願いを天へ。京都「京の七夕」で年に一度の願いごと、清水寺のお焚き上げレポート
「京の七夕」は、旧暦の七夕にあたる8月に京都府内で行われる現代版・七夕まつりです。特徴は、各地から寄せられる約2万枚もの「願いごと」短冊が世界遺産・清水寺で厳かに焚き上げられること。京都で願い、天へと届ける——京都ならではの行事です。
今回はそんな「京の七夕」について、七夕の由来も交えながら紹介します。また、2025年9月に清水寺で行われた「願いごと」短冊のお焚き上げについてもレポート。さまざまな願い、希望が託された短冊の行く末を取材しました。
伝統産業や着物と融合した京都ならではの「京の七夕」
京の伝統産業や着物文化と融合させた七夕まつり「京の七夕」は毎年8月、京都府内で行われています。
ー「京の七夕」オリジナルの五色の短冊
期間中は「京の七夕」公式WebサイトやSNSで七夕にまつわるイベントや、七夕をモチーフにした京菓子などの販売店が紹介されるほか、Web上では塗り絵ができる七夕飾り「紙衣」の型紙がダウンロードできるなど、さまざまな企画が実施されます。
ー願い箱
中でも人気が高いのは、「願いごと」の短冊です。
イベント会場やホテルのフロントなどに設置された「願い箱」に、「京の七夕」オリジナル短冊に願いごとを書いて投函するもので、子どもから大人まで誰でも気軽に無料でできます。願いごとの募集は毎年7月から8月末まで。
※設置場所により期間が異なります。
ちなみに、「京の七夕」オリジナル短冊にも記されている「京の七夕」の書は、臨済宗相国寺派の管長で、京都仏教会理事長でもある有馬賴底(ありまらいてい)大老師によるもの。力強くも、のびやかで優雅さを湛えた揮毫にもご注目ください。
七夕は、先人たちの想いが育んだユニークな行事
七夕の風習は7月7日に織姫と彦星が天の川で会う恋物語として有名ですが、実は現代の形に至るまでさまざまな移り変わりがあったことをご存知でしょうか。
七夕は牽牛星(けんぎゅうせい)と織女星(しょくじょせい)が7月7日に会う中国の伝説から生まれた行事ですが、中国では同日、女性が庭に果物などを供えて7本の針に糸を通し、裁縫の上達を祈る「乞巧奠」(きっこうてん)という習わしがありました。
ー笹に吊るされた「京の七夕」短冊
これが日本へ伝来し、やがて平安期になると貴族たちは庭に「星の座」という祭壇を設けて、詩歌や管弦、裁縫などの技芸上達を祈願するようになります。
今も伝わる冷泉家の「乞巧奠」についてもっと詳しく知りたい方は「京の七夕」webサイトへ
◇京の七夕「七夕のおはなし
https://kyonotanabata.kyoto.travel/story/
もともとは「しちせき」と呼ばれた「七夕」を「たなばた」と読むようになったのは日本の「棚機女」(たなばたつめ)の伝説が影響しているという説もあります。
棚機女は古事記の神話に登場する女性で、水神を迎えるために美しい「神衣」(かむみそ)を織った人と伝えられています。この棚機女と、中国の牽牛と織女の伝説とが重なり合い、「七夕」が「たなばた」と呼ばれるようになったようです。
さらに江戸期には幕府によって七夕が五節句の一つと定められ、寺子屋の増加と共に、七夕で習字や習い事の上達を願う庶民が増えていきました。旧暦7月7日がお盆の始まりと捉えられていたことから、七夕はお盆行事とも結びついたともいわれています。
ちなみに江戸後期から明治中期まで、京都では七夕に女の子が愛らしい紙の衣を作る習俗がありました。これは木版刷りの和紙を切り抜き、針で縫って着物の形に仕上げたもので、袖や襟から五色の糸束を垂らした優雅なものもあったとか。この紙衣を「七夕さん」と親しみを込めて呼んでいたそうです。
現在、「京の七夕」Webサイトでは「紙衣」の型紙をダウンロードすることができます。https://kyonotanabata.kyoto.travel/kamigoromo/
こうした複雑な変遷を経て今に至る七夕ですが、技芸上達や先祖への敬い、女児の着物への憧れなど、その時代を生きた人々の切実な想いが融合していったことを思うと、また違った親しみがわいてきます。
「京の七夕」短冊の行く末。清水寺で営まれる荘厳なお焚き上げ
さて2025年、「京の七夕」は15回目を迎えました。近年は毎年2万枚ほどの短冊が集まるそうです。
