5%超の賃上げ時代に突入、企業が迫られる人事制度の再設計とは
この数年間は賃上げ(ベースアップ)の頻度が高く、さらに賃上げ率も急激に上昇しています。中でも若手層のベースアップは企業側から見ても刺激的に感じるほどです。 こうした動きに呼応するように人事制度の見直しを行う企業が増えてきました。以前であれば人事制度は10年に1度でも改定すれば十分と考えられていました。それだけ報酬や評価といった人事制度の骨格となる項目が変わらなかったということです。 ところが状況は変わってきており、人事制度も頻度高く、急激な変更が行われるようになりつつあります。本記事ではこうした賃上げと人事制度のトレンドについて考察します。 出典:2026年の経営課題「人材強化」が90.2%と突出 経営課題に取り組むうえでの障壁、「人材・ノウハウ不足」の解消が鍵|PR TIMES(https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001280.000043465.html)
約30年ぶりの賃上げ局面で、企業が直面する「制度と報酬のズレ」
2024〜2026年にかけて、日本では約30年ぶりの高い賃上げ局面が続いています。2026年春闘の賃上げ率見通しは平均5.12%。労働組合の要求は平均約5.9%。2024年からの賃上げ局面の中で「要求は6%前後 → 実際は5%台で着地」という構図が定着しています。加えて大企業は満額回答が相次ぎ、中小企業も追随する動きです。
2000年代初頭は賃上げ率がゼロに近く、2010年以降に2%へ上昇したと話題になりました。当時と比較すれば大きく状況が変わっていることが分かります。こうした大幅な賃上げ時代の到来とともに、企業各社が人事制度の見直しに着手し始めていることを現場でも感じています。人事制度の見直しに関する問い合わせが急増しているからです。
先日も中堅の製造業から「20年ぶりに人事制度を見直し、大幅な賃上げと連動したい」と相談をいただきました。急激に業績が回復し、新規採用を増やしたいが応募者が集まらない。業界比較を行ったところ、報酬に魅力がないことが判明し、ある程度の賃上げを行う必要があると痛感しているとのことです。ただし、「一律の賃上げでいいのか?一律では大した賃上げ額にならないかもしれない。頑張った人が報われる形にするには人事制度も変える必要があるのではないか?」との考えから、相談をいただきました。
同じように賃上げをきっかけに人事制度の見直しに関する問い合わせをいただく機会が増えています。ただ、多くの企業で「賃上げと人事制度の見直しをどのように組み合わせて考えるべきか?」を整理できていないのが実情です。そこでまずは人事制度と賃上げの役割の理解から始めましょう。
賃上げと人事制度が一体で語られるべき理由
まず賃上げと人事制度は、しばしば別々のテーマとして語られがちでした。背景には、日本特有の雇用慣行や経営思想が深く関わっています。主な理由は人事制度が「年功・安定」、賃上げは「生活保障」という役割分担で捉えられてきたからです。
日本の人事制度は経験と職能を前提として設計されていました。一方、ベースアップ(ベア)などの賃上げは、物価上昇や生活費の補填、あるいは「その時の生活を守る」手段と考えられてきました。しかし実際には、両者は企業経営の根幹で密接に結びついており、一方の設計が他方の効果を大きく左右する関係です。
とりわけ近年の日本企業は、インフレ圧力や人材不足、政府による賃上げ要請などを背景に、賃上げの重要性が急速に高まっています。その中で社員は「単なるベースアップ」にとどまらず、人事制度と一体で設計することを求めるようになりました。
こうした声に応えるためにも、企業は賃上げを人材の確保・定着、モチベーション向上、生産性の向上といった複合的な経営課題への打ち手として位置付ける必要があります。一律的・短期的に賃上げを行うだけであれば、その効果は限定的になりやすいという課題もあります。いわゆる、「頑張れば報われる状況だから頑張れる」という状態にならなければ、賃上げの持続的な効果は期待しづらいです。
