衛星生中継された真夏の夜の祭典「ライブ・エイド」|ビートルズのことを考えない日は一日もなかったVol.35
1985年7月13日、過去に前例のない大規模なイベント「ライブ・エイド」が開催された。「ライブ・エイド」とはエチオピアの飢餓救済を目的として、前年暮れにイギリスのアーティストが集結してバンドエイド名義でリリースした「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」に端を発し、その後アメリカ版のUSA・フォー・アフリカ「ウィ・アー・ザ・ワールド」を経て、世界レベルで発展したチャリティコンサートのこと。
貴重なポスターが所狭しと飾られている店内
その「ライブ・エイド」には「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」「ウィ・アー・ザ・ワールド」のシングルに参加した英米のミュージシャンをはじめ、趣旨に賛同したミュージシャンが多数参加。イギリスはロンドンのウェンブリー・スタジアム、アメリカはフィラデルフィアのJFKスタジアムの二か所同時開催による16時間に及ぶコンサートの模様は、世界中に衛星生中継され、日本ではフジテレビが夜9時から翌日正午まで15時間にわたり放送した。そんな前代未聞のイベントにポールが出る、しかもビートルズ再結成かと噂が流れていたので、当日はほかのことをそっちのけで夜を徹しての「ライブ・エイド」鑑賞となった。
ポール目当てではあったけど、海外アーティストのライブが生中継されるなんてことは有り得ないことだったので、67年の『アワ・ワールド』みたいなものなのかな、なんてことを想像しながらその日を待った。はたして「ライブ・エイド」の情報を最初に知ったのはいつだったのだろうか。一ヶ月以上前から告知されていたというような記憶はなく、せいぜい1週間から10日くらい前に新聞かなにかで知ったのだと思う。
ビートルズの再結成に関しては、冷静に判断して現実的ではないだろうなと捉えつつ、とにかくポールのシーンを生で見てビデオに収めること、6時間のビデオテープに15時間の放送をどうやって収めるかに頭を悩ませた。ポールの出番がいつなのか出てくるのかわからない。そうなると、常にテレビの前でスタンバイして適宜録画していくしかないという結論に達し、万全を期して当日を迎えた。
夜9時にフジテレビにチャンネルを合わせて最初に飛び込んできたのはスタイル・カウンシルの演奏シーン。曲は「ビッグ・ボス・グルーヴ」。いよいよ!と気持ち高まった瞬間、フジテレビのスタジオからアナウンサーによる募金の説明が始まり、そのままCMへ。ポール・ウェラーの姿がブラウン管に映ることはなかった。NHKではなく、フジテレビで放送と聞いたときからバラエティ色の強い中継になるのかなとは思っていたが、不安な予感は的中。衛星中継よりもスタジオでのやりとりに重点が置かれ、ライブが見たいのにゲストとのトークが優先されるような構成になっており、ほかにも中継の不具合や唐突な募金の案内、不要な同時通訳、混乱している現場など、観ている方としてはストレスがたまるばかりの番組であった。
ポールが出てくる前に印象に残ったアーティストは、U2、エルヴィス・コステロ、デヴィッド・ボウイ、ザ・フー、スティング、そしてクイーン。クイーンは2ヶ月前に日本武道館でライブを観たばかりで、その興奮が残っていたのであれが再び生中継というかたちで味わえたのは嬉しかった。その後映画でも完全再現された「ライブ・エイド」のパフォーマンスは今見ても鳥肌が立つほどの感動がある。ほかではレッド・ツェッペリンの再結成も忘れられない。今ではヨレヨレの演奏なんて言われるこのときの演奏だけど、ロバート・プラントとジミー・ページ、うしろにいるジョン・ポール・ジョーンズを見たときはたいそう驚き感動したものだった。
ポール歌唱時に起こった音声トラブル