短冊には「平穏無事」「絶対合格」といった日本語のほかに、中国語や英語なども見受けられます。子どもから大人まで、国、地域を問わず多くの願いが寄せられるのは、国際観光都市である京都ならではかもしれません。
ー清水寺の仁王門(左)、西門と三重の塔(右奥)
(撮影:AKIRA MATSUMOTO)
2025年は9月27日(土)に京都仏教会・京都府神社庁共催、清水寺にて『「京の七夕」神仏合同祈願祭・採燈大護摩』、「京の七夕」短冊のお焚き上げが営まれました。
「お焚き上げ」とは、神社やお寺でお守りやお札などを火にくべる儀式のことで、お正月に行われる「どんど焼き」や「左義長(さぎちょう)」もその一種といわれています。
ー修験道を今に伝える「山伏問答」
(撮影:AKIRA MATSUMOTO)
清水寺で行われる「『京の七夕』神仏合同祈願祭・採燈大護摩」は、この一年間に京都市内の主だった寺院に奉納された護摩木を神仏に届け無病息災などの祈りを捧げる、年に一度の行事です。
ー護摩壇の前には「京の七夕」短冊
(撮影:AKIRA MATSUMOTO)
京都仏教会の主催で、聖護院門跡の山伏と僧侶、京都府神社庁の神職が共に祈る中、「京の七夕」の短冊も共に投じられます。
(撮影:AKIRA MATSUMOTO)
火がくべられる護摩壇は清水寺・仁王門の南にある、南苑に設けられていました。井桁に組まれた長さ2m程度の丸太をヒノキ科の樹木・ヒバの葉でこんもりと覆い尽くしたもので、高さは男性の背丈以上。
その護摩壇を囲むようにおよそ30人の山伏と、神職、京都仏教会の僧や関係者、一般の参詣者が見守ります。
ー5本の弓を放って邪気を祓う
(撮影:AKIRA MATSUMOTO)
ー神職による祝詞の奏上
撮影:AKIRA MATSUMOTO
本物の山伏かどうか確認をする儀式「山伏問答」を皮切りに、弓や斧を用いた邪気を払う儀式や神職の祝詞奏上が続きます。やがて2万枚の「京の七夕」短冊の束が護摩壇の上に乗せられると、最後の祈願書が読み上げられ、長さ3mほどの松明で護摩壇の下の方から火が灯されました。
ー護摩壇の上にのせられた短冊からも煙が
撮影:AKIRA MATSUMOTO
よほど乾燥した状態だったのか、あっという間に護摩壇の上部から白くて太い煙がもうもうと立ち上り始めました。
山伏たちが火の具合を見ながら、初めは柄杓でしきりに水をかけるため、激しい火柱が立つことはなく、むせるような煙たさもなく。時折ヒノキのような香りが漂っていました。
ー聖護院門跡・宮城門主が護摩木を投げ入れる
(撮影:AKIRA MATSUMOTO)
ー護摩壇の奥には三重の塔が見えます
(撮影:AKIRA MATSUMOTO)
気がつけば護摩壇にのっていた「京の七夕」短冊は見えなくなり、初秋の風にゆらめく白煙が右往左往しながら澄み渡った空に立ち昇っていきました。
勇ましい太鼓のリズムと数珠を手で擦り合わせる音、そして力強い読経が響くなか、多くの願いをのせた煙が消えゆくさまに一抹の寂寞を感じる一方で、見届けられて良かったという充実にも似た、あたたかな気持ちにも満たされました。皆様の願い事が、きっと叶いますように。
京都で「京の七夕」に願いごとを託してみてはいかがでしょう。
2026年の実施期間や短冊の募集については、公式Webサイト、またはSNSをチェックしてください。
【京の七夕 概要】
期間:毎年7月1日から8月31日
願いごと募集方法:七夕関連イベント各会場にて短冊に願いごとを記載のうえ、「願い箱」へ投函 詳細は「京の七夕公式 WEB サイト」に随時掲載予定。
主催:京の七夕実行委員会
公式Webサイト
https://kyonotanabata.kyoto.travel/
京の七夕 公式Instagram @kyonotanabata https://www.instagram.com/kyonotanabata/
京の七夕 公式X @kyonotanabata
https://x.com/kyonotanabata
参考文献:「12ヶ月のしきたり」(監修・新谷尚紀、発行・PHP研究所)
記事を書いた人:五島 望
東京都生まれ、京都在住のライター・企画編集者。
京都精華大学人文学部卒業後、東京の出版社に漫画編集者等で勤務。29歳で再び京都へ戻り、編集プロダクション勤務を経てフリーランスに。紙媒体、Web、アプリ、SNS運用など幅広く手掛ける。