博しその勢いで、文化放送「ハッピー・フォークコンサート」の全国大会で優勝する。それをきっかけに1974年5月、4人は上京し11月には、東芝EMIから「バス通り」でデビューした。当時はフォークブームの全盛期で、この曲もどちらかというとフォーク寄りで、本来の甲斐バンドとは違う趣だ。そしてその年の12月に神田共立講堂でデビューコンサートを行うが、前座ゲストのチューリップのステージが終わると多くの観客が帰ってしまい、残された客席に向けて演奏するという屈辱的なスタートだった。

 翌年2枚目のシングル「裏切りの街角」は、夜のプラットホームの悲しい別れの風景と甲斐のハスキーボイスが融合した新鮮なサウンドだったのだがリリース直後は今一つ。全国の楽器店やライブハウスを地道に回る活動を続け、有線放送や口コミで全国に拡がり、累計75万枚というスマッシュヒットを飛ばした。その後アルバムはある程度売れるものの、シングルのヒットは遠い存在だった。そんなとき服部時計店(現・セイコーホールディングス)のCMタイアップのオファーが舞い込んだ。このタイアップ曲こそが昭和の音楽史に残るミリオンセラー「HERO(ヒーローになる時、それは今)」(1978年12月20日リリース)である。

 このプロモーションがすごかった。1979年1月1日の午前0時0分(除夜の鐘が鳴り終わった瞬間)、NHKを除くすべての民放テレビで、一斉に甲斐バンドの歌う「HERO」がCMでオンエアされたのである。前代未聞のメディアジャックである。大晦日から元旦に変わる視聴率がもっとも高い1分間に勝負をかける。「あけましておめでとう」の新年のあいさつが、CMに変わった。下世話な話だが電波代も半端じゃない。しかもCMの映像は、極寒のニューヨークのビル街や地下鉄でメンバーが演奏するスタイリッシュなものだったから制作費も破格だろう。広告代理店とセイコーの宣伝担当者そして、「テレビ拒否を貫くロックバンド」の奇跡のコラボレーションは見事に成功し、2月後半にはチャート1位に上り詰めた。

 こうなると放っておかないのが、歌番組「ザ・ベストテン」である。度重なる出演交渉が功を奏し、甲斐よしひろが担当していたNHK‐FM「サウンド・ストリート」の公開録音スタジオの現場に、TBSにカメラが入るという形で、79年3月15日放送の「ザ・ベストテン」に、一度限りの生出演となった。しかもTBSのスタジオに行くのではなく、レコーディングスタジオからの中継で、車座になったファンの前での熱唱だった。「HERO」の大ヒットは、人気バンドからモンスターバンドへと押し上げた。だれもやったことがないライブ会場で、アッと驚かす大規模なライブになっていったが、根底にあったのは、ファンと直接つながることだった。

 「HERO」から4年後の1983年8月7日、当時再開発の途上で空き地になっていた現在の都庁がある場所で、開催された「THE BIG GIG」は、伝説のライブだ。チケットを持たないで、周囲の歩道やビルから見下ろすような観客も含めると3万人の聴衆と言われている。このライブは、アルバム・ビデオ、TV放送など様々なメディアで再現されるまさに甲斐バンドの集大成とも言えるライブになった。しかし、常に新しいこと、スケールの大きなことに挑戦してきた彼らは、この「THE BIG GIG」で燃え尽き症候群になってしまったのだろうか。ギタリストの大森が体調を崩し休業。1986年3月、甲斐バンドの解散を発表し、同年6月23日から5日間日本武道館でのライブを開催し6月27日、活動の一時終止符を打った。

 甲斐バンドのコンサート・ツアーに足を運んだ若者たちを取材した水岡隆子著の『生きることを素晴らしいと思いたい ─コンサート・ツアーの12万人』(福音館書店)では、数々のファンの言葉と、熱気を帯びた若者の表情がモノクロの写真で構成されている。その中のある広島の男性3人の声である。

── 見とってすっごくカッコいいし、常に妥協しないじゃない。いつも新しいもんやりたがるでしょう。そういうところが好きなんだよね。

── 甲斐さんの言う一言ひとことに説得力があって、甲斐さんの生き方というのは、常に前向きで、落ち込んでも這い上がる。

── 甲斐バンドいうたら、〝俺らの青春〟。支えにして少しは自分が大きくなれたんじゃないかな。

 86年の解散を、甲斐は「それぞれがソロ活動へと向かい、またいつか一つになるための『合流』である」とファンの前で言い残した。その約束を守るように1996年10年ぶりに再結成した。メンバーの大森が帰らぬ人となり、最後の全国ツアーを発表し、2009年日本武道館で再びバンドは幕を下ろすはずだったが、全国の凄まじい熱気を肌で感じたメンバーは、「解散」という形に縛られるのをやめた。2024年には結成50周年を迎え、2025年秋には日本武道館でライブも成功させ、今年の10月には甲斐よしひろのソロツアーが予定されている。

 ライブのステージから、生きる喜び、生きる勇気をもらい、甲斐バンドをともに半世紀を過ごした人も多いことだろう。甲斐バンドはまだまだ終わらない。

 

文=黒澤百々子 イラスト=山﨑杉夫

参考:水岡隆子著『生きることを素晴らしいと思いたい ─コンサート・ツアーの12万人』(福音館書店)

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