ポールが登場したのは、明け方の5時か6時くらいだっただろうか。うかつにもその直前に寝落ちしてしまい、ふと目を覚ますと夕闇のなか、引きの絵の中でピアノの前に座るポールの姿が映った。しまった!まずい、録画しなければと焦ってビデオデッキの録画ボタンを押したら録画停止になってしまった。録画状態のまま寝ていたのだ。すぐに録画開始したが、あとで見直したら逸見政孝と南こうせつの前説はちゃんと入っているのに、ロンドンに画面が切り替わってからの30秒ほどが切れてしまっていた。なんという不覚。
この日ポールが歌ったのは「レット・イット・ビー」。期待されたジョージとリンゴの姿はなく、ソロでピアノの弾き語り。トリにしてはいささか寂しい気がしたのも束の間、ポールの声が聞こえない。マイクがオフになっているのか、スタッフが間違えてシールドを抜いてしまったのか……。原因は不明だが、トラブルが発生していることはポール自身も気づいているようで、焦り気味の中で平静を取り繕いながら必死に歌っているのが伝わってきた。目の前に5万人以上の大観衆がいて、ブラウン管の奥には何十億という視聴者がいるというなかでの非常事態に、ポールの頭のなかはパニックになっているに違いない。大丈夫か、と心配していると、2コーラス目からマイクがオンになり、会場が沸いたあとステージにボウイ、ピート・タウンゼンド、アリソン・モイエットが登場。ライブパフォーマンスは5年半ぶりとなる一人ぽっちのビートルをコーラスでサポートし、トリに花を添えた。
「レット・イット・ビー」の後は出演者すべてがステージに登場して「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」を合唱。この画が壮観だった。イギリスのポップミュージックを代表する面々、フレディやスティング、ボノ、ジョージ・マイケルが並ぶなかポールは一列下がったところでリンダとボウイと肩を組み踊っている。なかなか見ることのできない、微笑ましいシーンといえる。
残念だったのは、最後のシーンでポールの姿が見られなかったこと。明らかにポールの声のシャウトが聞こえているのに、カメラが上空からのアングルに切り替わってしまい、見せ場が映ることはなかった。なんとも残念。ポールにとっては不運に見舞われた「ライブ・エイド」だったが、80年代の活動を振り返るうえでは欠かせない重要な一日であったことは間違いない。
『ロッキング・オン』に掲載された「ライブ・エイド」批評
その後もアメリカ会場からのライブが続き、デュラン・デュランやホール&オーツ、ミック・ジャガーのソロ、キースとロンを従えてのディランなどを見ることが出来たが、ポールで集中力が途切れてしまい、それらのパフォーマンスはほぼ記憶にない。ラストの「ウィ・アー・ザ・ワールド」もロンドンほど盛り上がっていなかった気がする。いささか散漫な印象。いや、「ウィ・アー・ザ・ワールド」の途中でちょうど12時になり、中継が切られて唐突に『ドレミファドン』の放送が始まったのだった。
途中寝落ちはしてしまったものの、トータル15時間に及ぶ生視聴を終えた後はまるでアスリートが競技終了後に味わうような達成感があり、自分が出演したわけでもスタッフとして参加したわけでもないのに清々しい気分にさえなったものであった。同時にポールをはじめとする多くのミュージシャンのライブを観られたことに対する満足感と、歴史的現場に立ち会えたような喜びがあった。いいイベントだった。そんな感動を後日友達と共有するなどして盛り上がった。が、しばらくして出た『ロッキング・オン』を読み暗澹たる気持ちになってしまった。
冒頭の投稿ページで「ライブ・エイド」への違和感を記した原稿が掲載されたのだ。以前から同誌はロックというお題目の下でチャリティが行われることは偽善であるとして、徹底的に批判する姿勢を貫いていた。当時のわたしは熱烈なロッキング・オン愛読者であり、渋谷陽一崇拝者だったので、安易なヒューマニズム批判に同意し、共感もしていた。誰もが了解できる正義によってどうにかなるものならば、2千年も前からこの世界はとっくにどうにかなっているはずであるという、渋谷陽一の原稿に大きくうなずいていた、それなのに「ライブ・エイド」では、ポールが出るからという餌につられ、うっかりメディアに乗せられてしまった自分を猛烈に恥じた。