そこで人事制度が重要な役割を担います。すなわち、賃上げの配分や持続性を担保するための「ルール」として人事制度が機能します。ただし、従来の人事制度では十分な役割を果たせない可能性もあるでしょう。
賃上げの「質」を高めるために、業績連動型・ジョブ型への移行
日本企業の伝統的な人事制度は、年功序列や終身雇用を前提としたものであり、賃金も勤続年数に応じて上昇する仕組みが主流。このままでは成果と報酬の連動性は不十分で企業全体の人件費は増加するものの、個々の生産性向上や挑戦意欲の喚起につながりにくいのは明らかです。そこで、賃上げと連動しつつ、効果的に機能する人事制度に改定する企業が増えています。
具体的には年功序列や終身雇用からの脱却を目的に、業績連動型・ジョブ型への改定を検討・実施する企業が増えています。これらの制度では、業績や職務・役割の大きさに応じて報酬が決定されるため、賃上げも「どの職務・どの人材に重点的に配分するか」という戦略的な意思決定と結びつきます。
例えば、デジタル人材や高度専門人材といった市場価値の高い人材には、競争力のある水準まで報酬を引き上げるケースが大半です。一方で、従来型の業務では効率化や自動化を進めることで、人件費全体の最適化を図る動きが強まっています。このように、人事制度が変わることで賃上げの「質」が変わることになります。
評価・育成・経営戦略と一体で進める賃上げ
また、賃上げと評価制度の整合性も極めて重要です。仮に高評価の人材とそうでない人材の賃上げ幅に差がなければ、評価制度そのものの信頼性が損なわれます。逆に、評価結果が報酬に適切に反映される仕組みがあれば、社員は自身の努力や成果が正当に報われると認識し、エンゲージメントが高まるでしょう。したがって、賃上げを実施する際には、評価制度の透明性や納得感を高める取り組みも同時に進める必要があります。
さらに見落とされがちなのが、賃上げと人材育成の関係です。持続的な賃上げを実現するためには、企業が生み出す付加価値を高めることが不可欠であり、その源泉となるのが人材の成長です。
人事制度において、スキル習得やキャリア開発が報酬と連動する仕組みを設けることで、社員は自己投資を積極的に行うようになります。例えば、特定のスキルを習得した際に手当を支給する、新たな役割に挑戦することで報酬が上がるといった設計が考えられます。こうした仕組みは、賃上げを単なるコストではなく「投資」として位置づけるうえで有効です。
一方で、賃上げには企業の収益力という制約も存在します。無理な賃上げは財務体質を悪化させ、結果的に雇用の安定を損なう可能性もあるでしょう。そのため、賃上げと人事制度は、経営戦略や事業ポートフォリオとも連動させる必要があります。
高付加価値事業へのシフトや価格転嫁の推進、生産性向上の施策といった取り組みと一体で賃上げを進めることが重要です。人事部門は単なる制度設計にとどまらず、経営の中枢としてこれらの戦略を統合する役割を担うべきでしょう。
公平性と競争力を両立させる、賃上げ・人事制度の設計
最後に、賃上げと人事制度の関係を考えるうえで重要なのは、「公平性」と「競争力」のバランスです。社内の公平性を重視しすぎると、外部市場との乖離が生じ、優秀な人材を確保できなくなります。
一方で、外部市場に合わせすぎると、社内の納得感が失われる。このトレードオフを乗り越えるためには、報酬の考え方や制度の意図を丁寧に説明し、社員との対話を重ねることが不可欠です。
総じて言えば、賃上げは単独で成立する施策ではなく、人事制度という「設計図」と組み合わせることで初めて効果を発揮します。今後の日本企業は、賃上げを契機として人事制度全体を見直し、戦略的人材マネジメントへと進化させていくことが求められます。それこそが、持続的な成長と競争力強化を実現するための鍵となるでしょう。
執筆者:株式会社セレブレイン 高城 幸司