【奈良古代史にみる絆】(vol.3)貴族が内裏を雪かき?―雪の日に結ばれた天皇と貴族の絆
【奈良古代史にみる絆】(vol.3)貴族が内裏を雪かき?―雪の日に結ばれた天皇と貴族の絆
『天皇との絆で訪ねる古代史―日本古代のLGBTQ!?』(日本橋出版、2024)の著者で日本歴史文化ジェンダー研究所代表の難波美緒が、古代史より「絆」をひもとき、奈良に関連するエピソードを紹介するシリーズのエピソード3。
平城宮内裏と聞いて、その位置がすぐに浮かぶ人は、余程の歴史フリーク、もしくは奈良でも平城宮ご近所さんかもしれない。
現在復元されている第一次大極殿の東側に位置するその場所は、現在、いくつかの基壇(コンクリート製の土壇)と緑の柱(ツゲの木)が建てられている。内裏というのは天皇の住まい、現在の皇居と考えておけば間違いない。
現在の奈良は雪が少ないし、降ってもほぼ積もらない温暖な気候だ。でも、奈良時代の中頃に聖武天皇が平城京に戻ってきた年(天平十八年)にはかなり降ったらしい。橘諸兄は、左大臣にまでなった人物だが、『万葉集』十七巻の三九二二首に内裏と思われる建物周辺で天平十八年正月に雪かきをした際の歌が残されている。
十七/三九二二 布流由吉乃 之路髪麻泥尓 大皇尓 都可倍麻都礼婆 貴久母安流香
降る雪の 白髪までに 大君に 仕へまつれば 貴くもあるか
天平十八年の正月は、10㎝以上雪が積もった日があり、貴族が雪かきをしたらしい。その後は酒宴となったようで、そこで雪の歌を詠むことになったと詞書(ことばがき)にある。歌の意味としては、降る雪のような白い髪になるまで天皇にお仕えできているのはとても貴い事ですといったところだろう。
この時にその場にいた人物として、藤原豊成朝臣・巨勢奈弖麻呂朝臣・大伴牛養宿祢・藤原仲麻呂朝臣・三原王・智奴王・船王・邑知王(大市王、後の文室大市)・小田王・林王・穂積朝臣老・小田朝臣諸人・小野朝臣綱手・高橋朝臣国足・太朝臣徳太理・高丘連河内・秦忌寸朝元・楢原造東人の名前があり、五位以上の貴族の約半数がいたとされる。
すると、天皇との絆を確認する上で、この雪かきにはかなりの意味合いがあったのかもしれない。貴族が宮殿の雪かきをする情景や、その後にお礼の酒宴が開かれる様子を想像しながら、平城宮内裏跡あたりを散歩してみるのも一興だ。
奈良時代の勢力争いの移り変わりの激しさはなかなかのもので、雪のような白髪になるまで仕えられる人はレアである。また天然痘の流行からそこまで時も経ておらず、貴族といえども長生きできない人も多かっただろう。そのような中、歌を詠んだ時に63歳という橘諸兄の長命かつ出世ぶりはすごいことである。
《参考文献》
『天皇との絆で訪ねる古代史―日本古代のLGBTQ⁉』(日本橋出版、2024)
『万葉集』十七巻 三九二二首