【感動】普通の大学生がサーカスに入団して4年目 → 兵庫県姫路市で中学野球部のコーチになって…泣いた / 木下サーカスの思い出:第14回
世界一のサーカスを目指し、ごく普通の大学生が木下大サーカスに入団して2年目の冬。京都・梅小路公園の夜は死ぬほど寒かったが、公演後のテントでは地獄の練習がいつも通り行われていた。そして……
銭湯で練習仲間から「夢は何か?」と問われ、その場のノリで「野球選手」と答えた結果……なぜか本気で受け止められ、厳しい練習後に1人でバットを振り続ける生活が始まった。というのが、これまでのあらすじである。
冗談半分で語った夢が、気づけば本気の挑戦へと変わっていく。そのスイッチが入ると、物語は思わぬ方向へと転がり始めたのだった。
・サーカス団員の夢
木下サーカスは京都から名古屋、岡山、松山へ。厳しい日々を重ねるうちに、舞台に立たない私もマットの上でバク転ができるようになっていた。
世界三大サーカスの舞台で披露できるような華麗な技ではないが、残業中の営業社員が舞台をのぞくたびに得意げにバク転を披露するのがちょっとした恒例に。
10代の彰吾はさらに難しい「前方宙返り」もマスター。たまに頭から落下して夜の舞台に笑いが起こることもあったが、怪我ひとつなく立ち上がる姿には若さと勢いがあった。
そんな汗と笑いにまみれた日々が、練習生たちを着実に強くしていったのである!
そして練習後半、彰吾とマ〜シ〜が「オープニングショーのアクロバット」のデビューを目指してトランポリンやシルクを使ったパフォーマンスを磨く一方で、私は、ブンッ! ブンッ! とただひたすら野球のバットを振っていた。
・話題のチームに入りたい
目標はテレビで見かけた「茨城ゴールデンゴールズ」に決めた。タレント・萩本欽一さんが低迷する野球界を盛り上げるために立ち上げたばかりの社会人野球チームである!
2005年に創立され、2007年に全日本クラブ野球選手権で優勝。「欽ちゃん球団」としてメディアで大々的に報じられ、当時は人気・実力ともに絶頂のアマチュア球団だった。
ここに入団すれば超満員の球場で野球ができる。もしかしたら「サインをください」と言われる日が来るかもしれない……! そんな妄想を胸に、私はサーカス流の野球トレーニングに取り組むことにした。
・サーカス流の夢の叶え方
サーカス内に野球経験者はゼロ。だからこそ、あるもので工夫するしかない。
まずは音響・照明器具を入れるコンテナを改造してトレーニングジムに。単管(鉄パイプ)で即席ベンチプレス台を組んで、公演の合間に80キロのバーベルをひたすら上げ下げした。
そして設営作業で使う5キロのハンマーをバット代わりにして振り回し、廃材置き場で拾ったタイヤをサンドバッグ代わりに叩き続けた。オリャアアアアア!
もともと野球の実力があるわけではない(大学時代は落語研究会に所属)し、野球が上手くなっている実感もゼロだが……仲間は空中ブランコや古典芸に挑戦しているのだ。負けるわけにはいかねええええ!
・兵庫県姫路市へ
そしてサーカスは愛媛県松山市から、次の街・兵庫県姫路市へ。
世界文化遺産・国宝姫路城の玄関口である大手前公園に巨大なテントを設置し、約2カ月半の公演が幕を開けた。白鷺城を背にした舞台は、これまでの街とはまた違った緊張感と華やかさがあった。
その頃には、練習仲間のマ〜シ〜は「オープニングショー」で華麗にアクロバットを披露するまでに成長していた。あの頃、汗と泥にまみれて頑張っていた仲間が、今は観客の大拍手を浴びている。感慨深いものがあった。
・キャッチボールがしたい
一方の私はというと「せめて誰かとキャッチボールがしたい」という思いが募っていた。考えた末、近くの中学校へ向かい、職員室の扉をノックした。
「サーカスで働いています。野球部の指導をさせてください!」
「冬休みはあまり活動していませんが、ぜひ!」
──と、教頭先生が意外なほど快く受け入れてくれた。ただ、姫路公演は12月中旬から2月下旬。部活は冬休みでほぼ休止状態になるという。
それでも部員の1人、タイゾウくんは野球推薦での高校進学を目指していて、寒空の下でひとり黙々と練習を続けていた。
互いに「孤独な練習生」という共通点があったからか、すぐに意気投合。休演日は彼とキャッチボールをして汗を流すことに。たった2カ月という短い時間だったが、心から野球を楽しんだ時間だった。
・サプライズ
2007年2月、姫路公演はラストを迎えようとしていた。最後の休演日、いつものようにタイゾウくんとキャッチボールをしていたら、グラウンドに部活の先生……ではなく、彼のお父さんが現れた。
「あなたが毎週、うちの息子に野球を教えてくれたんですね」
練習に付き合ってもらったのは私の方だが、その日の練習後に『停主』という姫路おでんの名店に連れて行ってもらう流れに。いざお店を訪れてみると、湯気の向こうに……なんと野球部の保護者のみなさんが勢揃いしているではないかーー!
「私はこれまで自分の仕事が休みの日でさえ、1度も息子とキャッチボールをしたことがありませんでした。それなのにあなたは貴重なお休みを使って息子に付き合ってくれた。本当にありがとう。今日は私たちがご馳走します!」
マジかよ! サーカスの裏で始めた冗談半分の夢が誰かの役に立っていた。ビールを飲みながら、焼き鳥を頬張りながら、私ははじめて自分の挑戦に意味を見つけた気がした。
また、野球を通じて人とつながる喜びを感じた夜だった。サーカスのテントの外でこんなにも心が満たされる瞬間があるとは……最高過ぎるだろォォオオオ!
・サーカスの足跡
──出会いはいつも別れとセットでやってくる。移動日を迎えれば、テントは跡形もなく消え、街は何事もなかったかのように元通りになるのだ。
タイゾウくんとの約束も、おでん屋での温かい時間も、すべてはサーカスが残していく “足跡” になる。その足跡が誰かの人生をほんの少し変えているなら……バットを振り続ける意味はあるのかもしれない。もっと振ります、バット。
そしてサーカスは、また次の街へと旅立っていく。
・立川公演 開催中
──というわけで、今回はここまで。 11月15日に開幕した木下大サーカス東京・立川公演は「立川立飛特設会場」で2026年2月23日まで開催される。出会いと別れを繰り返しながら旅を続けるサーカス。その足跡を立川の街でも確かめてみてほしい。それではまた次回!
参考リンク:木下サーカス
執筆:砂子間正貫
Photo:RocketNews24.